増沢 隆太 / 株式会社RMロンドンパートナーズ

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1.高校野球の病根
高校野球のすごさはその「番組」としての強さにあります。一期一会のトーナメント、つまり負ければ即敗退というルールは見る者に緊張感を与えます。高校創立来初出場だったり、カネにものいわせて選手補強する強豪高校を普通の公立高校が競り勝ったり、マスコミ注目の選手が実力を出せずに敗退したり、素晴らしい成果で早々とプロ入りしてスターになっていく過程。まさにドラマプロットの塊のような存在です。

結果として高校野球は紅白歌合戦と並ぶ歴史的キラーコンテンツとして君臨し続けています。テレビ中継にとどまらず、関連マーチャンダイズや出版含めた巨大ビジネスになってしまったことで、その影の部分について正面からの批判はしづらい状況できました。

しかしかつての日本の夏とは別ものとなった超炎天の酷暑の中、抜群の体力を持つ高校生ですら倒れるという環境。連投によってまだ成長期の子供である高校生の身体に深刻な影響を及ぼし、人生を変えてしまうような強烈なプレッシャー。こうした問題点はずっと指摘はされてきていますが、根本的な改善はありません。

なぜか?

こうした問題点そのものを視聴者が楽しんでいるかではないでしょうか。教育的視点から見ればあり得ない酷暑下の試合も、身体に一生残るかも知れない深刻な負荷を与える連投も、「美談」のエッセンスなのです。そういった提案は既にありますが、もし高校野球を涼しい京セラドームで行い、プロスポーツ並みのケータリングで豪華に飲食できる設備を整え、十二分に休養を取れるような2ヵ月のトーナメントに「改善」したらどうなるでしょうか。

恐らく高校野球ファンの興味を削ぐことはあっても、今以上に盛り上がる可能性はないはずです。

2.水戸黄門こそドラマの見本
私はかつてシナリオ学校で脚本の書き方を習いましたが、そのとき先生に強く言われたことは「枷(かせ)」をいかに主人公にはめるかでした。普通の主人公が普通に生活したのではドラマになりません。普通よりはるかに厳しい環境で育ち、さまざまな艱難辛苦を克服し、やっと勝負舞台に上ったものの、そこでも予期せぬアクシデントや神様のいたずらのような不運を最後に跳ね返して勝利・・・なんていうベタベタのストーリーは、実は脚本の正当な構成です。

この典型がドラマ「水戸黄門」です。貧しい町人や下級武士が悪代官にいじめ抜かれ、時には命も落とす悲惨さのピークに水戸老公一行が印籠で大逆転する。奇をてらったストーリーはいかようにも作れるにもかかわらず、この偉大なるワンパターンの結果、42年間という歴史的人気を得られたドラマになりました。

悪代官の所業こそ正にハラスメントそのものです。悪代官のいない平和な村や町では、いくら水戸黄門一行がぐるぐる周回しても何もドラマは起きません。人の不幸や悲惨な境遇こそが最高のスパイスであるという、きわめて罪深い感性を、われわれは元から持っているというべきでしょう。

3.ハラスメント対策でやるべきこと
人事・組織コンサルティングが私の本業ですが、ここ最近の仕事の多くがハラスメント対策です。企業や官公庁など大きな組織からの依頼で、各所でハラスメント研修を行っています。

現場から必ず聞かれる「どこまでがハラスメントか」「ハラスメントの線引き」について、高校野球も水戸黄門も、非常にわかりやすい事例として説明に使います。悪代官は最後に成敗されてしまいます。そして高校野球だけでなく、アマチュアスポーツ界は、今、ハラスメント告発の嵐にさらされています。

アメリカンフットボール、レスリング、ボクシングにとどまらず、今でも次々告発は続いています。糾弾され組織を追われた元指導者の人たちは、ハラスメントと指導の線引きを理解していませんでした。しかしそれはその指導者個人のことではなく、その周囲の環境全体が後押ししていたはずです。

ハラスメント対策はこれは〇、これは×と、いちいち事例を挙げて判断を伝えることではなく、そもそもハラスメントとなる境目がなんであるかを認識させることにあると信じます。人に言われてハラスメントだと理解するようでは全く問題解決になりません。

スポーツ指導者の糾弾はまだまだ続くでしょう。その先にある牙城は甲子園球場なのかも知れません。