MicrosoftでWindows95の設計に携わって「右クリック」などを現在の形にし2000年に退社、以来ベンチャー企業を率いて活躍する世界的エンジニアの中島聡さん。中島さんは自身のメルマガ『週刊 Life is beautiful』で、退社のきっかけとなった名著『イノベーションのジレンマ』について触れつつ、Microsoft凋落のきっかけになったともいえるMicrosoft社内での「とある出来事」について明かしています。

『イノベーションのジレンマ』新解釈

クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』という本が、私がMicrosoftを辞めるきっかけを作ったという話は、ブログなどに何度も書いてきました(参照:図解、イノベーションのジレンマ)。大企業と比べると、資本力も人的リソースもはるかに劣るベンチャー企業になぜチャンスがあるのかを明確に説明している本書は、私に限らず起業家精神に溢れた人たちにとってのバイブルとも言える名著です。

しかし、実際に自分でベンチャー企業を立ち上げ、かつ、多くの大企業とのビジネスをしてきた結果、このジレンマの実態がより明確に見えてきました。

クリステンセンが『イノベーションのジレンマ』の中で唱えている説は、既存の市場で成功している企業は、既存の顧客を大切にするあまり、(顧客を満足させるには問題となる)根本的な欠点があるものの、はるかに安い、小さい、早いなどの長所を持つ破壊的イノベーションの可能性を過小評価してしまい、(失うものがなく、破壊的イノベーションに社運をかけることのできる)ベンチャー企業に負けてしまう、というものです。

確かに、この説に当てはまる例は数多くあるし、私自身も目撃して来ました(Microsoft OfficeとGoogle Drive、もしくは、Microsoft WindowsとLinux)。しかし、それだけでは、資金力に余裕のある大企業がなぜ、その手の破壊的イノベーションに全くと言って良いほど投資できないのかが説明できないと思うのです。

私自身、Microsoftにいた時に、ウェブ・アプリケーションの可能性に気づき、NetDocsというプロジェクトを立ち上げたことがあります。ちょうど、Googleが誕生した1998年のことです。

Microsoft Officeのように、特定のOSに特化して作られ、パソコンにインストールして走らせるパッケージソフトの時代は終わり、ブラウザ上で動くウェブ・アプリケーションの時代が来ると確信してのことです。Microsoftの中で、この事実に気がついていた人はそれほど多くはありませんでしたが、ネットスケープが公開しているホワイトペーパーを読めば、一目瞭然の話でした。

当時、私自身はWindowsグループでソフトウェア・アーキテクトをしていましたが、Officeグループのソフトウェア・アーキテクトの知り合いスリーニ・コッポルと二人で、ウェブ上で走るオフィスアプリケーションを作るグループを立ち上げたのです。HTMLとJavaScriptのみを使い、IEだけでなく、他のブラウザでも動くような設計のウェブ・アプリケーションです。

当初は、スリーニと私を含めた数人のエンジニアで、まずはブラウザ上でシンプルなワープロを動かすことを目的に小さなプロジェクトを立ち上げ、数ヶ月でそれなりの機能を持つワープロが少なくともIE上で動き始めるところまで持っていくことが出来ました(ネットスケープ・ネビゲーター上での開発も並行して進めていましたが、jQueryのようなライブラリも存在しないので、簡単ではありませんでした)。

しかし、そのプロジェクトがある程度軌道に乗ったところで、それまでOutlookを作っていたブライアン・マクドナルドという副社長クラスの人が私たちのプロジェクトに目をつけ、担当重役として指揮を取ることになりました。

ブライアンは、ビル・ゲイツやスティーブ・バルマーからの信頼も厚い人で、予算もふんだんに確保し、あっという間にプロジェクトの人員は200人を超える規模にまで膨らみました。

プロジェクトもその規模になると、ビル・ゲイツやスティーブ・バルマーへの定期的なレポートが必要になるのですが、最初のミーティングから帰って来たブライアンは「Windowsビジネスのことを考えれば、(HTML+JavaScriptではなく)ActiveXで作るようにという指示をもらって来た」と言うのです。

それでは当初の「インストールが不要で、どのブラウザでも動くウェブ・アプリケーション」というビジョンから大きく外れてしまうので、私とスリーニは猛反対しましたが、ブライアンだけでなく、会社のトップの経営判断に逆らうことは不可能で、プロジェクトは一から作り直しになりました。

その結果は、惨憺たるもので、インストールが必要なActiveX は肥大化し、生産効率もはるかに落ちてしまいました。当初よりもはるかに多くのエンジニアを抱えていたにも関わらず、シンプルなワープロを完成させるまでに、1年以上の時間が必要となったのです。

プロジェクトが進捗し、会社の中での存在感が大きくなるに従い、Microsoft Officeグループから「Officeビジネスを脅かす製品を作ることはけしからん」という声が聞こえるようになりました。

当然といえば当然の話です。その時点の私は、「いつかはアプリケーションをパソコンにインストールする時代は終わる」と確信していました。つまり、Microsoft自身が作らなくても、どこか他の会社が作ってしまい、それが Microsoft Officeの強力なライバルになるのだから、それよりは社内で作った方が良いという考えです。

しかし、残念なことに私の考え方は認められませんでした。最後には、ブライアンがOfficeグループの副社長と会社の首脳陣の前で交渉し、「Netdocsは、Microsoft Officeと同等の機能は提供しない」というとんでもない約束をしてしまったのです。Netdocsは当初のビジョンのかけらも持ち合わせないプロジェクトになってしまったのです。

その後、いくつかのベンチャー企業(UpstartleとXL2Web)がブラウザ上で動くオフィスアプリケーションを作り始め、それらの会社を Googleが2005年〜2006年に買収する形でまとめたのがGoogle Docs(現在の Google Drive)です。 Microsoftがブラウザ上で動くオフィス・アプリケーション(Office365)をリリースしたのは、さらに遅れて2011年のことです。

確かに、Officeグループの行動だけを見ると、クリステンセンの指摘通りです。既存の顧客たちは、ブラウザ上で動くオフィス・アプリケーションなど欲しがっていなかったし、やるべきことは、既存のアプリケーションをより高機能に、より使いやすくすることでしかなかったのです。

しかし、数は少ないとは言え、ブラウザ上で様々なアプリケーションが動く時代が来ることを、そしてそれが Microsoft Officeを脅かす存在になることを直感的に理解していた人たちはMicrosoft社内にもいたし、(途中で方向が変わってしまったとは言え)Netdocsというプロジェクトも立ち上げることが出来たのです。

では、なぜ Netdocsプロジェクトは失敗に終わってしまったのでしょうか?

私は、実際の会社の中では、クリステンセンが『イノベーションのジレンマ』で書いていた理由以上の強い力が働いていると思います。その力とは、大きく分けると

市場で成功している製品とそれがもたらす利益を、社内の敵からも守ろうという力目に見える形の成果を求める力自分たちが得意なこと、自分たちだけにしか出来ないことをやろうとする力社内政治

の4つになります。

一番目のものは、とても分かりやすいのですが、Microsoftにとって「Windows OS向けに作られた Officeアプリケーション」は、OSビジネスとアプリケーションビジネスの両方においてとても重要だったのです。なので、Netdocs をブラウザ上で動かすことは、アプリケーションビジネスにとって脅威なだけでなく、OSビジネスにとっても脅威だったのです。

経営陣が、「Netdocsは ActiveXを使うべき」と指示を出したのは、OSビジネスを守るためだったし、最後には Microsoft Officeと競合してはいけないとまで言ってしまったのです。

二番目のものは、新規事業が市場規模や市場が立ち上がるスピードの面で魅力的に見えず、どうしても積極的な投資が出来なくなってしまうというジレンマです。

小さなベンチャー企業にとっては、自分たちが作ったアプリケーションを数万人が使ってくれて広告収入が入るだけでも大きな成果です。しかし、Microsoftのような大きな企業にとって、その手の新規事業がもたらす売り上げや利益はあまりにも小さく、積極的な投資が出来ないのです。

Netdocsの場合、数人のエンジニアを抱えた小さなプロジェクトのままで経営陣の目に止まらない形で進めている分には良かったのですが、莫大な予算が着いた途端に変な方向に向かってしまったのは、当然と言えば当然なのです。

三番目は少し分かりにくいのですが、会社には「どこで勝負する会社なのか」という会社の「魂」のようなものがあり、そこから逸脱した行動は非常に取りにくいのです。

Microsoftは、OSや「Windowsアプリケーション」を作って勝負して来た会社なので、C や C++ を使いこなすエンジニアはたくさん抱えていましたが、HTMLや JavaScriptを使いこなせるエンジニアはそれほど多くありませんでした。その意味では、HTMLと JavaScriptだけでアプリケーションを作るよりは、全てをC++で開発して、ActiveXコントロールに詰め込んでしまった方が、理にかなっていたのです。

これは、それまでハードウェア作りで勝負をしていた家電メーカーや携帯電話メーカーが、勝負がソフトウェアに移った途端に極端に競争力を失ったのを見ても分かる通り、かなり本質的なジレンマであり、経営陣が強い危機感を抱いて痛みを伴う改革をしない限りは、解決が難しい問題だと思います。

四番目は、すごく人間的な話ですが、「Outlookを出した後に、自分の価値を経営陣にアピールしたかった ブライアンが、Netdocsプロジェクトに目をつけて、必要以上に巨大なプロジェクトにしてしまった」とか、「Officeグループが Netdocsグループをライバル視してしまい、様々なロビー活動をした」などがそれに当たります。

会社は大きくなればなるほど、会社全体のことよりも自分の出世のことを重視する人たちが上層部を占めるようになるため、このケースのような痛みを伴う(つまり、誰かが出世競争で損をする)改革がしにくくなります。

特に、当時のMicrosoftのように、稼ぎ頭だったWindowsグループとOfficeグループの政治力は絶大であり、彼らの不利益になるようなことをすることは、とても難しかったのです。

つまり、会社として、たとえ「破壊的イノベーション」がもたらすだろう危機を正しく認識できたとしても、既存の製品が大きな売り上げや利益をあげている場合、その製品の担当重役が社内で強い影響力を持つため、その人が政治的に動いて、社内で起ころうとしている「破壊的イノベーション」の芽を摘みに来る可能性が高いのです。

そこには、「自分たちが稼いだ金で、新しいことをやろうなんてずるい」という嫉妬心もあるだろうし、「市場で成功している製品と競合する製品を自ら作る必要はない」という自己防衛の気持ちもあるのだと思います。

そのためには、よほどトップに時代の流れを読む力があり、短期的な売り上げや利益に囚われずに、経営判断をする必要がありますが、当時トップだったスティーブ・バルマーには難しかったのだと思います。

この経営判断の失敗は、Netdocsだけでなく、ネットやスマートフォンに関わる様々な場面で起こり、それが結果として、Microsoftの「失われた10年」(2000年から2009年)の原因になったと私は解釈しています。

「後からそんなことを言うのは簡単だ」と思うかも知れませんが、そんな状況を憂いて、2000年前後に(90年代のMicrosoftの成長を支えていた)優秀なエンジニアたちがMicrosoftを辞めてしまったことは、紛れもない事実です。

そして、今まさに全く同じようなことが自動車業界に訪れていると私は強く感じています。

テスラのもの作りに対する姿勢や販売方法は、従来型の自動車メーカーのそれとは全く異なるものです。Uberは、人と自動車の関係が、「持つもの」から「必要に応じて呼び出して使うもの」へと変わりつつあることを、自動運転の時代が来る前に垣間見せてくれています。

今の自動車業界は、2000年頃のコンピュータ業界ととても良く似ています。

コンピュータ業界では、インターネットとモバイルデバイスが、業界全体に大きな変化をもたらし、18年の間にGoogle、Facebook、Amazon、Apple、Netflixなどの企業価値が大きく上がりました。

自動車業界で、その役目を果たすのは、電気自動車、自動運転、シェアリング・エコノミー、コネクティビティの4つです。その4つが複雑に絡み合い、ソフトウェアやウェブサービスの重要性が増し、自動車が「持つもの」から「必要に応じて呼び出して使うもの」へと変わるのです。

そして、最終的には、人が自動車を所有したり運転する時代が終わり、「トランスポーテーション・サービス」事業者が複数の自動車を群として所有し、運行する時代へと変わるのです。

image by: Ken Wolter / Shutterstock.com

※ 本記事は有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』2018年4月17日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

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