600万体の遺骨が眠る地下で騒ぐ秘密パーティーへ行ってきた

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パリの地下にはカタコンブと呼ばれる無数の地下空間がある。その一部は、かつて共同墓地として使われ、壁一面には人骨がパズルを組み合わせたように積み上げられた異様な光景が広がる。ひんやりと保たれた温度と湿度と相まって、内部に入れば身も心も涼しい。地下通路は入り組み迷宮のようであるため、うっかり迷い込むと出られなくなるという。


今はパリの有名な観光名所でもあるこのカタコンブは、はるか昔ガロ・ロマン期に採石場だったそうだ。その採掘跡に1785年、パリ市内にあった墓地から約600万体の遺骨を移動し、無念仏の安置先として今のような形になった。

カタコンブで夜な夜なパーティーが開かれるという噂


そのカタコンブに、ある噂があった。パリっ子は、夜な夜な観光用以外の立入禁止区域に忍び込み、パーティーを開いているというのだ。彼らは通常の観光用入口から下るのではなく、パリ市内に隠されている秘密の穴から出入りする。サスペンス・ホラー映画『カタコンベ』は、この話をヒントに作られているため、もしかしたら聞いたことがある人もいるかもしれない。

ある日、友人がその立入禁止区域へ行かないかと誘ってきた。なんでも内部に大きく開けた空間があり、そこで秘密裏にコンサートが催されるのだという。ただし、もしも内部で迷った際は危険が伴うので、そこは重々承知の上で来るように、とのことだった。不安もあったが、こんな機会はなかなかないと、私は二つ返事で行くことを決めた。

コンサート当日の夕方、私たちはパリ南端、シテ・ユニベルシテール駅近くで待ち合わせた。入口がここにもあるそうで、地下通路を伝って会場までいくという。

入口は誰にでもわかるような場所にはない。集合場所で周囲を見渡しても、不自然なものなどまったく見当たらなかった。ただ1つ、私たちの足元の道路上に、水のない排水溝らしきものへ繋がる網状の金属蓋があった。どこにでもあるような官製の金属蓋である。

その金属蓋周辺に、続々とフランス人が集まってきた。やはりここなのだ。集合時間を過ぎた頃、その金属蓋が外され、順に地下へと入った。最初は、すでに何度か潜ったことがある経験者たちが飛び込んだ。最後に、初めて入る私たちと、カタコンブ内を熟知しているベテランが排水溝に下りた。数分前までいた集団は地下に消え、あたりは再びいつもの道路に戻った。



暗い道を進むと


鉄ばしごがかけられた10mほどの深さがある縦穴を、私たちはひたすら下った。
地下通路は想像していたよりも広い。一部天井が低くなっている箇所はあるが、それほどストレスなく通れる。道は一部で泥が混ざった真っ白な地下水が溜まっていて、場所によってそれは深くなり、膝上あたりまで水没している箇所もある。その真っ暗な通路をライト片手にひたすら進むのだ。


通路は入り組んでいる。ベテランのフランス人は、どこまで行っても同じ景色にしか見えない通路内の十字路やT字路で、的確に行く先を選んでいく。カタコンブ全体を記した地図もあるようで、迷った場合はそれを頼りに進む方向を決めた。なにぶん初めてのことである。興奮は高まっているが怖さもある。万が一のため、東西南北を考えつつ歩いていたのだが、あまりに同じ景色が続くのと、別れ道や緩やかなカーブを幾度も経たおかげで、どちらの方角へ歩いているのか、最終的には分からなくなってしまった。

ようやくコンサート会場へ


30分ほど歩いただろうか、ようやくイベントが開かれる大広間に近づいた。コンサート参加者以外にも、普段からここに入り浸っている人もいるようで、通路の脇にある横穴では、ろうそくを灯し酒盛りをしている若者たちがいた。コンサートが行われる場所は、大きく地下をくり抜いた空間になっていた。所々には削り残された岩盤が、柱となって地下天井を支えている。ちなみに観光ルート以外の場所に遺骨はない。


会場の明かりはロウソクと各自のライトのみ。壁は長い年月に描き足されてきた様々な落書きで彩られている。カタコンブは第二次大戦時、パリへ侵攻したドイツ軍に対する、フランス人レジスタンスの隠れ家としても使われていた。その場所が持つ歴史の雰囲気と、享楽する若者たちの喧騒が相まって、今まで感じたことがない独特の空気を漂わせている。

コンサートが始まった。壁に響くジャズが心地よく耳に運ばれる。演奏するバンドの前に陣取ってコンサートを楽しむものがいる一方で、タバコを吹かしながら輪になり仲間と酒を飲むものもいる。音楽そっちのけで女を口説く男もいる。地上から隔離されたこの場と時を、皆が楽しんでいた。空に日が上ろうが地下は暗い。頭上にある現実と隔離された時間がそこにはあった。


2時間ほど過ごした後、私たちは地上へ出ることにした。地下はもともと温度が低いことに加え、水が溜まっている中を歩いてきたせいで、体温も奪われていたからだ。一人では帰れないため、帰宅する一団に混ぜてもらい、地上へ向かうことにした。

帰りは、行きと異なる道を通った。泥水の通路を再び膝まで浸かりながら、今度は10分ほどで地上へ繋がる縦穴に着いた。そこはカタコンブの観光用出口があるムートン・デュベルネ駅近くのマンホールだった。パリの南端シテ・ユニベルシテールから、地下の中で西北に2kmほど進んでいたのだ。

地下から急に出てきた私たちを、道を行き交う人たちが不思議そうに見た。地上は雨が降ったのだろう、道路は暗く湿っていた。マンホールのはしごを登りきり、アスファルトに手をかけて自らの身体を地上へ押し出す。雨のおかげで泥水に濡れた格好はそれほど目立たない。誰も今まで地下にいたとは思わないだろう。大きく深呼吸した後、各々の帰路に就いた。そこにはいつものパリが広がっていた。
(加藤亨延)