会社の中にある3つのバリアー(【連載13】新しい『日本的人事論』)/川口 雅裕
優れたキャリアは、本人と会社の協働によって築かれる。本人の努力だけで、本人も会社も満足できるような成長が実現するわけではない。そもそも日本では、働く人がその仕事や役割を選べる仕組みにはなっていないから(いつどのような仕事に就くかは会社任せという仕組みだから)、「自分が学ばねばならないこと」と「会社ができるように求めること」を一致させる必要があるからだ。仕事も役割も会社が決定して本人へ強いているのに、自分のキャリアは自分で築けというのは筋が通った話とは言えないし、だからそのようなスタンスの企業では人は育たず、定着もしない。
会社は、従業員の仕事や役割を決定する権限を行使する一方で、それぞれのキャリア形成を個別に検討・サポートする責任や義務を負っていると考えるべきである。もちろん、その責任・義務には但し書きがある。所属そのものに満足し、仕事や役割や収入が変わることや将来に向けた成長などに関心がない従業員はもちろん存在する。職業や仕事は人生の一部であるから、そういう生き方を否定してはならないが、キャリアに関心がない人たちに対してまで会社がキャリア形成に責任を持つ必要はない。また、経営幹部や一定レベル以上の管理職など、すでに会社からの施しを期待すべきではない人達に対しても同様だ。彼らに対して「自分のキャリアは自分で築け」と言うことは、筋が通っている。一方、高齢者や障碍者の一部で、働くこと自体が大事であったりそれに喜びを感じたりしている人、時間的な制約の中で生活とのバランスをとりながら働いている人たちなどに対しては、キャリア形成への責任はあるが、その支援の内容や姿勢は同じではないだろう。
会社が従業員のキャリア形成を支援するとは、単に研修を強化するという話ではない。研修でキャリアが出来れば苦労はしないし、研修を受ければ受けるほど成長するなら人材育成に悩む会社はない。研修は常に、現実との関連を持ってはじめて意味がある。研修は積み重ねてきた経験を体系化・原則化する機会でなければならないし、研修で学んだ新たな視点やスキルを現実に実践・応用できる職場でなければならない。また、研修は、現実を離れて学ぶ習慣のない人には大した成果をもたらさない。自分にとって現実的かつ個別具体的なこと以外に関心がなく、すぐには役に立ちそうもない抽象的な内容に対して思考が停止してしまう人にとって研修は苦痛でしかない。日ごろの仕事の改善や新しい方法などの創造について闊達なコミュニケーションが行われ、学び合い教え合うような職場で思考を鍛えておかなければ、研修は唐突な機会でしかない。要するに、学びに対して意欲的な職場づくりを行わなければ、研修強化は無駄になるということだ。
ましてや、職種別・階層別に求められるものを定義づけたり、スキルマップを作成したりしても、従業員のキャリア形成を支援することにはならない。第一に、これらは「会社が求めるもの」を明文化して押し付けるやり方であり、個別の特性に応じたキャリア形成を阻害しかねないからである。金太郎飴化を促進はするだろうが、各々がその強みを伸ばして優れたキャリアを築いていけるような仕組みでは決してない。第二にこれらは、これまでの会社のありようや上位者がこれまで歩んできた道の延長線上にあるものであり、その意味で現実肯定的であるからだ。未来ある人々が、これから起こるであろう環境変化に対応できるようにするという目的で作られたものではない。上位者が出来ることを若手が同じようにできるようにしても、これまでの会社のありようを前提にした言動を、同じように若手に求めても、若手のキャリアにも会社の未来創造にもつながらない。
●キャリア形成を阻む、会社のバリアー
会社が働く人たちのキャリア形成を上手に支援していくためには、組織に存在している様々なバリアーを排除していく必要がある。
バリアーの一つ目は、成功体験である。これまでうまく機能してきたビジネスモデル、それをパッケージ化した進め方や体制などは、これからの人達のキャリア形成にとって有益とは言えない。過去の成功体験とそれを支えるシステムは現状の変更を拒む空気を出しており、若い人たちも、創意工夫や挑戦を申し出ることは過去の成功体験や現行システムの否定をするのに等しいと感じてしまう。言うまでもなく、キャリア形成には良質な経験がもっとも重要である。もちろん、意図して部下が経験を積むのを邪魔してやろうと思う上司はいない。しかし、意図せずとも、現実には若い人たちも成功体験を理由に創意工夫や挑戦を阻まれたり、軽んじられたりして機会を失ってしまっている。成功体験は会社をイノベーターのジレンマに陥らせるが、同時に、若い人たちを経験貧乏に陥らせてしまうのである。
二つ目は、硬直的で過剰なルールの存在だ。適切なガバナンスを行っていく上で必要な規制・ルールは必要だが、顧客を十分に満足させる価値ある商品・サービスを生み出し続ける組織であることは、それ以上に重要である。現代の経営は、レギュレーションの設定・運用とバリュー創造への取り組みのバランスをうまくとることを求められている。ところが、これは容易ではない。レギュレーションは自己増殖するからだ。社内でクレームやトラブルが起こるたび、また世間で何か企業不祥事や事件があるたびに、新たな法規やガイドラインなどが役所から出されるたびにルールが新しく作られ、手続きやフォーマットが追加される。レギュレーションは、事例があり具体的なので取り組みや設定が容易であるし、設定そのものにはコストがかからない(ルールを作るのはタダである)ことも自己増殖する理由である。それに比べれば、バリュー創造への取り組みははるかに難しい。そして、レギュレーションの設定・運用とバリュー創造への取り組みは、そのバランスを著しく欠く結果となってしまう。もちろん、働く人たちのキャリアにつながるのはバリュー創造への取り組みに他ならない。
三つ目は、ダメ出しの企業文化だ。短所や失敗に焦点を当ててそれを反省・修正させることによって、平均的・標準的な人材を作ろう、安心できる同質的組織を作ろうとする文化の存在と言っていい。ダイバーシティ&インクルージョンといったスローガンに対して頭では共感しているものの、実際に「強みや違いに焦点を当ててそれを伸ばし、多様な組織を作ろう」としている勇気ある経営者、管理職はかなり少ない。若手にチャンスを与えて育てていこうというコンセプトは掲げているものの、実際には、どうせ無理だろう、ステップとしてやらせてみようかという上から目線であって、心から期待し、ワクワクし、結果にも寛容で一緒にチャレンジを続けているような管理職は、かなり少ない。直接的なダメ出しや厳しい叱責は減っているが、それはハラスメントと判断されるのを恐れているだけだろう。このような、昔と大差ない企業文化の中で、次世代が良質な経験を通してキャリアを積んでいくことは期待できないし、研修や等級定義やスキルマップがなんの効果ももたらさないのも当然である。
●キャリア形成を阻む、本人のバリアー
以上の三点は、働く本人にも当てはまる。
成功体験が、新しい効果的な経験を遠ざける可能性は個人にもある。過去に成果につながった方法がどこでも、いつまでも通用するわけではないのは会社と同じだ。違う部署・職種・商品・顧客になれば、違う方法が求められることも当然ある。分っていても、他の人がやっている方法を真似るのは気が進まないといった気持ちの問題もからみそうだ。キャリア形成にとって成功体験は重要なのだが、一方で成功体験の記憶はキャリア形成の障害になりかねないのである。
組織や人を硬直的なルールが縛ってしまうのと同様、私達は誰にも言われなくても前例や習慣に縛られてしまう傾向がある。意識はしなくても今までやってきたから、皆がやっているからと当たり前のようにやってしまっていることは多い。実は、このような社内外の常識の中に疑ってかかるべき、変化させるべき事項が眠っている可能性がある。それらは経験を積めば積むほど気付きにくくなるし、その会社の常識は世の中の非常識というのも、同じことである。素人の素朴な感覚、市場や顧客からの客観的な視点を忘れることなく取り組まなければ、狭い世界の凡庸な経験しか積めず、世間的に通用する優れたキャリアにはつながっていかない。
ダメ出しの企業文化がなくても、私達の多くは自らの強みよりも短所に目を向け、成功よりも失敗を気にして、自分をネガティブに、あるいは実際よりも低く評価しがちである。ダメ出しされる前に、自分で自分にダメ出しをしているようなものだ。自分が周囲と異なっている点を修正しようとしたり、多数派が思っていることに配慮して無理な同調をしたりする傾向もある。健全な合意プロセスを踏むのであればよいが、単に同調圧力に騙されているような状態では、やはり凡庸なキャリアにしかならないだろう。
【つづく】