【前園真聖コラム】第116回「チャンピオンシップに見た日本サッカーの変化」
チャンピオンシップに進出した鹿島、浦和、川崎の各チームのみなさん、お疲れ様でした。そして鹿島のみなさん、おめでとうございました。
僕は今年のチャンピオンシップが日本サッカーの進んでる方向を象徴していると思います。鹿島と浦和は別の方向ですが、どちらも正しいでしょう。
鹿島は自分のクラブの生え抜きを多用しました。浦和は必要な選手を移籍させています。一見すると正反対に見えるかもしれませんが、どちらのクラブもどうやって強さを保つかというプランが明確で、しかもぶれていないのです。
チームには必ず世代交代の時期があります。そのときにチームの考えがしっかりしていないと、上位をキープすることは出来ません。常に勝たなければいけないという宿命を持っている両チームは、この点をよく考えていると思います。そういう方向性がしっかりしたクラブでないと上位に上がることはほぼ出来なくなりました。
あとは勝負の彩でした。チャンピオンシップではすべてアウェイチームが勝ったのですが、その中で鹿島は必ず攻めなければいけないという、川崎戦とチャンピオンシップ第2戦で勝利を収めています。「引き分けでも勝ち」という心理状態が、マイナスに働いたのは間違いないでしょう。
それから、鹿島のメンタルがポイントでした。「勝たなければいけない」とい状況に追い込まれたとき、それがプレッシャーに変わる人たちはたくさんいます。しかし鹿島は逆にそれをプラスに変換していました。日本人でもこういうメンタリティを持てるということを証明してくれたという点でも、この鹿島の勝利は価値があるでしょう。
その鹿島のメンタルは若手に引き継がれています。決勝点となるPKを生んだ鈴木優磨ですが、この精神力はたいしたものでした。あの場面で自分に蹴らせろと金崎夢生に迫るあたりは若い選手とは思えない心臓です。こういう選手がいるのも頼もしい限り。このたっぷりの自信は、ちょっと自分の若い時を思い出した感じもします。
ところで、僕は今年のリーグが始まる前の予想で、上位グループに浦和とG大阪、その下に鹿島、川崎、広島、中堅に仙台、大宮、FC東京、横浜FMと挙げていました。
おおむね予想どおりだとは思うのですが、大宮の躍進と柏の復活、G大阪の宇佐美貴史の移籍は予想外でした。また、神戸は毎年予想しづらいチームなので、ちょっと外してしまいましたね。
来年はJリーグからの分配金の枠が広がること、それから成績によって金額が変わることから、高成績を狙っていろいろなチームが勝負を仕掛け、補強してくると思います。予想は難しくなると思いますが、さらに素晴らしいリーグになることを願っています。
僕は今年のチャンピオンシップが日本サッカーの進んでる方向を象徴していると思います。鹿島と浦和は別の方向ですが、どちらも正しいでしょう。
鹿島は自分のクラブの生え抜きを多用しました。浦和は必要な選手を移籍させています。一見すると正反対に見えるかもしれませんが、どちらのクラブもどうやって強さを保つかというプランが明確で、しかもぶれていないのです。
あとは勝負の彩でした。チャンピオンシップではすべてアウェイチームが勝ったのですが、その中で鹿島は必ず攻めなければいけないという、川崎戦とチャンピオンシップ第2戦で勝利を収めています。「引き分けでも勝ち」という心理状態が、マイナスに働いたのは間違いないでしょう。
それから、鹿島のメンタルがポイントでした。「勝たなければいけない」とい状況に追い込まれたとき、それがプレッシャーに変わる人たちはたくさんいます。しかし鹿島は逆にそれをプラスに変換していました。日本人でもこういうメンタリティを持てるということを証明してくれたという点でも、この鹿島の勝利は価値があるでしょう。
その鹿島のメンタルは若手に引き継がれています。決勝点となるPKを生んだ鈴木優磨ですが、この精神力はたいしたものでした。あの場面で自分に蹴らせろと金崎夢生に迫るあたりは若い選手とは思えない心臓です。こういう選手がいるのも頼もしい限り。このたっぷりの自信は、ちょっと自分の若い時を思い出した感じもします。
ところで、僕は今年のリーグが始まる前の予想で、上位グループに浦和とG大阪、その下に鹿島、川崎、広島、中堅に仙台、大宮、FC東京、横浜FMと挙げていました。
おおむね予想どおりだとは思うのですが、大宮の躍進と柏の復活、G大阪の宇佐美貴史の移籍は予想外でした。また、神戸は毎年予想しづらいチームなので、ちょっと外してしまいましたね。
来年はJリーグからの分配金の枠が広がること、それから成績によって金額が変わることから、高成績を狙っていろいろなチームが勝負を仕掛け、補強してくると思います。予想は難しくなると思いますが、さらに素晴らしいリーグになることを願っています。
1973年生まれ。横浜フリューゲルス、ヴェルディの他、ブラジルなどでプレー。アトランタ五輪では、主将として28年ぶりに五輪出場を決めた。2005年引退後は解説の他、少年サッカー普及に従事。2009年、ビーチサッカー日本代表としてW杯に出場。ベスト8に貢献した。