茨城産の1本5000円の超高級レンコンが、国内はもとより、ニューヨークの超高級料理店でも大人気だ。生みの親の野口憲一氏は「日本農業は『生産性向上モデル』の呪縛にかかっていた。だから私は、数を追うのではなく、まったく違う方向から農業に取り組んだ」という――。

※本稿は、野口憲一『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■レンコン農業と研究者の「二刀流」

化粧品箱に入った1本5000円(税別)のレンコン

僕は民俗学・社会学の研究者ですが、同時にレンコン生産農業にも従事しています。かつては「二足の草鞋」と揶揄されることが多かったのですが、最近では、メジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルスで活躍している大谷翔平選手にあやかり、半分冗談で「二刀流」を名乗ったりしています。

もともとは研究者としての道を歩もうとしていて、2004年に大学を卒業した後は大学院にそのまま進学しましたが、さまざまな事情が重なって、博士後期課程4年目の春から3年間ほど、フルタイムで茨城県にある実家のレンコン生産農業に従事しました。

その後、2012年に博士号(社会学)を取得し、東京都に引っ越して母校で助手として3年間ほど勤務しましたが、再び茨城県の実家に戻ってレンコン生産農業に従事することになりました。その後、現在に至るまでレンコン生産農業と研究者の二刀流を続けています。

僕が力を尽くしてきたのは、両親が経営する株式会社野口農園と、野口農園で生産するレンコンの価値を高めることです。中でも大きかったのが、1本5000円という超高級レンコンのブランディングです。レンコンは1本1000円ほどが標準的な価格ですから、単純に5倍の価格で販売しているわけです。

「そんな馬鹿な」「できるわけがない」と思う方も多いかも知れませんが、この常識はずれな超高級レンコンは、今では生産が追い付かないほどの注文を受けるようになりました。また、デパートの外商の商材として使わせて欲しいとか、有名チェーンのカタログギフトに使わせて欲しいといった依頼も頂いたりしていますが、満足できるレンコンが十分に確保できないので、大半はお断りせざるを得ないのが現状です。

■「ブランド力最低の地」から世界に放たれた高級商品

野口農園のレンコンは現在、日本各地の小売店で販売されているだけでなく、銀座、神楽坂、赤坂など国内の高級料理店や、ニューヨーク、パリ、ドイツ等の超高級料理店でも食材として使われています。野口農園は従業員9人(うち正社員5人)程度の零細企業ですが、レンコンの販売だけで年間1億円以上の売り上げがあります。僕には、野口農園のレンコンを日本一、いや、「世界一のレンコン」としてブランディングしてきたという自負があります。

加えて言えば、都道府県のブランドランキング調査などでは、茨城県はいつも最下位です。関東圏の方であれば茨城について、ネガティブではあっても「ヤンキーの巣窟」「だっぺだっぺ言っていて方言がきつい」「中途半端な田舎」くらいのイメージはあるかも知れませんが、それ以外の地域の方であれば、「そもそも印象が薄くて知らない」というのが偽らざるところでしょう。

そもそも「いばらき」と正しく覚えている方すらどれくらいいるでしょうか。茨城が「いばらぎ」だと思っている方も多いのではないでしょうか。僕が携わっている農業生産分野でも、茨城は「関東圏の野菜の生産工場」という位置づけで、ブランド価値が高いとはとても言えない状態です。

それでは、なぜ地域としてはブランド価値が最低の茨城産の農産物を高値で売ることが可能となったのでしょうか。それにはいくつもの理由があり、4月に出版した著書『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』の中では詳しく語っていますが、ここではいちばん根本にある理由を一つだけあげておきます。

それは、戦後農業を呪縛してきた「生産性の向上モデル」と決別したことです。

■食料摂取の目的が劇的に変わった

生産性の向上モデルとは、生産面積を拡大し、常に技術革新や経営革新を怠らずに効率化・合理化を図り、生産コストを下げることによって利益を確保する、というモデルです。僕はこれに疑問を感じていました。そもそも日本には、アメリカや中国のような広大な農地があるわけではありません。規模を拡大して生産コストを下げて、効率化と合理化を図るにも限界があるわけです。

もちろん、生産性などどうでも良いとは言いません。人類の歴史は飢餓との戦いの歴史でもあります。日本でも、1961年に制定された農業基本法、その後の食料・農村・農業基本法においても、基本的には生産性の向上がうたわれ続けてきました。

しかし、現代日本は飢餓とは縁遠い社会となりました。それどころか、ゼロカロリーや脂肪燃焼効果をうたう食品や飲料が大流行しています。大げさかもしれませんが、この現象は社会が食事からカロリーを摂取するという目的自体を放棄し始めた、人類始まって以来の大変化ではないか、と僕は見ています。

こんな時代にあって農産物に生産性を求め続けるなど、あまりにも的外れではないでしょうか。ゼロカロリー飲料に限らず、そもそもお菓子や酒などは最初から嗜好品です。人はお腹を満たすためだけに食料を摂取するわけではないのです。

■生産すればするほど儲からなくなるシステム

基本的に、生産性の向上モデルは大量に生産して大量の商品を安く売ることを目指しています。しかし、そのような大量生産大量消費モデルが時代遅れになっていることは、他の産業であれば常識でしょう。普通の商品であれば、価格帯の違う商品や目指すマーケットの違う商品が複数あって、選択は消費者に任されている。

同じ食品を扱う業界でも、農業の現場以外はとっくにこうした常識を共有しています。ゴディヴァの高級チョコレートと明治の「たけのこの里」は同じチョコレートですが、どちらを選ぶかは消費者次第。1本何十万円もするワインとスーパーで1本300円で売られているワインも、ワインというカテゴリーは一緒ですが、どちらを買うかは消費者の選択に任されています。

もちろん、「加賀野菜」「九条ねぎ」「魚沼こしひかり」などのように、ブランド化に成功している農産物もないわけではありません。しかし、大半の農業関係者は、いまだに大量生産大量消費を前提とした「生産性の向上モデル」を追い求め続けているように思えてならないのです。

このモデルは、端的に言えば「生産すればするほど儲からなくなるシステム」です。僕はこれに抗い続けてきました。食べるものは安ければ何でもいいわけではない。この考え方の延長線上にあったのが「1本5000円レンコン」でした。

■「やり甲斐搾取」を乗り越えた先には無限のフロンティア

一方、農業が儲からないという理由を糊塗するためか、農業に経済的な利益とは異なる意義を見いだす言説も跋扈(ばっこ)しています。「お金は儲からないけれど自然の近くで仕事ができる」「都市生活では希薄な人間関係が築ける」「野菜を育てるのは楽しいし、癒しになる」等々。要するに、経済的な不足を文化的・社会的な充足で補填するという考え方です。

しかし、これって「やり甲斐搾取」ではないでしょうか。自然の近くで働くことができて、濃厚な人間関係を築くことができれば、それで満足なのか。僕は全くそうは思わない。やり甲斐があって収入がある仕事こそ一番でしょう。僕は、農業でもやり甲斐と収入を確保できる社会を構想したいのです。

ここで言うやり甲斐とは、「自然の中で仕事できるのは楽しい」「野菜を育てるのは楽しい」といった牧歌的なものだけを指すのではありません。自分の努力で利益を上げ、収入を増やしていくという、プロフェッショナルな職業人としてのやり甲斐です。農業界は、いろいろな面で行き詰まっていますが、見方を変えれば「工夫の余地は無限にある」とも言えます。そんな僕にとっては、農業こそが無限のフロンティアに見えるのです。

■なぜ民俗学の応用でレンコンがバカ売れしたのか

僕はこれまで、民俗学・社会学の研究者として、日本各地で農業を営む人々にインタビュー調査を繰り返してきました。このインタビュー調査を通じて、やり甲斐搾取の罠にはまっているとしか思えない農家、努力をもって経済的な充足を得ることが難しくなりつつある農家、そのことに気付かずに闇雲な努力をしているとしか思えない農家をいくつも見てきました。

一方で、農業にフロンティアを見いだし、立派に農業で稼げる仕組みを作っている人々もたくさん見てきました。著書『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』では、そうした経験を踏まえて、なぜ僕が、経営学ではなく民俗学を援用して「1本5000円レンコン」を構想し、バカ売れさせるところまで持っていったのかを語っています。

野口 憲一『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』(新潮社)

などと書くと「自慢話か」と思われるかも知れませんが、これまでの僕の経験は失敗の連続です。そもそも僕には普通の会社勤めをした経験がないし、ビジネスに関するノウハウも皆無でした。それでもめげずに前を向いてこられたのは、農家の息子として生まれた「業」のような部分もあります。

農村社会には共同体意識が濃厚に残っており、目立つ人には露骨な嫌がらせがされたりします。「村八分」的なメンタリティは、そうそう簡単には消えないのです。

「美しい自然に囲まれ、都会人のようにスレていない素朴な人たちが暮らしている牧歌的な農村」などというものは、農村を知らない都会人の脳内には存在するかも知れませんが、現実には存在しません。本の中では、そういったブランド論やマーケティングだけでは語り尽くせないドロドロした面も包み隠さず語っています。

私のこれまでの取り組みが、今後の経営方法について思い悩んでいる農家の一助となり、日本農業の目指すべき方向性への示唆となれば、望外の喜びです。

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野口 憲一(のぐち・けんいち)
民俗学者
1981年茨城県生まれ。株式会社野口農園取締役。日本大学文理学部非常勤講師。日本大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程修了。博士(社会学)。専門は民俗学、食と農業の社会学。

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(民俗学者 野口 憲一)