ドラマ『僕らは奇跡でできている』に見るウサギ的自己肯定感の罠から解放されるために/内藤 由貴子
今回もまた、ドラマからお伝えしたいことがあります。
この秋のドラマの中で、私のセラピー・アンテナにひっかかった言葉がありました。
「私はウサギです
自分はすごいって証明したいんですよ
本当は自信が無いから…
本当は自分がキライみたいです
どうしたら自分と仲良くなれるんですか」
実はセラピーに訪れる人に「あるある」な内容です。
この会話は、ドラマ「僕らは奇跡でできている」の中で、歯科医の育美(榮倉奈々さん)が 一輝(高橋一生さん)に言った言葉です。
一輝は、大学で動物行動学の講師をしていて育美の歯科の患者です。
ウサギと言うのは、「ウサギとカメ」のウサギです。
このドラマの最初の回で、二人がしていた会話があります。
育美は一輝の一輝に言われた「先生はウサギっぽい」「ウサギはカメを見下すために走る」という言葉にずっと引っかかっていました。
育美は、反論するように、
育美「こう見えて、ウサギじゃないんですよ、私。意外と努力型?器用じゃないけどコツコツ頑 張るタイプで、どっちかっていうとカメですね。」
一輝「コツコツ頑張るのが、カメなんですか?」
育美「そうですよね?」
一輝「物語の解釈は自由ですから。
カメは、全然頑張っていません。競争にも勝ち負けにも興味が無いんです。
カメは、ただ道を前に進むこと自体が楽しいんです。
想像してみてください。
地面を這いつくばって前に進むカメにしか見えない、地面から数センチの世界。
その素晴らしい世界を楽しむためだけに、カメは、ただ前に進むんです。
カメの世界にもはやウサギの存在はなく、
寝ているウサギに声をかけなかったのも、そのためです。」
そして育実は、ウサギの解釈を尋ねました。
一輝「ウサギは、カメを見下すために走るんです。自分は、すごいって証明したいんです。」
育実は、一輝の言葉に愕然として、言いました。
「私のどこがウサギなんですか…?」
育実は、これまで築いたものが足元からばらばらと崩れていくような感覚に陥りました。
育美は審美歯科の勉強をしにアメリカに留学し、クリニックの経営のために経営学を学び
「私は、コツコツと努力してきたんです!」と言う思いが強い。
女性誌の輝く女性として受けた取材にも、そんな風に答えていました。
まさかの一輝の「先生はウサギ」発言で、今までの自分の努力が全否定されたかのようです。
そんな経緯があったのですが、しばらくして
「私はウサギなんです。自分ですごいってことを証明したいんです」と語り始めました。
自分でも自信が無いと、本音を話し始めたのが、冒頭で彼女が語った言葉でした。
自己肯定感が高いとか低いとか言いますが、現実でも高い人はそんなに多くはありません。
今年の心理ジャンルの本に「自己肯定感を上げる」本が目に付いたのもその現われでしょう。
▶ ニセの自己肯定感で自分をだまさない 人より自分を優位に立たせ、自己肯定感を上げようとする行動は、多くの人がやっています
そうでもしないと、自分を支えられないからです。
たとえば、資格や技術を身に着けること、
出世して、肩書をアップさせること
難度の高い、何かに挑戦すること 〜 難関校受験、就くのが難しい仕事、競技で勝つ…
そのこと自体、悪いわけではありません。
そのチャレンジによって、人は成長をしますから。
ここで大切なことは「ニセの自己肯定感で自分をだまさないこと」ではないでしょうか。
本質的な自信の無さを隠して自己肯定感が低いまま、外付けの何かで自分の価値が上がったように見せても、結果的には、自己肯定感は上がっていない…
たぶん別の何かを求めて達成しても、自己肯定感が上がらないことを繰り返すでしょう。
悪い方に出ると、優位性を示すために人に指示をして従わせる… というパターンもあります。
会社の上司が、できる部下を指示に従わせようとし過ぎるなら、そのパターンかもしれません。
会社だけでなく、このパターンは親子でもあり勝ちです。
このドラマには、虹一クンという絵を描くのが大好きな小学生の男の子が出てきます。
自分の世界を受け容れてくれる一輝になついて、一輝に着いて動物園で絵を描くのに夢中になり、 いなくなったと騒ぎになったことがあったほど。
虹一クンは、学校の勉強はあまり得意ではなく、彼のお母さんは、
そんな虹一クンを塾に行かせて勉強についていけるよう、必死です。
絵を描くことより、勉強をするよう指示しまくっていたのも、
自分の子供が「ふつう」から外れたと思われることが、たまらないようです。
それは虹一クンの問題というより、
彼のお母さんが、どんな母親であればいいのかを世間の「ふつう」基準に求め
子供がそこからはみ出すと、自分は良い母親ではなくなると不安だったからでしょう。
それでも一輝は、「虹一クンは、お母さんが大好きです」と言います。
▶ ウサギを卒業できたわけところで、今見える素晴らしい世界を楽しむために毎日を過ごしているカメのような一輝ですが、 かつて自分もウサギだったと告白します。
「中学生の時、せみの研究ですごいって言われて、理科クラブを続けました。
僕をばかにした人を見返したいとも思いました。
でも、生き物のことだけは誰にも負けたくないと思っているうちに
すごいことをやらなければいけない、と思うようになりました
すると、生き物の観察が楽しくなくなりました。辛くなりました…眠れなくなりました
僕の祖父は やりたければやればいい と笑っていました
理科ができてもできなくても、僕は、居ていいんだなぁって思いました
そうしたら、よく眠れるようになりました
生き物の観察をまたやりたいと思うようになりました
僕はできないことがたくさんありました。今もありますが、やりたいことをやれて有難いです」
この言葉は、存在として「人からすごい!」と思われるために努力をする必要なんてなかった、
自分はすごくなくても存在を認められたことで、ウサギを卒業できたことを伝えています。
先ほどの虹一クンのお母さんは、彼を世間基準に合わせようとするうちに、彼の「できないこと」ばかり見ていたようです。
だから一輝が
「僕は、虹一クンのすごいところを100個、言えます」と言った時、
虹一クンのお母さんは一瞬、虚を突かれたようになりました。
別の場面で、虹一クンのお母さんは、
「虹一、ダメなお母さんでごめんね」と虹一クンに謝るのですが
「そんなことない。僕、お母さんのすごいところ 100個言えます」と虹一クン。
「子供に100個、すごいところを言ってもらえるお母さんは、すごいですね」という一輝。
すごいと言って、挙げてもらった事柄は、誰でもできるといえばできる内容ではありました
母は「それって 誰でもできることではないんですか」と聞き、
一輝は「誰でもできることは、すごくないんですか?」 と答えました。
育美も自分のすごいところを100個、言うシーンがありました。
「メイクします」とか 「歯を磨く」とか、当たり前のことかもしれません。
もちろん、本来優位になるというより、学びたくてアメリカに留学したことも、「すごい」になります。
実は、すごいとか、誰でもできるということは、その人の主観、思い込みです。
「すごい」基準のハードルを上げるのも、自分自身。
そのハードルを越えるのために足りないところを補おうとしてウサギになりますが、本人が足りていないと思っているだけかもしれません。
セラピーの相談者に「あなたの良い所は何?」と聞くと、答えに詰まる人がよくいます。
そして聞いてないのに「ダメなところなら、いくらでも言えますが…」と言う人も…。
自分へのダメ出しグセ。
おそらくそれは、人にも足りない所、イケてないところを見るクセになります。
それがウサギ的な視点に通じます。
もし自分のすごさが言えなければ、人のすごさを見つけて言ってみる、100個言えなくても、1個から。
おそらく言われた人も、きっとあなたのすごさを見つけてくれるでしょう。
人を基準にしてウサギになるより、その方がラクで健全に自分が自分で居られる簡単な方法です。 おそらく言われた人も、きっとあなたのすごさを1つや2つ、見つけてくれるでしょう。
そのうち、自分ならではの価値を自分でも認められるのではないでしょうか。
実は白状すると、ウサギの気持ちがよくわかるのも、私自身、自己肯定感が低かったからです。
一方で、悔しいかな、自己肯定感の高い人には、上に書いたようなワークをしなくても、
元々「自分が人からどう思われるか」という意味さえ、わからない人がいます。
「自信が無い人」という意味がわからない人もいました。
かと言って、自信満々なそぶりもなく、淡々と当たり前にやってしまうような人です。
セラピストとして、一輝のように祖父の言葉でくるっとカメに転換することが、とても難しいのも知っています。
長くセラピーに携わると、潜在的に自分を否定する材料をたくさん抱えた人の方が、ずっとずっと多かったからです。
その否定材料には、原因の無い罪悪感が混ざっていることがよくあります。
これらに由来する自己否定感は、上の方法ではとれないかもしれません。
今回、ここで書いたようなことだけでは、まだ無理、と感じた人は、私たちのようなフラワーフォトセラピストが。サポートする必要がありそうです。
お話しを聞いて心の奥にある感情まで分析し、花の写真で解放の仕方をお伝えできますから。
* 今回の写真は「公の場で自己肯定感がアップできる」ような写真です。
※ 一輝が発達障害ではないか、という意見もあるようですが、私は単に個性として捉えたいと思います。