W杯決勝戦のピッチを去るメッシ (写真:フォート・キシモト)

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 最優秀選手はメッシ。それを聞いた瞬間、僕は開いた口が塞がらなかった。決めているのはいったいどこの誰なのか。少なくとも、記者席に投票用紙が回ってくることはない。投票権を持つ人物さえ明らかにされない。メッシは協賛スポンサーであるA社の広告塔。その意向を反映した決定と考えるのが自然だが、だとすれば、この賞は、マーケットの力がジャーナリズムの力を大きく超えた価値の低いものになる。

 とはいえ決勝戦のメッシは、これまでより数段良かった。

 僕は戦前、ドイツの完勝を予想した。1点差ではない、開きのある試合になるだろうと。即、想起したのはケープタウンで行われた4年前の準々決勝。ドイツが4−0で勝利した試合だが、両国の関係は、この時と変わっていないと見たからだ。

 確かにメッシは素晴らしい。凄い選手だと思う。ボールを持った瞬間、彼こそが最もワクワクさせてくれる、誰より特別な技術を備えた選手だ。しかし、その技術が生きるのは、マイボール時に限る。相手ボール時はその逆。チームで最も頼りにならない選手になる。ボールを奪う能力。俗に言う、守備力は誰よりも低い。意識そのものが低いのだ。

 彼がバルセロナで0トップを務める理由はそれだ。08〜09シーズンの終盤、時の監督、グアルディオラは、それまで右ウイングで起用していたメッシをセンターフォワードに据えた。メッシはそれまで右ウイングでプレイしていて、対峙する相手左サイドバックの攻め上がりをやすやすと許していた。相手ボール時になるとメッシのいる右サイドは、穴になるケースが目立った。

 相手ボールの時、一番リスキーにならないポジションはどこか。その答えが0トップなのだ。しかし、10年南アW杯にアルゼンチン代表として出場したメッシは、そうした背景を無視するかのように、2トップ下で出場。時のマラドーナ監督は「私の後継者」とし、メッシに全権を託した。

 その結果が0−4だった。2トップ下に守備ができない選手がいるチームの問題点を、ドイツは徹底的に突いてきた。

 マイボール時のプレイも問題だった。メッシは、高い位置(ペナルティエリア付近)ではなく、真ん中の決して高くない位置で再三ドリブルに及んだが、いくらそのドリブルが世界一でも、そこで自由な動きをさせるほど、ドイツのサッカーはヤワではない。メッシのドリブルは、逆にドイツの良い餌食になった。誘い込まれるように狙われ、奪われた。守ってもダメ、攻めてもダメ。0−4は当然の結果だった。世界ナンバーワン選手といえども、使い方を間違えると、チームに大きなダメージを与える。それがサッカーというスポーツだ。

 メッシにまつわる負の問題。それは、アルゼンチン代表を語る上で、欠かせないポイントになっていた。このスター選手を、チームの中にどう落とし込めば、チームのマックス値は上がるか。

 サベイラ監督が、腐心しているのはよく伝わってきた。メッシのポジションは、4−3−3の3の右だったり、4−3−1−2の2トップ下だったり、試合毎、あるいは試合の流れによって、微妙に変化していたが、基本的には、4年前と問題は変わっていなかった。時間が経つと、彼は低いポジションで、プレイした。中盤選手のように。

 一方、そのコンディションは、4年前より悪そうだった。準決勝まで、動きに精彩を欠いた。1人蚊帳の外に置かれた少年。というより老人という感じだった。メッシがプレイに参加するのは、自分の近くにボールが運ばれてきた時のみ。相手ボール時になると、その存在は無になった。言い換えれば穴になった。その穴を残りのフィールドプレイヤー9人が、必死に埋めているという感じだった。