内藤  由貴子 /

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◆ 『半分、青い。』はキャリアドリフト

久しぶりのドラマネタです。 NHKの朝ドラ『半分、青い。』が9月末に終了しました。
このドラマ、本当ならもっと早くこのドラマを取り上げたかったのですが、ジェットコースターに例えられたこのドラマ、あまりにも展開が速く、気づけばネタがすぐに古くなる状態でした。
10月からすでに次のドラマが始まっていますが、このドラマを取り上げたくなったのは、前回取り上げた記事のように、主人公の鈴愛の生き方が、キャリアドリフトだと気づいたからです。

キャリアドリフトは、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツの約20年前の「 計画された偶発性理論」によるもので、「キャリアの8割は、予想しない偶発的なことによって決定される」と言います。そして、その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこうという考え方です。

ご存じない方のために「半分。青い。」についてざっくりとストーリーを振り返ります。

◆ ドラマを振り返る

岐阜のふくろう商店街で同じ7月7日に同じ病院で生まれた鈴愛(すずめ)と律は、幼なじみとして育つが、神童と言われ優しい律を鈴愛はマグマ大使のように笛で呼び出すことしばしば。鈴愛は食堂を営む家族のもとで元気いっぱい天真爛漫に育つが、小学生の時、おたふく風邪で左耳を失聴する。

律のくれた秋風羽織の少女マンガを読んで感動し、マンガを描き始めた鈴愛は、サイン会をきっかけに秋風の塾に入りアシスタントをしながら、マンガ修行する。
やがて賞を取ってデビューし、漫画家として連載を持ち、コミックスも出せるまでに。
しかし、人気に陰りが出て、連載中止、やがて描けなくなって挫折し、漫画家をやめる。

100円ショップのバイトで知り合った涼次と結婚し、一女をもうけたが、映画監督の夢を捨てきれなかった涼次が、監督のチャンスに賭けるため離婚。
鈴愛はいったん実家の岐阜に戻り、祖父秘伝の五平餅を出すカフェを軌道に乗せるが、
娘が望むスケートを習わせるために、東京の企画会社に就職、その会社が潰れて、お一人様メーカーをしながら屋台で五平餅を売っていた時、幼なじみの律と再会。
律も離婚し大手の電機メーカーをやめ、鈴愛とそよ風が吹く扇風機を作る会社を起業、開発に成功する。

あまりにも状況の展開が速く、また、鈴愛と律の愛のすれ違い、別の人と結婚し、離婚、二人の愛の行方はどうなるの‥‥ というラブストーリ^の側面が強かったのですが、
ここではそれは、キャリアのお話しに絞って、脇に置いておきます。

鈴愛の職業は、 マンガ家 → 百円ショップのアルバイト → 五平餅のカフェオーナー → 企画会社の事務 →お一人さまメーカー(+五平餅屋台) → そよ風扇風機の開発、発売
という具合に、ドリフトしました。

◆ 人生波乱万丈だけれど?

これまでの朝ドラでは、何かを目指して、または夫の夢を支えてその目的に到達するストーリーが多かったので、このドラマの主人公、鈴愛のように、仕事が何度も変わるヒロインも珍しいです。

まずマンガ家を目指していたので、てっきりマンガ家を目指して頑張るお話しなのだと思っていました。しかし、自身の才能に見切りを付けて、辞めた時点で、ほぼ前半が終了でした。
実際、後半の話が始まった時は、別のドラマの様だ、という声も多かったです。

クランボルツの言うような「計画された偶発的な理論」で言えば、マンガ家になれたのも、どうしてもなりたくてなったというより、幼なじみの律がくれた少女マンガを読んだこと、その作者秋風に会えたこと、マンガ以上に祖父の五平餅が秋風に気に入られたことなどの「偶然」の先にあった印象です。

でも、鈴愛は転換期にはいつも自分の道を自分で決めていました。内定していた農協を断り秋風の塾に入ったことを始め、離婚後、実家に帰ったときも友人が用意した就職先に見向きもせず、社長になると宣言し、カフェをオープン。
お一人様メーカーを始めて商品が売れなかった時も、五平餅の屋台を引いて売る…など。

結婚した時に、夫の涼次に、監督になる夢より生活の安定を訴えたことはあったのですが、
結局、いわゆる安定からは遠い生活を自分で選んでいました。

波乱万丈でも何とかなっていったのは、フィクションとはいえ、計画的な偶発性を感じました。

◆ 計画的な偶発性を招く要素

さて、その偶然を計画的に設計なんてできるのか、ということですが、クランボルツの理論では、次の5つの習慣によって可能にすると言います。
1、好奇心、2、持続性、3、柔軟性、4、楽観性、5、冒険心

これらを意識して動くことが、偶然の用でも何らかの道を作ることになるということでしょうか。
実際、鈴愛には、この5つが、十分にありました。

2、の持続性についても、マンガ家をあきらめませんでした。挫折してやめたことを考えると矛盾するようですが、自分の才能の限界までとことんやったからこそ、手放せたのでしょう。
中途半端でやめなかったからこそ、引きずらず、次にシフトできました。あの時、ああしておけばよかったとか、そんな後悔も入る余地が無くなるまでです。
それだけ、本人としては納得がいっての引退、そこまでとことん持続したからです。

離婚した涼次もそう。映画監督になる夢をとことんやらないまま生きることはできなかったから、家族を捨てても取り組んだ。結果として、監督になりました。
律もまた然りです。彼のロボットの夢は、会社員時代にスタンフォード大学で研究もしたのに、帰国後、不景気でロボットの開発部署が閉鎖。エンジニアの仕事ができなくなった時、ロボットに限らず、自分が人を幸せにする「もの作り」が原点にあったことに気づき、大手を辞めて起業します。

マンガの巨匠、秋風にしても、かつては百科事典のセールスマン。その切れ者マネージャーの菱本若菜も、大手出版社から不倫が原因で退社、秋風に拾ってもらった過去があります。

鈴愛には一貫性が無いようですが、持続性以外の4つも人一倍あったため、人と出会い、巻き込みながら助けられて人生がいつの間にか進んでいく。
計画的な偶発性というと、何やら意図的なものを感じますが、たぶんとてもシンプルなことでしょう。

つまり、出会った人から新しい世界や価値を知り、興味をもって自分なりに咀嚼して方向を見出し、さらに頑張ってみる、
人に自分の夢の思いをどんどん伝える、なんとかなると自分の気持ちを裏切らない ということ。

次々に、新しい夢に変わっていくのも、今までの朝ドラには無いパターンだと思いますが、一つの夢を追うことだけが良い人生だとは限らないと教えてくれました。

そして、一つの夢を追い続ける人よりもまた、違うものに出会って新たな夢を実現するパターンの人の方が多いのではないでしょうか。

◆ 夢を一度失っても、あなたはあなたの人生を生きられる

もう10年くらい前でしょうか。私のところにある声優志望の女性が相談に来ました。
声優の養成所に入れたけれど、入所すると、実際に声優になれるのは何割もいない厳しい世界だということを聞かされたそう。
おそらく「その覚悟を持ってがんばりなさい」ということで「とっとと夢をあきらめなさい」という意味では決してなかったと思います。
その相談者は、目指しても声優になれなかったら、どうしよう…という不安があっての相談でした。 声優さんになれていたらいいなぁ…と思います。

もし当時、このクランボルツの計画的な偶発性理論を知っていたら。もっと違う視点で対応できたでしょう。

実は、カラーセラピーでは「青」に、持って生まれた使命、天命の探求を見ることがあります。
でも、そんな「青」は半分にしておけば、あとの半分は、もっと自由にしなやかに自分の理想の人生を追いかけられるのかもしれません。

今回『半分、青い。』で、どんな流れであれ、自分の人生を懸命に生きる、それでいいというメッセージを感じました…

*写真は、青いニゲラの花を選びました