村山 昇 / キャリア・ポートレート コンサルティング

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一般的に、情報をビジュアル化するというと、データ(数値情報)を図にする───例えば、企業の経営指標となる諸数値をインパクトのある形でグラフ化して見せることであったり、ある企業のビジネスモデルはこのような形であるとサービスやお金の流れをフロー図にして見せる───ことだったりします。


そうした図よりも、もっと、概念・本質の表現化に迫っていくのが「コンセプチュアル思考」のモデル化です。

例えば、次の言葉を図化してみましょう―――?

「私たちは仕事によって、望むものを手に入れるのではなく、
仕事をしていくなかで、何を望むべきかを学んでいく」。
───ジョシュア・ハルバースタム 『仕事と幸福そして人生について』

こうした含蓄のある名言を図に表わす演習が「コンセプチュアル思考」的な訓練です。これをお読みのあなたも、いったんここで画面から目を離し、自分ならこの言葉をどう図化するかをやってみてください。

もちろんこの問いに唯一の正解はありません。第一に、この言葉をどう、そしてどんな深さで咀嚼するか。第二に、咀嚼したものをどう図に描くか。「コンセプチュアル思考」のモデル化の演習でもかなり難度の高いものになります。

では、私が描いた作例図を紹介し、所感を加えます。



働くことの先にある目的は何か?

ハルバースタムは、米・コロンビア大学で哲学の教鞭を執る人物だけあって、彼から発せられたこの言葉は実に味わい深い表現です。

2つの仕事観を並べて描きました。1つめの仕事観Xは、「望むものを手に入れる」ことを目的にする考え方です。洋服、バッグ、腕時計、料理、家、クルマ、レジャー、ステータス、成功者の雰囲気、私たちはいろいろなものが欲しい。より多く、より高級なものを望むには、より多くのお金がいる。そのため仕事観Xは必然的にお金を多く得たいという欲望と直接結びついています。そして「働くこと」は手段として置かれる。

2つめの仕事観Yは、「何を望むかを学んでいく」ことが目的です。このとき、学んでいくプロセスはまさに「働くこと」そのものに内在しているので、「働くこと」は手段ともなり目的ともなります。そのプロセスに自己を投入することがおもしろいし、やりがいもある。で、気がつくと、お金がもらえていた。それが仕事観Yの特徴です。

仕事観Xと仕事観Yとを立て分けて、どちらがよいわるいとか、浅い深いとかいう問題ではありません。人はどちらの考え方も持っています。ただ個人によってその比率が違うだけです。また、同じ個人の中でも人生の局面によって比率が変わってくるものです。

◆キャリアという作品を彫り出す

ハルバースタムは、仕事をしていくなかで何を望むべきかを“学んでいく”と表現しましたが、私はもっと突っ込んで、「働くこと(仕事)とは、何を望むべきかを“彫刻していく”営みである」と表現したいと思います。

人間は望むべきものを学ぶだけでは満足せず、それを形にせずにはおられない動物だからです。したがって、日々の大小の仕事は、いわば自分の望むべきものを一刀一刀彫っていく作業ともいえます。最初は自分でも何を彫っているのかはわかりません。でも5年10年と経っていくうちに、じょじょに自分の彫るべきものが見えてきます。

ミケランジェロは、石の塊を前に、最初から彫るべきものの姿を完全に頭に描いたわけではありません。一刀一刀を石に入れながら、イメージを探していったわけです。彫ろうとするものを知るには、彫り続けなくてはならない。そして彫りあがってみて、結果的に「あぁ、自分が彫りたかったものはこれだったのか」と確かめることができる。キャリア形成もたぶんそういうことではないでしょうか。

その観点で言えば、仕事観Xでいく人は永久に自分の彫刻物をこしらえることはないでしょう。お金を得て、それで交換できるものをたくさん所有した・消費した。それで幸福だったとは言えても、何かを創造して遺したとは言えない人生の使い方だからです(ただし、生きていくという営みは、そうした物質的な所有・消費によって支えられる側面は否定できませんし、そこに喜びがあるのも事実です)。

いまの仕事がつまらない、やらされ感がある、労役的であると思っている人は、1番めの仕事観Xに傾きがちになります。仕事は我慢であり、ストレスであり、その憂さ晴らしにせめて何かいい物を買いたい、何か楽しい余暇を過ごしたい。そのためにはお金がいる。と、そんな心理回路に陥るからでしょう。人生の喜びの見出し先は働くことにはなく、お金と交換して得られる物や余暇に向いていく。

逆に、仕事自体が面白い、仕事を通して何か社会に貢献していきたいというような想いを持っている人は、2番めの仕事観Yに近さを感じます。

平成ニッポンの世に働く私たちは、XとY、どちらの仕事観を主導にすることもできます。さて、あなたはどちらの仕事観を主導にして働いていくでしょうか?

コンセプチュアル思考によるモデル図の究極は「マンダラ」

さて、名言を図にする演習はどうだったでしょう。このように、「コンセプチュアル思考」は概念や本質をモデル図にする力を問います。

概念的なモデル図の究極は、仏教世界の「マンダラ(曼荼羅)」です。ブッダの説いた教えを一枚の絵に表わしてしまうという凝縮ぶりです。そこには巧みな隠喩や暗号が満ちています。

「Less is more.」───いかに少なく描き、いかに多くを湛えるか。コンセプチュアル思考によるモデル図で肝に銘じたい観点です。