名コーチ・伊勢孝夫の「ベンチ越しの野球学」連載●第1回

 選手、フロント、コーチとして50年以上もプロ野球界に身を置いてきた伊勢孝夫氏。野村克也監督政権下のヤクルトでは打撃コーチとして2度の日本一に貢献し、渡り歩いた各球団で中村紀洋や坂本勇人、山田哲人らを育て上げるなど、球界屈指の名コーチとして名を馳せた。プロ野球界の表も裏も知り尽くした男だからこそ語れる「究極の野球学」に耳を傾けてみよう。


一昨年限りで現役を引退し、昨年から巨人の指揮を執っている高橋由伸監督

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《球団記録となった連敗は13で止めたものの、そのあと日本ハムに2連敗。巨人・高橋由伸監督の2年目は、想像以上に厳しい戦いが待っていた。獲得したFA選手の不振、ドラフト戦略、選手育成の遅れ……など、低迷の原因としてフロントの問題も取り沙汰されている。その一方で、高橋監督の「指導者としての経験のなさ」も指摘されている。では、高橋監督に足りないものは何なのか。そもそも指導者としての経験とは、何を意味するのだろうか。》

 まあ、巨人にとっていちばんアンラッキーだったのは、チームの調子が落ち始めたときに交流戦が始まったことだろう。今の巨人の投打では、パ・リーグ相手に苦戦するのは明らかだ。しかし、そんなことは交流戦前にわかっていたはず。より正確に言うなら、わかっていなければいけないことだった。つまり、セ・リーグ相手の戦いと何を変えて臨むのか、明確な方針を持つべきだったのに、巨人はなし崩し的にズルズルと交流戦に突入してしまった。

 さらに、最初のカードがパ・リーグ首位の楽天というのもツキがなかった。もし調子を落としているチームとの対戦で、ひとつでも勝っていたら、その後のムードはまるで違ったものになっていただろう。そうした運のなさも、今の巨人というか、由伸監督には感じられた。

 ただ運というのは、自分で呼び込むものでもある。そこで問われるのが、選手の起用法であり、采配だ。戦力が整っていれば、誰が監督でも勝てると言われる。それはちょっと極端にしても、要は、負けが込んだときにどうやってしのいでいくか。いわば「危機管理」が監督の最大の見せ場だと言っていい。

《ところが、コーチなど指導者としての経験がないと、采配をふるうにしても、その”引き出し”そのものがない。その点、高橋監督は現役を引退して、すぐに監督という座に就いてしまった。》

 監督になってまだ2年目だから……というのはあるけど、持って生まれた性格や、置かれていた立場によっても変わってくる。私はよく、日本ハムの栗山英樹監督と比べるのだが、彼も引退後に解説者の仕事はしていたものの、コーチ経験ゼロで監督に就任し、いきなりリーグ優勝を達成した。昨年も日本一に輝くなど、しっかりしたチームづくりをしている。

 では、由伸監督と何が違うのかといったら、”気配り、目配り”の部分である。栗山監督はヤクルト時代の教え子だからよく知っているが、監督になってもまったく変わらない。若い選手や裏方などに接するときも、上から目線で言うのではなく、相手の立場に下りて話す。

 一見、当たり前のように映るが、実は簡単なことじゃない。それだけプロ野球の監督というのは、ちやほやされる職業というわけだ(笑)。

 栗山監督とは対照的に、由伸監督は巨人のスーパースターだった。私も2年ほどだが、巨人に在籍した経験があり、チームの空気は知っているつもりだ。彼の現役時代は、ほかの若い選手が気安く話しかけられる存在ではなかった。もう10年以上も前のことだが、由伸監督の話し相手といったら二岡(智宏)など、限られた選手だけ。

 まだ、現役のときは自分のことで精一杯だから、それでもいい。でも、そのまま監督になってしまうと、なかなか人の意見を聞く姿勢みたいなものができない。そうなると孤立してしまう。

 彼は現役を引退して、充電期間もコーチ経験もないまま監督になってしまった。チーム事情もあったのだろう。その部分については、気の毒な面もある。しかし、監督となった以上、チームを勝たせることが最優先であり、そのためには自分を変える必要がある。

 その点、(阿部)慎之助なんかは、ほかの選手の打撃を見てはアドバイスをしている。キャンプ中なんて、マンツーマンで小林(誠司)にキャッチャーのイロハを叩き込んでいたけど、チーム事情とはいえ一選手の仕事の領域をはるかに超えている。

 でも、教えることで選手と接し、そこで初めてその選手の性格とか、力量がわかってくる。コーチ経験が必要と言われるのは、単に技術の教え方などを勉強するというのではなく、接することで選手の内面がわかることが大きいのだ。

《コーチとして指導するなかで、選手の性格のみならず、限界や伸びしろまでも感じられるようになる。そして監督になったとき、選手の性格も能力も把握していれば、いざ試合になっても迷うことなく起用できるようになるという。》

 打撃コーチなら、二軍でも16人ぐらいの選手を指導しなければならない。毎日毎日、日に焼けながら練習に付き合っていれば、技術はもちろん、性格も自分の子ども以上に詳しくなってくるものだ(笑)。

 たとえば、同じことを何度もさせると飽きてくる粘りのない性格の選手がいたとする。そういう選手は、調子がいいからといって一軍に上げても長続きしない。逆に「これをやっていろ」と命じたら、夕方まで黙々とバットを振り続けている愚直な選手は、ちょっとしたきっかけで一気に育つ。そうやって多くの選手と接してくれば、いざ監督という立場になっても、起用で迷わない。それこそが指導者の”引き出し”である。

 よく二軍の監督をやっていた人が一軍の監督に昇格したとき、自分が育てた選手を使いたがるのは、必ずしも愛情やかわいさだけではない。監督として、その選手の技量を把握しているからだ。

 おそらく、由伸監督は選手の技量の把握は不得手というか、まだ自信を持って『掴んでいる』とは言えないのだろう。ただ、これは年数を重ねれば培えるというものではなく、センスも必要になってくる。だから、コーチ経験がなくても、監督が務まる人は務まる。もし由伸監督が人心掌握術を苦手としているのなら、彼に代わってやれる側近が大事になる。今の巨人ではそのあたりが、はたして機能しているのかどうか、正直、疑問である。

 いずれにしても、監督に求められるのは危機管理能力である。勝っているときはノリノリで、采配だって面白いように決まるものだ。でも、ひとつ歯車が狂ったら、まるで裏目になる。13連敗でストップさせた試合後、由伸監督は「ひとつ勝つことの難しさを学んだ」というコメントを口にしていたが、本当に腹の底から感じたものなのか。もしそうだとしたら、それは今後の戦いのなかで見えてくるだろう。

(つづく)

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