41歳、「私のいなくなった世界」を想像してみた

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毎年6月になると筆者の職場では健康診断が行われる。

もうバリウムを飲むような年齢になって数年が経った。
最初の2回こそうまく飲めずに泣いて中止になったものの、今となっては、どうってことなく、流れ作業であのセメントみたいな見た目の、なんともいえない味のする液体を飲むことができる。

胃のポリープは何年か前から指摘されているものの、ほかはとくに何もいわれぬままここまできている。しいていえば、毎年視力が上がったり下がったりしていることくらいだろうか。

胸のエコーでは昨今の事情を慮ってか、医師がとても丁寧に説明をしてくれた。たまに胸がちくちくすることがあったのだが、心配がないといわれ、部屋を出た。

しかし、最後の最後、体重測定でそれは起きたのだ。

担当看護師は小声でいう。

「去年より4キロ増ですね」

……えっ!

そういえば、夕方になると足がゾウのようにむくんでいたな。
結婚指輪が指から抜けないことに気づいたのは3ヵ月ほど前だったろうか。

ああ、言われてみれば寝るときに息苦しいことがあったな。
直近の妊娠中に不整脈を指摘されていたから心配していたのだが、どれもこれも、むくんでいたのではない。そう、太っていたのだ……。

メタボをギリギリ回避した私は、その晩からダイエットを誓ったのだった。

≪中年で太りだすと、痩せにくいし、このままいったら健康に悪い……!≫

■今のいろんなシステムは“夫が先に死ぬ前提”でできている?


以前、ファイナンシャルプランナーさんに家計診断というのをやってもらったことがある。
生命保険などが適切なものかを診断してもらうイベントだったのだが、仮に夫に先立たれた場合でも、遺族年金というのがあり、住宅ローンも団信(=団体信用生命保険)という保険に入っているため、夫死亡時にはその時点でローンの支払いが終了する。だから母子の生活はそれほど困窮しないのだ、と告げられた。

「だから奥さん、安心してくださいね」と言われたのだが、そうじゃない。私が気にしているのはその逆だ。

夫婦共働き、そんなに収入格差のない夫婦である場合、妻が先に死んだら、そのあとどうなるのだろう?

最近は団信にも夫婦で入れるものがあって、妻の死亡時にもローンの支払いがそこで完了となるものがあるようだが、おそらく我が家が契約しているのはそれではない。

筆者は一応会社に雇用されて社会保険を支払っている身なので、死んだ場合は遺族年金が支払われるであろう。しかし、夫の場合の額よりは条件等で少なくなるかもしれない。

生命保険はどうだ。
夫死亡時のリスクを考えて、夫の死亡保険金のほうが多くなる契約にしていたはずだ。私が死んでも葬式代程度の契約ではなかったか。共済も入っているので、生命保障をガツンとあげたほうがいいのだろうか。

……うーん、いろいろと不安になってきた。

■たとえばぼくが死んだら


つまり、私が先に死んでしまうと、夫は幼い子を2人と、住宅ローンも抱えたまま生きていかなくてはならない。

シングルになることで保育料はいくらか安くなるだろう。児童手当のほかに児童育成手当は支給されるが、児童扶養手当は所得制限に引っかかってもらえそうにない。いくらかの遺族年金が入るにしても、今の私の収入には程遠いものになるだろう。

……夫はそのときどうするのだろうか。

昔シャレでいっていたように、家を売却し、子どもを連れて田舎に帰ってしまうのだろうか。しかし、一人娘の子(=孫)を遠くに連れて行かれてしまう私の両親の気持ちを考えると、なかなかにつらい。まあ、“死んでしまった私”が悪いのだけど。

実家に帰ったら、夫は後妻を斡旋されたりするかもしれない。
……後妻、来たらちょっと呪っちゃうかもしれないなあ。家に入るたびに山崎ハコの「呪い」がかかるようにしちゃうかも。

そうだ、田舎に帰ったところで仕事はあるのだろうか。そもそも、実家に仕事がないから上京してきたのでは?

お墓はどうするのだろう。
このまま何もなければ、夫の実家にある代々の墓に、私の灰と化した骨は収納されるはずだ。

夫の実家に帰った面々はそれでもいいが、東京で暮らす、高齢になった私の両親には、墓が遠い。

なんかもうちょっと、ポータブルな墓はないのだろうか。気軽に持ち出せる感じの……。たとえば、分骨? それとも近場の海に散骨?

その前に、一人っ子である私は“親のお墓問題”というのもあるのだ。
……お墓に「そこに私は眠ってなんかいません」と貼り紙できたらどんなに気軽だろうか。

子どもも、上の子は小学生である。新しい環境になじむまで、それなりの時間は要するだろうし、東京から来たということでいじめられないといいなあ。

そして、昔よりも住む場所が教育において大事と言われがちな昨今である。せっかく東京に生まれた子たちなのだから、そのアドバンテージは有意義に使って欲しいのだ。

……これはすべて“死人のエゴ”なのだが。

■死なないように生きる


ここまでいろいろ考えてみたが、筆者は先に死んでも、心残りのあまり「そっと忘れて欲しい」なんて言えない気がしてきた。

しかし“一歩間違ったら死”“振り返れば死”というのが中年期である。
そこで慎重に「死なないように生きる」という目標を立てたい。

・その1:健康的にやせる
小さいときから太っていた筆者である。人生でやせていた時期は結婚前の数年だけという状況。ここで人生が終わってしまうと、みんなの心に「ずっと太ってた人」という印象を残しかねないので、更年期を前にきれいにやせてみたい。

筋肉量を増やして代謝を上げる方向で、長男が習っているダンスの振りを覚え、家での自主練に付き合っている。

・その2:配偶者もダイエットに巻き込む
夫は丸い。
しかも中年期になってから丸くなり出したので心配だ。持病もある。
その夫が我が家では料理担当なのだが、ご飯がおいしく、私がどんどん丸くなってしまった。そこで、夫にダイエットをしてもらえば必然的にダイエット食が食卓に並ぶわけで、一石二鳥なのである。

・その3:健康診断はマメに
会社勤めなので年に1度は必ず健康診断があるのだが、区から健診チケットが来る年は、ボーナスチャンスと思って積極的に受けに行きたい。

・その4:保険、見直すかも
自分の意思で保険というものをしばらくかけてわかったのは、ライフステージの変化でニーズが変わるということ。
もはや何がいいのかがよくわからなくなっているのだけど、自分で調べたり相談してみようと思う。

・その5:“死ぬまでワクワクしたいわ”
育児はそれだけで負荷のあることだけど、ストレスをためないように、隙間をぬってできるだけ好き勝手やっていきたい。
「もう、うちのオクサンしょうがないなあ」と夫は思うのかもしれないが、“お母さん”が好き勝手やれたことのフィードバックを家族にできれば、それはたぶん幸せだ。

・その6:念のため、書き残す
とはいえ、いつパタッと逝ってしまうか誰にもわからない。
急に私がいなくなっても困らないような引継ぎ書を作っておいたほうがいいだろう。公的なものや銀行口座、いざというときに知らせないといけない人たちなど、夫婦でも意外と知らないことは多い。

・その7:思い出、作ろう
ちょっとがんばって休みのたびに家族でいろんなところに出かけたい。
下の子(2歳)の記憶に残るのはもう少し大きくなってからだろうけど、小1の記憶は大人になってもきっと残る。思い出のストックは、きっと味方になってくれるはずだ。
そして、どんな些細なことでもいいから、動画を撮ろう。静止画とはまた違ったライブ感がそこにはあるのだ。

≪私が死んでも、テレビの中にいつもいるからね。≫

■「人生の安パイ切りたい」と思えるようになるまで


その昔、中二病をこじらせて「おばさんになる前に死にたい」と思っていた。
10代後半の、生と死の境がうすっぺらい時期の話だ。

それでも成人して、髪の色を黒くし、抗っていたけどお勤めをするようになり、流れ流れて子をもうけ、その「おばさん」になって今にいたる。

無の状態から人間を産むという体験をし、生というものに執着するようになった。
どれだけ手間をかけて産むかというのをひと通り見ることができたからである。これがゼロどころかマイナスになってしまうのはもったいなさすぎるし、腹立たしい。

長く生きていると日に日にずうずうしさがましてくるものなのか、子どもが増えて毎日のタスクがすでにあふれたまま運用しているせいなのか、細かいことに鈍感になった。

今の状態、非常に生きやすい。

「おばさんってちょうどいいぞ」と気づいたのは昨年、40歳を迎えたあたりであった。

人生における中年期は長い。その時期をいかに楽しめるかを考えたいなあと思っていたところだ。病気や怪我など、気をつけて防げるものがあれば防ぎ、一日も長くこの“ちょうどいい人生”を健康な状態で楽しみたいと思っている。

……しかし、自分が健康でも子に先立たれるのは大変な痛みである。想像するのもつらい。

「長生きしてね」

と長男に言うと、6歳児は少し考えて

「200歳まで生きる!」

と返した。

江戸時代の平均寿命を思うに、息子たちの時代には可能になっているかもしれない。
うん、がんばってなってね、と私は笑った。

ワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。