アラサーの神戸嬢を語るには欠かせないある“時代”が、神戸にはあった。

2000年代初期、今なお語り継がれる関西の「読者モデル全盛期」だ。

それは甲南女子大学・神戸女学院大学・松蔭女子学院のいずれかに在籍する、容姿端麗な神戸嬢たちが作り上げた黄金時代である。

しかし時を経て読モブームは下火となり、“神戸嬢”という言葉も、もはや死語となりつつある。

神戸嬢に憧れていた姫路出身の寛子。学生時代には、読者モデル、さらに憧れの菜々子のブランドでのアルバイトをして神戸で名を馳せた。

しかし新作のブランドバッグは持っていて当たり前の世界、また必ず誰かとつながる狭いコミュニティ、月に何度も行われるうわべの女子会。

寛子は、これらの拭えない違和感を抱きながらも4年間の花の女子大生活を終えた。

そして時は経ち、寛子は31歳になった。神戸の歴史的な黄金期を送った“元神戸嬢”たち。彼女たちの現在は…?




―次の神戸組の会は、オリエンタルホテルのパシフィックね!

LINEの着信音が鳴り、寛子はiPhoneを手に取った。「神戸組」とは、寛子が仲良くしているLINEグループ名だ。

神女時代から仲の良い4人に圭子を加えた、5人グループ。寛子にとっては今も、唯一気のおけない友人たちである。

あの時代を共に生き、過ごした仲間。何かとグループ名をつけたがるのは、大学生の頃からの名残だ。

当時は、まさか圭子ともこんなにも仲良くなる日が来るとは思わなかった。

圭子が彼氏といるのを見た一件以来、彼女とは急激に仲を深めた。同じアルバイト仲間だった由美子も圭子と仲を深め、気付けば皆が自然と仲良くなっていたのだ。

由美子と圭子は、ちょうど20代前半で結婚。由美子には3歳になる可愛い長男がいて、圭子の結婚相手は学生時代から付き合いっていた彼だ。

寛子を含めた残りの3人は、独身のまま。

ちょうど、周りの友人の半分が既婚者、半分が独身。既婚者のうちの半分に子どもが居て、独身のうちの半分に彼氏が居ない。寛子たちも、そういう年頃になった。

“神戸嬢”であったあの頃の時代は終わり、“元神戸嬢”になったのだ。

“元神戸嬢”、新しい時代の幕開けとなる。


アラサーになった“元神戸嬢”の女子会


旧居留地にあるBARNEYS NEWYORKのショウウィンドウを横目に通り過ぎ、エレベーターでオリエンタルホテルの17Fまで上がる。

エレベーターホールに降り立つと、ぱっと視界が明るくなった。

窓の外に広がるきらきら光る海を眺めながら、神戸らしい景色だなと寛子はいつも思う。




天井が高く、重厚でありながら開放的な空間の『メインダイニング バイ・ザ・ハウス・オブ・パシフィック』は、寛子たち“元神戸嬢”のお気に入りのレストランの1つだ。

神戸でゆっくりランチを楽しめる場所は、意外に少ない。

車が停められることと、帰りにショッピングもできるエリアに近いホテルランチは、いつも賑わっている。特にここは子ども連れにも優しく、皆で集まるには格好のレストランであった。

定期的に行われる仲良しグループのランチ女子会。いくつになっても、“元神戸嬢”は女子会が好きだ。

「寛子、仕事順調?」

寛子は大学卒業とともにインテリア会社に就職し、新しい友達も知り合いもたくさん出来た。

今でも「菜々子のブランドにいた寛子ちゃん」と呼ばれることもあるが、それはごく稀で大体の人は寛子のことなど知りはしない。

けれども、寛子は持ち前の容姿と得意の笑顔、そしてアルバイト時代に身に付けた営業トークで、社内でもクライアントにも受けが良い。

寛子の働く会社は、本社が東京にある。しかし地方出身の人も多く、実にさまざまな価値観の人々が働いていた。

寛子は社会に出て、あの時当たり前だと思っていたことの多くが普通ではないことを知ったのである。

通勤バッグはブランドバッグじゃなくてもいいこと、友達の誕生日に高価なプレゼントを贈る習慣はあまりないこと、彼氏の乗っている車や育ちにそこまで執着しない人もいるということ。

狭い世界で生きていたのだなという事実は、まだ社会を知らなかった寛子には大きな発見であった。しかしやはり4年間で染み付いてしまった“元神戸嬢”の感覚が抜けきれない場面もあり、戸惑うことも多かった。


“元神戸嬢”読モ発ブランド


“神戸嬢”たちから抜け出したくて辿り着いた今の生活に、寛子は充分満足していた。

しかし多少の息苦しさがあったものの、強烈に華やかだったあの頃の記憶は、今も鮮明に脳に焼きついている。

だから当時の感覚を共感し懐かしむことのできるこのランチ会は、寛子にとってはいま、楽しい時間となっていたのだった。

神戸嬢だった自分は、もう過去のものだから―。




「寛子は、最近どうなん?」

圭子の問いかけに、寛子はハッと我に返った。

「毎日なんか忙しいけど、そこそこ充実してるかな。彼氏はできひんけど。圭子は、ブランド順調?」

寛子はそう答え、圭子に話を振った。

圭子は現在、自分でブランドをプロデュースしている。今日着ている洋服もきっと、自分のブランドの新作だろう。

元々菜々子のブランドのアルバイトとして有名だった圭子は、結婚してさらに箔が付き、人気は衰えることなくブランドも順調そうだ。

当時はブログが全盛期であったけれど、今はインスタグラムが発信源になっている。

あの頃、寛子たちが活躍したあの雑誌は、もう廃刊になってしまった。

圭子を始め、「神戸組」のメンバーは全員が“元有名神戸嬢”であり、インスタグラムのフォロワーは全員が1万人を超えている。

圭子だけではなく、“元神戸嬢”たちの多くが自身のブランドを展開している。

「亜由香のブランド、今度期間限定POP UPが決まったらしいで!」

アルバイト仲間だった亜由香は、買い付けをした洋服を販売するECサイトを運営している。亜由香が着こなすコーディネートが人気で、売り上げは好調。期間限定店舗へ出店の声かけがあったらしい。

当時、何かと寛子へ敵意をむき出しにしていた亜由香も現在は一児の母。子育てをしながら自身のECサイトを運営するというライフスタイルが、同世代のママたちへの憧れに繋がっているようだ。

「亜由香の店、みんなで見に行こう!」

各々スケジュールを確認する。

同世代の“元神戸嬢”たちの活躍は嬉しくもあったが、同時に今の自分への焦燥感も掻き立てられた。

しかし彼女たちのように神戸嬢であることを活かして生きてゆく延長戦上には、当時強烈に感じた“閉塞感”が存在するのだ。

神戸嬢だった自分は、もう過去のものだから―。

寛子は再び、そう思いなおす。

ランチ会はとても楽しい時間だが、同時にさまざまな感情が一気に押し寄せるのだった。

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神戸に乱れ咲く、読モ発ブランド。“元神戸嬢”たちの第二次戦争。