「汗で味付け」マンガに見る食の安全意識
![「汗で味付け」マンガに見る食の安全意識](https://image.news.livedoor.com/newsimage/2/e/2e75f_1238_8ef389d5_2e674825-m.jpg)
■指から出血したままキャベツを刻む味平
外食産業の充実、調理手法・技術の進化、店と客の距離感……。中でもこの数十年で大きく変化したのは、衛生への意識などに象徴される「食の安全」にまつわる常識だろう。そうした視点でいま『包丁人味平』を読み返してみると、「ええええっ!?」と思わずギョッとしてしまうような表現も少なくない。例えばこんなシーンもそのひとつだ。
とか
あたりのコマだ。これらは『包丁人味平』1巻での描写だが、上記の3コマが含まれる厨房が描かれた見開きにチーフコックの北村は6回登場する。そして、そのすべてでパイプ(たばこ)をくわえている。北村チーフは厨房でも客前でもパイプを手放さない。いくら1970年代であっても、実際に生の肉を切りながらパイプを吸うコックはそうはいなかったろうが、たばこに対して寛容だった世相が作品にもキャラクターにも反映されている。現代ならば「いくらマンガとはいえ、他のシーンの説得力に関わる」などと編集者からNGが出そうな場面だ。
他にこんなシーンもある。こちらも1巻から。
味平が包丁で手を切り、出血したまま平気でキャベツを切っている。ちなみに「平気で」とは言ったが、手を切ってでも調理を続ける気合を賞賛しているわけではない。
現代では、プロの調理現場で手を切った者は調理から外れるか、それが難しい環境でもゴム手袋などを着用するのは常識となっている。手に傷や湿疹があると、食中毒菌でもある黄色ブドウ球菌がそこで増殖し、食中毒を引き起こすリスクが高くなってしまうからだ。だが、外食産業黎明期とも言える当時は、そうした衛生知識がない“プロ”も多かった。
■「鮮魚店の刺身の92%から大腸菌が検出」された時代
さかのぼってみると昭和20年代、食うや食わずやの時代には衛生観念など二の次だった。例えば1949年(昭和24年)5月7日に施行された飲食営業臨時規整法は、あっという間に骨抜きとなっている。当時の報道によれば、施行からわずか1カ月後の6月16日に厚生省(現・厚生労働省)は「食品衛生法を厳密に適用すれば、露天営業は総崩れとなるので、公衆衛生上支障を来さない限度で緩和するよう、全国都道府県知事に通知」したという。理想を掲げたところで環境整備が追いついてこなかった頃の話だ。
実際、1953年(昭和28年)の東京都衛生局の調査では、鮮魚店の刺身の92%から大腸菌が検出されるという、現代では考えられないような結果も出ている。同年5月28日の朝日新聞東京版では「うっかり食えぬサシミ」「安全率は十回に一回」という見出しの特集が組まれ、その締めには都の衛生局職員が実名で「ですから私、サシミなど食わんですよ」とコメントしていた。何事においても、おおらかな時代だった。
昭和30年代に入ると、環境やインフラ面での衛生管理は強化されたが、過渡期ということもあってか、かえって集団食中毒などの事例が可視化されるようになる。1955年(昭和30年)には1年間で食中毒患者6万4000人以上、死者450人超という、最悪の食中毒禍が起きてしまう。
1960年代に入っても食中毒は常に身の回りにあった。朝日新聞だけを見ても「多い家庭の食中毒」(1963年)「冷凍マグロで食中毒 業者に取り扱いを注意」(1967年)、「のんびり衛生行政 おびやかされる食卓」(1968年)などの記事が掲載されており、さまざまな角度から衛生への注意喚起がなされている。しかし作り手の衛生意識は一朝一夕には変わらない。
『包丁人味平』が描かれた1970年代も、時代を包む衛生意識は戦後から高度成長期までと大差なかった。例えば、最初の料理対決となる「包丁試し」における「潮(うしお)勝負」。お湯と塩だけで吸物の味を決める対決で、コック歴数カ月の味平がベテランの仲代圭介と対決するシーンがある。店で味つけをしたこともない味平の不利は否めなかったが、流れ落ちる「汗」が鍋に入ったことで塩味がピタリと決まり、味平は勝利を引き寄せる――。
ストーリー上、味平が勝利するのはいいが、2017年を生きる現代人にとってはこの内容はドン引きだ。テレビのグルメ番組で「鍋に汗が!」というシーンが放送されたらクレームが殺到するだろうし、ニコニコ動画などでストリーミング配信されたら弾幕確定案件となるに違いない。
■急激な経済成長は衛生面を置き去りに
ことの善し悪しは置いておくとしても、この40数年で日本人の衛生観念は変化した。当時は、現代からすると「ありえない」光景であふれていた。1974年には即席めんにカビ、ネズミのフン、虫などが混入していたとして、2000以上の製造、販売業者が処分を受けた。まだ商店や飲食店の天井からハエ取り紙が下がっていた時代の話だ。
ちなみに「包丁試し」の審査を最終的に取りしきったのは、“包丁貴族”との異名を持つ団英彦という一流ホテルのシェフだった。このシェフ、ホテルの厨房にハエが一匹いたというだけの理由で「ウウ……気分がわるい!」「だ、だれかわたしのベッドを用意してください」と倒れ込んだ揚げ句、ホテルを1カ月間休業させてしまう。異常なまでの潔癖症とも言えるキャラクターだ。
にも関わらず、この団英彦は「包丁試し」で汗入り潮汁を支持し、味平の勝利を告げる。総評で「こういう汗のにおいのするフケツきわまりない料理のつくりかたは生理的に大きらい」と言ってはいるが、ことは好き嫌いの問題ではない。団よ、なぜこの勝負だけ衛生観念が欠落してしまうのか。高い技術を持つ潔癖な男でさえも、時代の空気には流されてしまうということなのか。
どんな理想を掲げる者であっても、「食」という人間の営みに関わる職業において、その時代を形成する社会の空気と無縁ではいられない。もし勝負がもっと後世で行われたなら、団英彦の判断は高潔な高みからブレることなく、「包丁試し」の結果においても味平が勝利することはなかったに違いない。
外食文化の黎明期、衛生環境が不十分だったのは、衛生意識の欠如だけが理由ではない。日本の高度成長期は世界の歴史上、類いまれな、目覚ましい経済成長だった。食品製造業や外食産業も例外ではない。急速な発展は、衛生意識やコスト面を置き去りにした、いびつな成長だった。そして成長と繁栄を優先した結果、現代で言う「食品偽装」や「食材偽装」が横行するようになる。
『包丁人味平』にもそうしたシーンは描かれている。序盤の舞台であるキッチンブルドッグのチーフコックは前回(http://president.jp/articles/-/21839)紹介した北村だが、一時期店を離れた折、後に包丁試しで味平と勝負することになる仲代が北村の代理として店を切り盛りするシーンが描かれている。そのとき、仲代はひそかにメニューの内容を変更していた。ハンバーグのパティを牛肉から「ブタ肉が3割に魚のソーセージをひいたものをまぜた粗悪品」に変えてしまうのだ。本来であれば、ハンバーグの仕込みを変えれば、厨房のコックたちにはわかるはず。しかしながら、キッチンブルドッグのコックたちはベテランも含め、この件に一切気づいた様子がない。そろいもそろって注意力に欠けている。
■食中毒、食品偽装は食文化が醸成される過程のエラー
『包丁人味平』での仲代は味平の敵役として登場するが、この“偽装ハンバーグ”では実に含蓄のあるセリフを連発している。
「ハンバーグってのは高けりゃ高いように、安けりゃ安いように作れる料理だ」
「だからこそ、その店の信用……コックの味に対する心構えのわかりやすい料理なんだ」
「客の舌は正直だ。あのハンバーグをもう一度やれば一度食べたものはだれも注文しねえぜ」
「しょせんしろうと経営者ってのはもうかりさえすれば…と思っている」
「どうやらこのマスターは自分の店の首を自分の手でしめようとしているぜ」
「料理人にはふたつの道がある。味に生きるか利益に生きるかだ……!!」
もはや名言と言っていい。作者のビッグ錠は「私はほとんどウソばっかり描いてますから」と笑うが、仲代のセリフには一定の真実も含まれていると考えていい。実際、この名言が誌面に載った数年後、ハンバーグに原材料規格が制定されることになる。
先鞭をつけたのはハンバーグ・ハンバーガー協会だった。同協会は1975年、ハンバーグやハンバーガーに牛肉含有量などを基準に自主規格を策定。その2年後の1977年、ハンバーガーパティとチルドハンバーグについてJAS(日本農林規格)が制定された。その内容は「成分のうち75%(上級品は95%)以上が畜肉」「上級品は100%牛肉」というもの。畜肉、とりわけ牛肉の比率を重要視する規格だ。
裏を返せば、当時は「牛肉がごちそう」だった時代である。現代も牛肉がごちそうであることに変わりはないが、1970年代はまだごちそうのバリエーションが少ない頃。すき焼きや"ビフテキ"といった牛肉メニューが醸し出す「ハレのごちそう」感は現代とは比較にならないほどだった。ハンバーグにしても例外ではない。
仲代の「ブタ肉が3割に魚のソーセージをひいたものを混ぜた粗悪品」というセリフは、まだ豚の地位が低かった当時ならではの物言いだ。混ぜものがしやすいハンバーグには付け入るスキが多い。ハンバーグという人気アイテムに乗っかりたい“まがいもの”対策として、規格整備のピッチが上がったという面はあるだろう。
しかもパティにはどんな肉が入っているか、ひと目ではわからない。それ故、火のないところに煙がモクモク……なんてこともある。例えばこの頃、アメリカのマクドナルドのハンバーガーパティについても、とある噂が広まっていた。結果、その都市伝説は海を越えて日本の新聞報道にまで至ってしまう。
<日本でもおなじみのマクドナルド社のハンバーガーにミミズが使われているとのうわさが米国に広まり、売り上げが激減、同社は頭を抱えている(中略)。このうわさはことし8月テネシー州チャタヌーガで広まったのが発端。同社はこれまでの広告で「100%牛肉を使ってます」と強調、うわさ追放に躍起になっている(AP)>(1978年11月16日付 朝日新聞)
見出しは「『ミミズ』に食われる」。マクドナルドとしては、噂レベルであってもダメージは大きかったろうし、実際こうした噂は一時期日本国内の小中学校でも飛び交っていた。自らの手で正体の確認しづらいものに人は不安を抱き、その不安が噂を拡散させる。そうした構図は当時もいまも変わらない。
現代でさえも「食の安全」にまつわる情報の判断は難しい。ましてや半世紀前となればそもそもの情報量が少なく、情報の真贋を検証するすべもごくわずかだった。わずか50年ほど前、「衛生」にコストをかけなかった時代から現代までを足し上げると、国内で延べ100万人以上の食中毒患者が確認されている。罪悪感の欠如した「食品偽装」「食材偽装」も幾度となく繰り返されてきた。
それでも統計を見ると、この数十年で食中毒患者の数は半減した。長きに渡って繰り返される“偽装”もさまざまな事件・事案は起きるものの、件数は少なくなり、存在感は薄くなってきている。食中毒も偽装も食文化が醸成される過程でのエラーであり、そのエラーを修正することで食文化は醸成されていく。現代日本の食は一定の成熟を見たと言われるが、我々もまた長い食文化の歴史のなかでは、それぞれ一人の生き証人に過ぎないのだ。
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東京都武蔵野市生まれ。ライター/編集者/「食べる」「つくる」「ひもとく」フードアクティビスト。テレビ、ラジオでの食トレンド/ニュース解説のほか、『dancyu』などの食専門誌から新聞、雑誌、Webで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食と地方論」をテーマに幅広く執筆、編集を行う。著書『新しい卵ドリル』『大人の肉ドリル』などのほか、経営者や政治家、アーティストなどの書籍企画や構成も多数。「マンガ大賞」選考員。
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(ライター/編集者/「食べる」「つくる」「ひもとく」フードアクティビスト 松浦 達也)