人工知能に“奪われない”仕事/日野 照子
IBMのワトソンが金融系の業務支援システムに採用されている。人工知能の研究成果は次々と実用化されている。人工知能に“奪われない”仕事とは。
人工知能が面白い。人工知能という言葉は非常に定義があいまいで、そもそも"知能"を定義できていないから、人工知能を定義しょうがないという専門家さえいる。東京大学の人工知能研究者松尾豊准教授の定義によれば人工知能とは、「人間の知能の原理を解明し、それを工学的に実現する」ことであり、よって「人工知能はまだできていない」ということだ。松尾氏に従えば、今はまだ「人間の知的な活動の一面をまねしている技術」を人工知能と呼んでいるに過ぎない。それでも完成する以前に、人工知能の研究成果は次々と実用化されている。
例えば、2014年に銀行のコールセンター、2015年に生保の支払査定システムの業務支援システムとして採用されたIBMのワトソンは、コグニティブ・コンピューティング・テクノロジーと称される人工知能だ。クイズ番組で優勝したワトソンは統計的自然言語解析を行うことで、Wikipediaも「読める」。与えられた質問に出てくる単語を、蓄積された膨大なデータベースの中から検索し、関連や頻度などから統計的にもっとも適していると思われるものを答えとして返すのである。膨大な情報を瞬時に探索し、単語を数値化して統計分析をする。すばらしい性能だが、人間の知能とは明らかに違う動作だ。"機械の方法"で人間のまねをする人工知能である。
あるいは、スマホやタブレットに搭載されている「音声対話システム」Siri。これも自然言語を理解しているわけではない。与えられたキーワードをもとに、語の出現頻度や関連性などの統計的な重み付けを計算し、決められた言葉の中から返す仕組みになっている。検索エンジンと連動させることで便利な機能になっているが、"中の人"は実は何もわかっていない。それでも人はそれを「賢い」と思うことができる。
2015年春に公開された『イミテーション・ゲーム』という映画にもなった、人工知能の父アラン・チューリングに従えば、外から見て「賢いふるまい」をすることで人と見分けがつかなければ人工知能だと言うことになる。この定義からすると、ワトソンもSiriも人工知能に"近い"ソフトウェアだ。
そして、これらのソフトウェアは「機械学習」つまり、コンピュータが自ら学習する機能を持っているので、日々「賢いふるまい」は上達する仕組みになっている。得られる情報量が多ければ多いほど、賢くなる。近年になってまた人工知能がホットになってきたのは、いわゆるビッグデータにより、飛躍的に情報量が増えたことが一因だ。
本来の意味での人工知能もいつか完成されるのかもしれないが、それよりも先に、この機械の方法で人間のまねをする技術の進歩の方がはるかに速く、現実社会に浸透するだろう。GoogleやFacebookが人工知能に莫大な投資をして実用化をもくろんでいる以上、おそらく想像以上に早く、その時はやってくる。それも、気がつかないうちに、じわじわと生活を変えていく。
昨年、発表されたオックスフォード大学の「消える職業なくなる仕事」が物議を醸したように、人工知能などのコンピュータ技術の進歩により「仕事がなくなる」ことを心配する人は意外と多い。確かにワトソンが支払査定の膨大な規約や事例のデータベースから瞬時に答えを出せるなら、人間が苦労して知識を習得し、何年も経験を積まなければ判断できないため高度な専門性が必要だとされた支払査定は、誰にでもできる簡単な仕事になるだろう。医療や法律に関する専門的な仕事の多くも同じ構造にある。人間にできることは、意思決定と責任を取る機能だけになり、やるべき仕事は確実に変わる。だが、それは今にはじまったことではない。いつの世も、技術の進歩に合わせて昔あった職業は消え、新たな職業が生まれて、産業は進歩してきた。
今のところコンピュータが苦手とするのは「抽象化して考えること」だそうだ。単語の解析で適切な回答を得られても、人間は"文脈として"何らかの理由をつけてくれないと腹落ちしないようにできている。抽象化するために、人はストーリーを作る。これは人間の強みだ。データ分析はコンピュータ任せでも、広範囲な領域の情報を組み合わせて判断する「総合診療」のような判断はやはり人間の仕事なのだ。
いわゆるデザインのようなクリエイティブな仕事でもコンピュータが「人に好まれそう」かつ「使いやすい」形や色を決めてくれるようになる。だったらそれを利用して、より優れた作品を作れるようになればいい。コンピュータに「人に求められる」コンテンツのテーマや使うべきキーワードを指示されても、さらにその上にオリジナリティを加えることはできるはずだ。人工知能が、産業構造のどこにもっともインパクトを与えるのかを考えよう。仕事が奪われるなどとネガティブに捉えて技術の進歩にあらがうより、うまく取り入れる方がよほど楽しい。人工知能を正しく知ることで、新たな仕事や仕組みが見えてくる。
参考文献:
松尾豊、塩野誠著『東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」』
松尾豊著『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』
人工知能が面白い。人工知能という言葉は非常に定義があいまいで、そもそも"知能"を定義できていないから、人工知能を定義しょうがないという専門家さえいる。東京大学の人工知能研究者松尾豊准教授の定義によれば人工知能とは、「人間の知能の原理を解明し、それを工学的に実現する」ことであり、よって「人工知能はまだできていない」ということだ。松尾氏に従えば、今はまだ「人間の知的な活動の一面をまねしている技術」を人工知能と呼んでいるに過ぎない。それでも完成する以前に、人工知能の研究成果は次々と実用化されている。
あるいは、スマホやタブレットに搭載されている「音声対話システム」Siri。これも自然言語を理解しているわけではない。与えられたキーワードをもとに、語の出現頻度や関連性などの統計的な重み付けを計算し、決められた言葉の中から返す仕組みになっている。検索エンジンと連動させることで便利な機能になっているが、"中の人"は実は何もわかっていない。それでも人はそれを「賢い」と思うことができる。
2015年春に公開された『イミテーション・ゲーム』という映画にもなった、人工知能の父アラン・チューリングに従えば、外から見て「賢いふるまい」をすることで人と見分けがつかなければ人工知能だと言うことになる。この定義からすると、ワトソンもSiriも人工知能に"近い"ソフトウェアだ。
そして、これらのソフトウェアは「機械学習」つまり、コンピュータが自ら学習する機能を持っているので、日々「賢いふるまい」は上達する仕組みになっている。得られる情報量が多ければ多いほど、賢くなる。近年になってまた人工知能がホットになってきたのは、いわゆるビッグデータにより、飛躍的に情報量が増えたことが一因だ。
本来の意味での人工知能もいつか完成されるのかもしれないが、それよりも先に、この機械の方法で人間のまねをする技術の進歩の方がはるかに速く、現実社会に浸透するだろう。GoogleやFacebookが人工知能に莫大な投資をして実用化をもくろんでいる以上、おそらく想像以上に早く、その時はやってくる。それも、気がつかないうちに、じわじわと生活を変えていく。
昨年、発表されたオックスフォード大学の「消える職業なくなる仕事」が物議を醸したように、人工知能などのコンピュータ技術の進歩により「仕事がなくなる」ことを心配する人は意外と多い。確かにワトソンが支払査定の膨大な規約や事例のデータベースから瞬時に答えを出せるなら、人間が苦労して知識を習得し、何年も経験を積まなければ判断できないため高度な専門性が必要だとされた支払査定は、誰にでもできる簡単な仕事になるだろう。医療や法律に関する専門的な仕事の多くも同じ構造にある。人間にできることは、意思決定と責任を取る機能だけになり、やるべき仕事は確実に変わる。だが、それは今にはじまったことではない。いつの世も、技術の進歩に合わせて昔あった職業は消え、新たな職業が生まれて、産業は進歩してきた。
今のところコンピュータが苦手とするのは「抽象化して考えること」だそうだ。単語の解析で適切な回答を得られても、人間は"文脈として"何らかの理由をつけてくれないと腹落ちしないようにできている。抽象化するために、人はストーリーを作る。これは人間の強みだ。データ分析はコンピュータ任せでも、広範囲な領域の情報を組み合わせて判断する「総合診療」のような判断はやはり人間の仕事なのだ。
いわゆるデザインのようなクリエイティブな仕事でもコンピュータが「人に好まれそう」かつ「使いやすい」形や色を決めてくれるようになる。だったらそれを利用して、より優れた作品を作れるようになればいい。コンピュータに「人に求められる」コンテンツのテーマや使うべきキーワードを指示されても、さらにその上にオリジナリティを加えることはできるはずだ。人工知能が、産業構造のどこにもっともインパクトを与えるのかを考えよう。仕事が奪われるなどとネガティブに捉えて技術の進歩にあらがうより、うまく取り入れる方がよほど楽しい。人工知能を正しく知ることで、新たな仕事や仕組みが見えてくる。
参考文献:
松尾豊、塩野誠著『東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」』
松尾豊著『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』