長嶋茂雄80歳。ビートたけしとテリー伊藤はスーパースターをこう語る

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80年前の1936年2月20日、後に日本のスーパースターとなる男がこの世に生を受けた。
男の名は長嶋茂雄。

本日2016年2月20日で、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄は“傘寿”80歳を迎えた。誕生日を記念し、同日付けで7年ぶりの自著『野球人は1年ごとに若返る』も発売されている。


第2次長嶋政権時の1996年2月20日、キャンプ中に赤いちゃんちゃんこを記者団からプレゼントされ、「今日、はじめての還暦を迎えまして……」とお茶目なコメントを残したあの日から、早20年の歳月が流れてしまった。

それはつまり、現役時代はおろか、監督時代もリアルタイムで見ていない、という若い野球ファンが増えてきたことを意味する。彼らにしてみれば、「何だってメディアは長嶋茂雄という人をここまで大きく取り上げるの?」という疑問を抱いてもおかしくはない。

だからこそ、長嶋茂雄は何がすごいのか、は後世に語り継がなければならない。

もちろん、記録面・プレー面における功績だけを見ても、長嶋が稀有な存在であることは間違いない。だが、長嶋茂雄という存在がここまで大きなものとして扱われるのは、「文化としての長嶋茂雄」の側面があるからだ。そんな一面についても、また語り継ぐ必要がある。

そんな「語り部」として打ってつけの存在が、ビートたけしテリー伊藤、2人の熱狂的長嶋信者だ。

長嶋 茂雄  1936年2月20日生 御年80歳
ビートたけし 1947年1月18日生 御年69歳
テリー伊藤  1949年12月27日 御年66歳

1947年〜1949年は、まさに「団塊の世代」を指す。日本において第一次ベビーブームが起き、文化的に大きな潮流を生み出した世代が少年時代に見たもの、それがひと回り上の世代のトップランナー「長嶋茂雄」だった。

奇しくも2人は昨年、長嶋茂雄を語り尽くす自著(テリー伊藤『長嶋茂雄を思うと、涙が出てくるのはなぜだろう』、ビートたけし『野球小僧の戦後史』)を上梓し、長嶋茂雄への尽きない愛と敬意を綴っている。

天才は、天才を知る。
本稿ではテリー伊藤とビートたけし、2人の著書の中の言葉から「長嶋茂雄とは何者なのか?」を改めて浮き彫りにしてみたい。

長嶋茂雄=宗教


人はなかなか、自分の好きなものでも素直に「好き」と表現できない。それは、見栄や周囲の目、好きなものから自分が評価されてしまう、という恐れがあるからだ。

《ところが、「長嶋茂雄が好きだ」ということだけは、だれもが大声で言える》とはテリー伊藤の弁。テリーはこう続ける。

《やくざも警察も、右翼も左翼も、長嶋の前では同志になれる。みんなが無条件で大好きで、だれもが素直に見つめる存在》
《長嶋の前に立つと、無防備になれる。純粋になれる。すがすがしい気持ちになれる。これは言ってみれば、みんなで初詣に出かける日本人のようなものだ》

同様にビートたけしも、長嶋について宗教的な評価、または「比類できないもの」として語る場面がある。

《もうね、俺にとって長嶋さんは絶対的な神様だから》
《今はAKB48の総選挙とかで人気投票をやっているけど、長嶋さんはダントツの1位であって、投票すらできない》

長嶋信者、なる言葉が生まれる背景も、この辺りが起因しているのではないだろうか。

長嶋茂雄=富士山=パワースポット


長嶋茂雄がまだ立教大学に入学したばかりの無名時代、父の遺言として次の言葉を受けたことを、自著『野球は人生そのものだ』で明かしている。

「野球をやるからには六大学一の選手にならんといかんぞ。プロに行っても富士山のような日本一の男になれ」。

だからなのか、長嶋は富士山が大好きだ。現役時代は富士が臨める伊豆・大仁ホテルの離れ「富士の間」で自主トレを行い、自宅には富士山の絵を飾り、現役引退後には自ら筆をとって富士山の絵を描くまでに至った。富士山は「我がパワースポットです」とも語っている。

テリー伊藤も自著のなかでこのエピソードに触れ、《長嶋は父の遺言を充実に守って、見事に富士山になったのである》と綴る。そして、こんな三段論法を展開する。

日本人にとっての最大のパワースポット=富士山
長嶋茂雄=富士山
つまり、日本人にとってのパワースポット=長嶋茂雄

《長嶋茂雄が日本の野球場に降り立ったとき、私たちは長嶋というパワースポットを得た。そのときから今日まで、ずっとそのパワースポットから私たちはエネルギーをもらっているのだ》

その証明として、テリーは長嶋の娘・三奈のこんな言葉も紹介している。
「我が家には父というパワースポットがいるんだ。だから、よそのパワースポットに行く必要もなかったんだ」

長嶋茂雄=ディズニーランド


テリー伊藤は、長嶋茂雄の最大の功績として、
(1)職業野球と呼ばれていたマイナースポーツを、プロ野球というエンターテイメントビジネス、メジャースポーツに変えた。
(2)皇太子ご成婚とともに、日本のテレビ普及率を一気に上昇させたきっかけの一人。
という2点を挙げている。

この2点を叶えた最大の要因が、長嶋茂雄の持つ「ワクワク、ドキドキ」感。同じレベルで日本人に「ワクワク感」を提供できているのはディズニラーランドだけ、というのが「長嶋茂雄=ディズニーランド」説の根拠だ。

《長嶋は人をワクワクさせる天才だった。それはプレー以前に、あの話し方や表情、楽しくてたまらないといった感じの笑顔が、人を楽しい気持ちにさせたのだ》

この「人を楽しい気持ちにさせた」という部分では、ビートたけしも《長嶋さんっていう人は、自分の見せ方と見せ場をよく知っている》として、完全に勝っている試合ではわざとエラーをしていた、と振り返る。

そして、この「わざとエラーする」という行為は、芸の世界で当てはめてみるととても難しいことであり、ジャグリングと一緒だ、と展開する。

《長嶋さんがわざとエラーするにしても、本当に一生懸命やった感じでエラーしてみせるのは、ジャグリングという伝統芸と同じ見せ方ができなきゃいけない。やっぱり、すごいんじゃないかな》

長嶋茂雄・国民栄誉賞の舞台裏


2013年の長嶋茂雄・国民栄誉賞受賞にまつわるエピソードとして、テリー伊藤もビートたけしも「自分の口添えがきっかけだった」という主旨の発言をしていて面白い。

テリー伊藤:《実はあの国民栄誉賞が発表される半年ぐらい前に安倍首相と食事をしたときに「安倍さん、ミスターがまだ国民栄誉賞をもらってないのは絶対におかしいよ」「うん、私もそう思うよ」っていう話をしたんです》

ビートたけし:《俺は前から、何で長嶋さんに国民栄誉賞が贈られないのか、不思議というか不満だった。(中略)政府の人には「何で長嶋さんがもらえないんですか。おかしいと思いませんか」って、けっこう言ったんだよね》

あの国民栄誉賞は、長嶋茂雄に贈られた、ということに留まらず、長嶋茂雄を愛する全ての人に贈られた賞だった。ならば今日の傘寿の祝いもまた、団塊の世代にとって記念すべき日、となるのだろう。

テリー伊藤は、こんなコメントも残している。
《長嶋茂雄は、どんなときでも、どんなことがあっても、明るく前向きに生きる姿を私たちに見せてくれる。だからこそ、長嶋茂雄は永遠のヒーローなのだ》

(オグマナオト)