■ビジネスに密着した「宗教」を学ぶ大切さ

みなさんは、自分が何曜日生まれか把握していますか? 私は「土曜日生まれ」と即答できます。なぜなら、赴任先だったタイで、この質問を何度も受けたからです。

三菱電機社長 杉山武史氏

タイは仏教国。ただ、日本の仏教とはかなり様子が違います。日本で広く普及しているのは、念仏を唱えたら誰でも大きな船に乗せられて助けてもらえるという考え方の「大乗仏教」。私の実家のお墓があるお寺の浄土真宗も、大乗仏教の1つです。一方、タイで定着しているのは、「上座部仏教」。厳しい修行やお布施をした人だけが救われる仏教です。

上座部仏教には生まれた曜日ごとに仏様がいて、お参りのときは自分の曜日の仏様にお供え物をします。タイは優しい国なので自分の誕生曜日がわからない人用の仏様も用意されていますが、いずれにしてもみな自分の曜日の仏様を意識しています。

曜日によって色も決まっています。プミポン前国王の誕生日には黄色い服を着た人が街に溢れましたが、それは国王が月曜日生まれで、シンボルカラーが黄色だったから。ちなみに土曜日は紫。会社に僧侶にきてもらってお布施をしたときは、私も服に紫のものをつけてお迎えしました。このようにタイでは自分が生まれた曜日を意識せざるをえない場面によく出くわすのです。

上座部仏教が浸透しているのは、ビジネスも同様です。タイでは、修行のためにお寺に半年間入るという社員は珍しくありません。それに対して、日本人の感覚で「忙しいのに半年間も有休を取るなんて」と愚痴をこぼすのは厳禁。現地の社員たちからそっぽを向かれて、きっと業務が回らなくなるでしょう。

私はもともと兵庫の姫路製作所で、自動車機器の設計をやっていました。当時は、日本の自動車メーカーが積極的に海外に進出。それに合わせて、部品メーカーも現地に拠点を置きました。私が2003年に2代目社長として赴任したタイも、その1つです。単身赴任で不安はありましたが、海外での経験はおもしろそうだという思いのほうが強かった。

現地に行って最初に覚えたタイ語は、「トロン パイ(まっすぐ行け)」でした。現地では運転手をつけてもらったのですが、タイ語ができないと、自分がどこに連れていかれているのかわからなくて不安なのです。だから「クワー(右)」「サイ(左)」を覚えたのも早かった(笑)。

幹部社員との定例会議は、多くが英語でした。ただ、一般社員にはなるべくタイ語を使うようにしていました。海外から社長がやってきて、英語や日本語でペラペラやられたら、あまりいい気がしないですよね。日本人も、外国の方が日本語を話してくれたら、それが片言でも親近感が湧いてきます。それと同じように、私もタイ語で話しかけることで距離を縮めようとしたのです。

たとえば会社のパーティーのスピーチでは、秘書に頼んで日本語のスピーチ原稿をすべてタイ語に翻訳してもらいました。タイ文字だと読めないので発音記号に置き換えてもらったのですが、そのまま読むと文の切れ目がわからないので、本番前に繰り返して練習。おかげで一般社員にも好評でした。

宗教の知識や言葉は、仕事で直接的に求められていたわけではありません。しかし、文化を学んだり、同じ言葉を使ったりすることで、少なくともこちらが相手を理解しようと努めていることが伝わっていく。海外の人と仕事をするときは、まずその姿勢を示すことが大切ではないでしょうか。

■デロンギ会長の心を動かしたもの

タイでは文化や言葉を知ることで相手を理解しようとしましたが、逆に海外の方に私たちのことを理解してもらうために文化を活用したこともあります。

赴任して半年は社員の声をひたすら聞いた●タイの現地法人社長として赴任した最初の半年は、自分の意見は抑え、ひたすら現地の社員からヒアリングを行った。そこで現地の言葉・文化の理解が求められ、学んだという。

三菱電機は、15年にイタリアの空調メーカー、デルクリマ(現 三菱電機ハイドロニクス アンド アイティー クーリングシステムズ)を買収しました。買収は投資顧問会社が間に入って入札を経て決まります。その意味で、買収金額が重要であることは間違いありません。

しかし、買収後を考えると、「たくさんお金を出せばいい」という考え方ではうまくいかない。特にデルクリマが拠点を置く北イタリアは、南イタリアの明るくおおらかな土地柄と違って、人々が真面目で勤勉。従業員が「お金にものを言わせて会社を買った」と思ったら、彼らのモチベーションは上がらないでしょう。

買収を成功させるには、私たちが札束で頬を叩くような会社ではないことを理解してもらわなくてはいけません。世間では「三菱電機はIT系企業に比べて野暮ったくて、派手さがない」と評されることも多いですが、真面目にコツコツと一つ一つの事業に取り組んできました。そうした実直さが伝われば、買収先の不安は軽減されると考えました。

問題は、その伝え方です。いきなり三菱電機の理念を伝えても、おそらくイタリアの人たちにはピンとこないでしょう。

そこで考えたのが、日本文化の紹介です。和を尊び、武士道を重んじる日本の価値観は、私たちの社風と相通じるところがあります。そこで、買収前の最初のプレゼンテーションで、茶道や華道、壺や刀剣、お城やお寺などの日本文化を紹介。「日本はこういう価値観を持つ国で、私たちも技術や信頼性を重んじています」とアピールしたのです。

イタリアと日本は、美的センスが近いのかもしれません。日本文化を紹介すると、デルクリマの親会社であるデロンギのオーナー会長ジュゼッペ・デロンギ氏がとても共感してくれて、来日が決まりました。日本では私たちの研究施設や空調の工場を視察してもらいましたが、「デロンギはお客様の信頼を裏切らない製品づくりをしてきた。三菱電機も同じだとわかった」と言ってくれた。買収は最終的に入札で決まりましたが、トップの共感も後押しになったことでしょう。

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杉山武史(すぎやま・たけし)
三菱電機社長
1956年、岐阜県生まれ。県立岐阜高校、名古屋大学工学部を卒業後、79年三菱電機に入社。自動車機器の設計、携帯電話事業などに携わり、2014年常務執行役、17年副社長、18年4月より現職。座右の銘は『菜根譚』に登場する「人心一真」。

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(三菱電機社長 杉山 武史 構成=村上 敬 撮影=市来朋久)