大阪都・無駄使い5倍増計画!/純丘曜彰 教授博士
/市を無くせば、たしかに市の無駄使いも無くなるが、分割したって住民の民度が上がるわけでなし、結局、民意として、やることはいままでと同じ無駄使いでは? その無駄使いための無尽蔵のATMとして利用される、周辺のまともな市民は迷惑千万。/
ホームページのへんな紙芝居で勉強したぞ。弁護士や政治家としては、屁理屈上等なのだろうが、純粋に論理学の観点から見ると、ひでぇなぁ、この説明を本気で言っているのかよ、と思った。政治のことはようわからんし、名前なんか、府でも都でもどっちでもいいけど、論理のイカサマには、学者として一言ある。
推進側の紙芝居を要約すると、区はカネを市に無駄に使われている。だから、市を無くして大阪都を作れば区の分け前が増える、という話。わかりやすいが、わかりやすい話は、おうおうに、もっと別の絵図を隠すためのもの。
市が無くなれば、市の無駄使いも無くなる、というのは、理屈としては当然。だが、それは、「市」としての無駄使いが無くなるだけで、新5区の無駄使いが今後に無いことまでは保証しない。同じやつらを五分割したって、民度が上がるわけじゃなし、やっぱりこれまでと同じ無駄使いをやるだけじゃないだろうか。それどころか、たった一つの市ですらこのありさまなんだから、新5区は、きっと250メートル級の超高層タワービルをそれぞれに競って、さらに五本もおっ建てまくると思うぞ。そないアホなことがあるか、と言うだろうが、府と市ですでに二本も超高層ビルを競っておっ建てよるなどという、アホなことをほんまにやらかしててきた実績があるのが大阪区民の偉いところ。「都」になったって、このアホ加減が治る理由が無かろう。(こっちはアホなこと言うてるだけ。アホなことやってけつかるやつらには、ようけかなわん。)
これまで「府」の言うことも聞かないで、好き勝手やってきった連中が、しおらしく「都」の言うことを聞くようになるとは、とうてい思えない。まして隣の区の言うことなんか、聞くものか。内政干渉だ、住民自治だ、地域の公平性が足らん、とか言って、図書館だって、体育館だって、ドームだって、動物園だって、植物園だって、科学館だって、区民の民意、区民の総意として、市にあるようなものはすべて、それぞれ自分の区に、他の区よりでかいのを作るぞ。つまり、無駄使いは、むしろいまの5倍に膨れあがり、その拡大競争を止められなくなるんじゃないのか。ここに新規に、得体の知れない民間業者をかませれば、これほどおいしい政治話はあるまい。そりゃ、これに便乗して計画を推進しようという連中が多いのも無碍なるかなというところ。
そもそも「区」という名前が同じなのが、大きなマヤカシ。これまでの大阪市の24区は政令指定都市の「行政区」と呼ばれるもので、都の下の「特別区」とはまったく法律的に別。行政区は、あくまで市の執行部局にすぎないのだから、市の決定を経ずに使える予算がほとんど無かったのは当然。一方、都の「特別区」になると、じつは、市よりおいしい。ふつうの市なら自分でやらなければならない上下水道や消防、交通、病院、住宅などの面倒は、都に丸投げ。その負担は、堺市や東大阪市、高槻市、さらには千早赤阪村までをも含む都の予算でまかなう。つまり、実質的には、健全な周辺諸市が大阪新5区のカネの面倒をみてやることになる。
東京の場合、高度経済成長期以来、東京区部に会社(法人)があり、都下がその従業員たちのベッドタウンであったために、区部で大きく都民税を吸い上げて都下の発展に資する財政構造が必要だった。しかし、都市再開発で区部の高層マンションに住む区民が増えてくると、無意味な税収の都下流出を嫌って、むしろ東京都から独立して、「特別区」から「市」へ昇格する要望が高まっている。つまり、いまさら「特別区」という発想の方が時代に逆行している。
一方、大阪の場合、昔から職住接近で、大阪市内に住んで、大阪市内で働いている人の比率がもともと高い。東京都のように、特別区と市をまたいで税収を再配分する社会的な根拠に欠ける。にもかかわらず、いまさら時代錯誤な特別区化を強行しようとするのは、もともと大阪都構想の本当の目的が、かつての東京とは逆に、都下から区部への再配分、区部の借金を都下の税収で穴埋めすることだからではないか。しかし、区部の放漫体質そのものをどうにかしない限り、大阪都を介しての代理返済は、かえって事態を助長悪化させるだけ。大阪都下の健全な市町村に住んで働いているまともな一般市民から吸い上げた「都民税」を、「大阪中心部の発展」を名目に、区部の行政と住民の生活保障と無駄使いのために、返済無期限のサラ金ATMとして、永遠無限に注ぎ込み続けなければならなくなる。
今回の住民投票は大阪市民だけでかってに決めるということだが、自分たちの無駄使いを今後は周辺諸市のカネでやる、好き勝手にカネを使っても、そのツケを払うのは、外の連中、なんていう、こんなうまい話、借金漬けの大阪市の住民たち自身が反対するわけがあるまい。だが、外から見れば、やつら、市の予算を喰い潰した挙げ句、こんどは府の財布にまで手を出すつもりなのか、えげつないなぁ、という印象。区を府に直結させる、というのは、本来なら大阪府民全体が関わる大問題なのに、あたかも大阪市だけの話であるかのように話を小さくごまかしているのも、どうもうさんくさい。まあ、いずれにせよ、政治もなんもわかっていない、こんなドシロウトの言っていることだから、あてにはならんが、ドシロウトにまで簡単に疑われてしまうようなカラクリは、実際には、そう、うまくはいかないと思うが。(大阪都になって、いずれいつか周辺諸市側の財政再建派がその都知事になったら、区部はカネの蛇口を止められ、一気にシオシオのパァや。人の財布を当てにするのもええが、自分たちの財布が無くなる意味も考えといた方がええんとちゃう?)
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』などがある。)
ホームページのへんな紙芝居で勉強したぞ。弁護士や政治家としては、屁理屈上等なのだろうが、純粋に論理学の観点から見ると、ひでぇなぁ、この説明を本気で言っているのかよ、と思った。政治のことはようわからんし、名前なんか、府でも都でもどっちでもいいけど、論理のイカサマには、学者として一言ある。
市が無くなれば、市の無駄使いも無くなる、というのは、理屈としては当然。だが、それは、「市」としての無駄使いが無くなるだけで、新5区の無駄使いが今後に無いことまでは保証しない。同じやつらを五分割したって、民度が上がるわけじゃなし、やっぱりこれまでと同じ無駄使いをやるだけじゃないだろうか。それどころか、たった一つの市ですらこのありさまなんだから、新5区は、きっと250メートル級の超高層タワービルをそれぞれに競って、さらに五本もおっ建てまくると思うぞ。そないアホなことがあるか、と言うだろうが、府と市ですでに二本も超高層ビルを競っておっ建てよるなどという、アホなことをほんまにやらかしててきた実績があるのが大阪区民の偉いところ。「都」になったって、このアホ加減が治る理由が無かろう。(こっちはアホなこと言うてるだけ。アホなことやってけつかるやつらには、ようけかなわん。)
これまで「府」の言うことも聞かないで、好き勝手やってきった連中が、しおらしく「都」の言うことを聞くようになるとは、とうてい思えない。まして隣の区の言うことなんか、聞くものか。内政干渉だ、住民自治だ、地域の公平性が足らん、とか言って、図書館だって、体育館だって、ドームだって、動物園だって、植物園だって、科学館だって、区民の民意、区民の総意として、市にあるようなものはすべて、それぞれ自分の区に、他の区よりでかいのを作るぞ。つまり、無駄使いは、むしろいまの5倍に膨れあがり、その拡大競争を止められなくなるんじゃないのか。ここに新規に、得体の知れない民間業者をかませれば、これほどおいしい政治話はあるまい。そりゃ、これに便乗して計画を推進しようという連中が多いのも無碍なるかなというところ。
そもそも「区」という名前が同じなのが、大きなマヤカシ。これまでの大阪市の24区は政令指定都市の「行政区」と呼ばれるもので、都の下の「特別区」とはまったく法律的に別。行政区は、あくまで市の執行部局にすぎないのだから、市の決定を経ずに使える予算がほとんど無かったのは当然。一方、都の「特別区」になると、じつは、市よりおいしい。ふつうの市なら自分でやらなければならない上下水道や消防、交通、病院、住宅などの面倒は、都に丸投げ。その負担は、堺市や東大阪市、高槻市、さらには千早赤阪村までをも含む都の予算でまかなう。つまり、実質的には、健全な周辺諸市が大阪新5区のカネの面倒をみてやることになる。
東京の場合、高度経済成長期以来、東京区部に会社(法人)があり、都下がその従業員たちのベッドタウンであったために、区部で大きく都民税を吸い上げて都下の発展に資する財政構造が必要だった。しかし、都市再開発で区部の高層マンションに住む区民が増えてくると、無意味な税収の都下流出を嫌って、むしろ東京都から独立して、「特別区」から「市」へ昇格する要望が高まっている。つまり、いまさら「特別区」という発想の方が時代に逆行している。
一方、大阪の場合、昔から職住接近で、大阪市内に住んで、大阪市内で働いている人の比率がもともと高い。東京都のように、特別区と市をまたいで税収を再配分する社会的な根拠に欠ける。にもかかわらず、いまさら時代錯誤な特別区化を強行しようとするのは、もともと大阪都構想の本当の目的が、かつての東京とは逆に、都下から区部への再配分、区部の借金を都下の税収で穴埋めすることだからではないか。しかし、区部の放漫体質そのものをどうにかしない限り、大阪都を介しての代理返済は、かえって事態を助長悪化させるだけ。大阪都下の健全な市町村に住んで働いているまともな一般市民から吸い上げた「都民税」を、「大阪中心部の発展」を名目に、区部の行政と住民の生活保障と無駄使いのために、返済無期限のサラ金ATMとして、永遠無限に注ぎ込み続けなければならなくなる。
今回の住民投票は大阪市民だけでかってに決めるということだが、自分たちの無駄使いを今後は周辺諸市のカネでやる、好き勝手にカネを使っても、そのツケを払うのは、外の連中、なんていう、こんなうまい話、借金漬けの大阪市の住民たち自身が反対するわけがあるまい。だが、外から見れば、やつら、市の予算を喰い潰した挙げ句、こんどは府の財布にまで手を出すつもりなのか、えげつないなぁ、という印象。区を府に直結させる、というのは、本来なら大阪府民全体が関わる大問題なのに、あたかも大阪市だけの話であるかのように話を小さくごまかしているのも、どうもうさんくさい。まあ、いずれにせよ、政治もなんもわかっていない、こんなドシロウトの言っていることだから、あてにはならんが、ドシロウトにまで簡単に疑われてしまうようなカラクリは、実際には、そう、うまくはいかないと思うが。(大阪都になって、いずれいつか周辺諸市側の財政再建派がその都知事になったら、区部はカネの蛇口を止められ、一気にシオシオのパァや。人の財布を当てにするのもええが、自分たちの財布が無くなる意味も考えといた方がええんとちゃう?)
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』などがある。)