韓国文化戦略の失敗に学ぶ/純丘曜彰 教授博士
/なぜあれほどの大規模な国家戦略として韓国は国際的文化輸出を図りながら、むしろ強烈な「嫌韓」を生み出してしまうという逆の結果を招いてしまったのか。それぞれの相手国のレスペクトを基底に、もっと楽しく、快く、美しくなる小さな改善提案として、日本文化というものを紹介していく、したたかで、しなやかで、しとやかな謙虚な自信を忘れずにいたいものだ。/
あの国が国家戦略として、この十年来、強力な文化輸出を仕掛けてきたことは、その具体的なやり口まではわからないまでも、誰もが肌身に感じてきたことだろう。それにしても、あれだけのことをしながら、ここまで逆効果だったのは、我々、日本としても、反面教師として大いに学ぶところがあるのではないか。
一般に韓流ブームは、2003年にNHKのBS2で『冬ソナ』が流されたのが端緒と理解され、その国家戦略としての支援は2009年の韓国大統領直属の国家ブランド委員会の設置によるとされている。しかし、マスコミの末席に関わらせていただいていた者としては、1990年代に入る頃からすでに劇的に親韓中堅の全学連世代や在日の若者たち、韓国からの留学研修生が新聞や雑誌、テレビなどの内部に喰い込み、大きな影響力を持ち始め、日韓交流を唱う企画をあちこちで立ち上げ始めたという印象を持っている。実際、NHKは、『冬ソナ』よりも先行して、2001年には、韓国俳優ソル・ギョングを迎え、古代の日韓問題を題材にした、ハングル語だらけの奇妙なスペシャルドラマ『聖徳太子』を作っている。2002年にはワールドカップの日韓共同開催もあった。
この韓流ブームの背景に何があったのか、それが韓国側によるのか、日本側によるのか、政治的なものなのか、民間主導なのか、一般人の計り知れるところではない。しかし、たんなる自然発生と言うには、あまりにも関係する規模も予算も大きく、相応のなにかの配慮ないし圧力の下での動きだったのではないかと思わざるをえない。
いや、国家的文化戦略そのものの是非は言うまい。それは、観光客やイベントの誘致など、どこの国でもやっていることだ。問題は、韓国があれだけの規模で仕掛けておきながら、これほどまでに逆効果になってしまった、つまり、無理な仕掛けのせいで、かえって強烈な「嫌韓」の感情を生み出してしまった、ということだ。その失敗の原因はどこにあったのだろうか。
当初は、これを機会に隣の国のハングル語を習ってみよう、実際に韓国に観光に行ってみよう、もっと韓国の映画やドラマ、タレントに親しんでみたい、という人が大量に生じた。どこの大学でも、ハングル語は、従来の独仏伊中を追い抜き、人気の第二語学になった。折しもテレビの急激な多チャンネル化と長引く不景気、デジタル化の巨額投資負担の隙間に、韓流ドラマがダンピングとも思えるような安値で大量進出し、全局が韓流漬けの様相を呈し始める。しかし、実は、ドラマの本数、ハングル学習者数など、2005年〜06年あたりがピークで、うまくこの水準を維持すれば、長期的にももっと親韓者を熟成できたのではないか。にもかかわらず、その後になお、過剰な追加投資を繰り返し、コアなファンの囲い込みと重層搾取で、さらにブームの経済的ボリュームを拡大しようとしたあたりから、おかしくなっていく。
致命的だったのが、2011年の東北大震災・福一原発事故後のナーヴァスな状況の中、故意か、偶然か、反日を疑われるようなトラブルがフジテレビを中心に相次ぎ、夏には抗議デモが起こったこと。しかし、これらの問題に解決の対応を取ることも無く、それどころか日本がいまだ災害復旧で手一杯の翌12年夏、韓国大統領が竹島上陸という挑発的な政治行動に出、日韓関係はさらに急激に悪化、感情的にも「嫌韓」に大きく傾くことになってしまった。くわえて、交通関連の大事故も相つぎ、日本の韓流ブームは完全に終わった、むしろ結果として、「嫌韓」でないまでも、かえって日本中に悪い印象だけを残して終わってしまったように思われる。
さて、ひとの国のことはともかく、翻って日本の戦略的文化輸出はどうか。韓流と前後して、マンガだ、アニメだ、クールジャパンだ、と政府を挙げて騒いだが、結果として、これもまたあまり成功したとは言いがたい。とはいえ、この間、『セーラームーン』だの、ロリータファッションだの、寿司や和食だの、政府の後押しとはまったく無関係に諸外国に受け入れられたものも多い。奇妙な話だが、ギリシアローマ神話まがいのセーラムーン、フランス・ロココを範とするロリータファッション、現地のアボカドを使ったカリフォルニア巻きなどを典型として、むしろその原型が先方のものの方が抵抗が少ない、魅力的に思ってもらえるのかもしれない。つまり、その根底にむしろ相手国の文化へのレスペクトがきちんとあって、その上にこちらの創意工夫を乗せたものの方が受け入れてもらいやすいのかもしれない。
考えてみれば、韓流ブームの最初のころも、ファンの人々は、口々に、かつての日本の純愛ドラマのようだ、日本のスターやアイドルが失ってしまったものがそこにある、と語っていた。実際、韓国側は世界進出のために日本その他の国のドラマやタレントを徹底的に研究し、それを踏まえて、もともとの自分たちの長所を存分に開花させてきたのだろう。しかし、なまじ成功して国際的な評価が高まって以来、相手国の状況に対する配慮に欠ける傲慢さがそこに見え隠れするようになったのではないか。そのつもりがなかったとしても、日本の大震災と原発事故の後の状況としては、あまりにタイミングが悪すぎた。
おもてなし。口で言うのは簡単だ。かつて1970年の万国博覧会の時、日本を訪れてくれた外国人というだけで、人々は誰にでもサインを求めた。その読めない文字に、日本が平和な国際社会の一員に復帰できた喜びをかみしめ、強い握手を交わした。なにをいまさら、と言うなかれ。自分たちの文化を理解してもらおうと思うのなら、陰謀めいた強引な政治的ゴリ押しは、かえってかならず後で強い反発を買う。相手の国それぞれの生活文化に対するレスペクトこそを基底にしながら、それがもっと楽しく、快く、美しくなる小さな改善提案として、日本文化というものを紹介していく、謙虚な自信。そういう、したたかで、しなやかで、しとやかな日本文化の強さを、こちらの国は忘れずにいたいものだ。
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)
あの国が国家戦略として、この十年来、強力な文化輸出を仕掛けてきたことは、その具体的なやり口まではわからないまでも、誰もが肌身に感じてきたことだろう。それにしても、あれだけのことをしながら、ここまで逆効果だったのは、我々、日本としても、反面教師として大いに学ぶところがあるのではないか。
この韓流ブームの背景に何があったのか、それが韓国側によるのか、日本側によるのか、政治的なものなのか、民間主導なのか、一般人の計り知れるところではない。しかし、たんなる自然発生と言うには、あまりにも関係する規模も予算も大きく、相応のなにかの配慮ないし圧力の下での動きだったのではないかと思わざるをえない。
いや、国家的文化戦略そのものの是非は言うまい。それは、観光客やイベントの誘致など、どこの国でもやっていることだ。問題は、韓国があれだけの規模で仕掛けておきながら、これほどまでに逆効果になってしまった、つまり、無理な仕掛けのせいで、かえって強烈な「嫌韓」の感情を生み出してしまった、ということだ。その失敗の原因はどこにあったのだろうか。
当初は、これを機会に隣の国のハングル語を習ってみよう、実際に韓国に観光に行ってみよう、もっと韓国の映画やドラマ、タレントに親しんでみたい、という人が大量に生じた。どこの大学でも、ハングル語は、従来の独仏伊中を追い抜き、人気の第二語学になった。折しもテレビの急激な多チャンネル化と長引く不景気、デジタル化の巨額投資負担の隙間に、韓流ドラマがダンピングとも思えるような安値で大量進出し、全局が韓流漬けの様相を呈し始める。しかし、実は、ドラマの本数、ハングル学習者数など、2005年〜06年あたりがピークで、うまくこの水準を維持すれば、長期的にももっと親韓者を熟成できたのではないか。にもかかわらず、その後になお、過剰な追加投資を繰り返し、コアなファンの囲い込みと重層搾取で、さらにブームの経済的ボリュームを拡大しようとしたあたりから、おかしくなっていく。
致命的だったのが、2011年の東北大震災・福一原発事故後のナーヴァスな状況の中、故意か、偶然か、反日を疑われるようなトラブルがフジテレビを中心に相次ぎ、夏には抗議デモが起こったこと。しかし、これらの問題に解決の対応を取ることも無く、それどころか日本がいまだ災害復旧で手一杯の翌12年夏、韓国大統領が竹島上陸という挑発的な政治行動に出、日韓関係はさらに急激に悪化、感情的にも「嫌韓」に大きく傾くことになってしまった。くわえて、交通関連の大事故も相つぎ、日本の韓流ブームは完全に終わった、むしろ結果として、「嫌韓」でないまでも、かえって日本中に悪い印象だけを残して終わってしまったように思われる。
さて、ひとの国のことはともかく、翻って日本の戦略的文化輸出はどうか。韓流と前後して、マンガだ、アニメだ、クールジャパンだ、と政府を挙げて騒いだが、結果として、これもまたあまり成功したとは言いがたい。とはいえ、この間、『セーラームーン』だの、ロリータファッションだの、寿司や和食だの、政府の後押しとはまったく無関係に諸外国に受け入れられたものも多い。奇妙な話だが、ギリシアローマ神話まがいのセーラムーン、フランス・ロココを範とするロリータファッション、現地のアボカドを使ったカリフォルニア巻きなどを典型として、むしろその原型が先方のものの方が抵抗が少ない、魅力的に思ってもらえるのかもしれない。つまり、その根底にむしろ相手国の文化へのレスペクトがきちんとあって、その上にこちらの創意工夫を乗せたものの方が受け入れてもらいやすいのかもしれない。
考えてみれば、韓流ブームの最初のころも、ファンの人々は、口々に、かつての日本の純愛ドラマのようだ、日本のスターやアイドルが失ってしまったものがそこにある、と語っていた。実際、韓国側は世界進出のために日本その他の国のドラマやタレントを徹底的に研究し、それを踏まえて、もともとの自分たちの長所を存分に開花させてきたのだろう。しかし、なまじ成功して国際的な評価が高まって以来、相手国の状況に対する配慮に欠ける傲慢さがそこに見え隠れするようになったのではないか。そのつもりがなかったとしても、日本の大震災と原発事故の後の状況としては、あまりにタイミングが悪すぎた。
おもてなし。口で言うのは簡単だ。かつて1970年の万国博覧会の時、日本を訪れてくれた外国人というだけで、人々は誰にでもサインを求めた。その読めない文字に、日本が平和な国際社会の一員に復帰できた喜びをかみしめ、強い握手を交わした。なにをいまさら、と言うなかれ。自分たちの文化を理解してもらおうと思うのなら、陰謀めいた強引な政治的ゴリ押しは、かえってかならず後で強い反発を買う。相手の国それぞれの生活文化に対するレスペクトこそを基底にしながら、それがもっと楽しく、快く、美しくなる小さな改善提案として、日本文化というものを紹介していく、謙虚な自信。そういう、したたかで、しなやかで、しとやかな日本文化の強さを、こちらの国は忘れずにいたいものだ。
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)