バレンタインデーについて知ったパリ在住の先輩から受け取ったタイプと同じ絵葉書と58年にバレンタインデーの初キャンペーンで販売した復刻版の板チョコレートを持つ原社長。23日、東京都千代田区の東商ビルで。(撮影:佐藤学)

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「キスする時、鼻は邪魔にならないの?」──。女性が男性にチョコレートを贈るという日本の「バレンタインデー」の習慣が、米国映画「誰が為に鐘は鳴る」(1943年)のイングリッド・バーグマンとゲーリー・クーパーとのキスシーンがヒントになって生まれたことをご存知だろうか。

 日本での「バレンタインデー」とチョコレートとの歴史は、神戸モロゾフ洋菓子店が36年2月に掲載した国内英字新聞の広告が最初とされているが、チョコレートをテーマにバレンタインデーのキャンペーンを始めたのは、メリーチョコレートカムパニー(東京都大田区)が58年に行ったモノと考えられている。映画でバーグマン扮する女性から男性への告白シーンに感動した若き日の同社原邦夫社長が、当時の“シャイ”な日本の女性でも、「バレンタインデー」にチョコレートを贈ることで、男性へ愛の告白ができるのではと思い、キャンペーンを始めたという。

 そのチョコレート、58年に伊勢丹新宿本店で初めて行われた「バレンタイン・セール」では、3枚しか売れなかった。だが、「女性が男性に1年に1度愛が告白できる日」という同社のキャッチコピーなどが年々女性の心を捉えて、女性から男性へチョコレートを贈るという日本の「バレンタインデー」の慣わしが徐々に定着していった。

 60年代に入ると、2月14日は「女性が男性に愛を告白する日」として確立され、チョコレートは好きな人に手渡すプレゼントとして定着する。70年代には、大手チョコレートメーカーが、次々にバレンタインデー・キャンペーンに参加し、「バレンタインデー」のイメージはさらに、「恋人同士の愛の証(あかし)」の日へと移行していった。80年代には「義理チョコ」が出現。90年代に入り、景気の低迷が始まると、「グルメ志向」「本物志向」に様変わりし、この頃から、日本の「バレンタインデー」に海外メーカーの参入が始まる。そして、21世紀を迎えた00年代には、これまでのギフトとは別に、「マイセルフバレンタイン」など頑張る自分の“ごほうび”という考えも生まれる。

 05年の国内チョコレートの売り上げは約4400億円で、そのうち16%の約700億円がバレンタインデーセール期間中の売り上げという。原社長は「(バレンタインデーが)このような国民行事になるとは思いもよらなかった」と過去50年間を振り返り、感慨深げに語った。【了】