いきなりの手前味噌で恐縮だが、2010年5月26日の「Web Sportiva」にて、奈良くるみの記事を書かせてもらったことがある。

『全仏オープン女子〜158cmの奈良くるみがクレーコートで得た、あふれんばかりの収穫。』

 それが、4年前に掲載された拙稿のタイトルだ。当時18歳だった奈良は、グランドスラムのひとつである全仏オープンの予選に出場。予選決勝では、4時間を越える大熱戦を制して初のグランドスラム本選入りを果たしている。

 この時の奈良の活躍は、いくつかの意味で、話題性と希望に富むものだった。

 まずは本人も含め、日本人の多くが苦手とするクレーでの活躍であったこと。さらに、彼女が10代前半からテニス関係者の期待と注視を集めてきた存在であったこと。そして、18歳という若さ――。全仏での台頭は、今後長く続くであろう奈良のサクセスストーリーの「始まりの始まり」かに思われた。現に全仏の2週間後のウインブルドンでも、彼女は予選を突破し、本選でも勝利を得たのである。

 それから、3年。昨年8月の全米オープンまでの期間、「奈良くるみ」の名がグランドスラムの出場者リストに載ることはなかった。大きなケガなどがあったわけではない。ただ、予選に出ては敗れる大会が繰り返された。一時は101位まで上がったランキングも大きく下降し、200位前後を行ったり来たりする日がつづく。

「やはり、彼女の身体では厳しいか......」

 そんな周囲の声が聞こえてきたことを、コーチの原田夏希は否定しない。

 だが、そのような状況下でも、かつての「天才少女」は結実の日を信じて努力しつづけ、そして今年2月、リオ・オープンでツアー初優勝を果たしたのである。現役女子選手でツアー優勝の経験を持つ者は、クルム伊達公子ただひとり。日本女子のテニス史においても、8人目の快挙だ。

 現在、世界ランキング47位につける奈良の快進撃は、昨年の全米オープン予選突破に端を発している。それは彼女にとって、実に3年ぶりとなるグランドスラム出場。さらには、本選でもふたつの白星を得て、3回戦に進出したのだ。

 その時の彼女の言葉に、印象的なものがあった。

「3年と聞くと長く感じるけれど、自分の中では、そんなに長いとは感じていません」

 どうしても、この言葉の真意がつかめなかった。

 18歳から21歳までの3年間......。それも、時計の針が常人の数倍の速さで刻まれる、アスリートの3年である。長くないはずがない。そんな疑問を素直にぶつけた時、彼女は「今だから言えるけれど」と前置きした上で、こう続けた。

「もちろん、最初の結果の出ない時はしんどい(辛い)気持ちにもなりましたし、すべてが前向きに考えられなかった」

 だが、同時に、彼女は断言する。

「負けて悔しい時期もあったけれど、そこから這い上がる力もついたし、追い上げる中で気持ちをコントロールしていくのが楽しかった。そういう意味でも楽しめていました」

 奈良にとってのこの3〜4年間は、自分のテニスを見つめ直し、変化を受け入れ、一度バラバラに崩したパズルのピースをつなぎ、新たな絵を描くようなプロセスだった。まずは、バランスも含めて、フィジカルを徹底して鍛えた。技術面では、フォアハンドの打ち方と、コート内でのフットワークを大きく変えた。奈良は小学生のころから国内では敵なしで、ウインブルドンJr.ダブルス準優勝などの輝かしいキャリアを残している。それほどの実績を持つ者が、日の当たらぬ場所を歩むのはさぞかし苦痛だったろうと思ったが、本人は、「ジュニアのころから自分に才能は感じてなくて、努力してここまで来たと思っているので......」と、穏やかな口調でこちらの先入観を否定した。日々新たなことに取り組み、時には目先の結果に一喜一憂しながら、最終的にはその先を見据えてピースをつなぎ合わせてきたのだろう。そのような歩みを思うと、「長くはなかった」という言葉は、きっと本心なのだろうと素直に受け止められる気がした。

 奈良のグランドスラム初出場がクレーの全仏オープンであることは冒頭で触れたが、奇しくもというべきだろうか、今年2月に優勝トロフィーを掲げた場所も、ブラジルの紺碧(こんぺき)の空に映える「赤土の上」である。スピンをかけて自分から攻められるようになったフォアハンドや、足元が滑る土の上でもバランスを崩さず長時間戦い切るフィジカルなど、彼女がこの4年で築き上げてきたものはことごとく、苦手意識を抱いていたクレーで生きた。

 奈良自身も、「コートを広く使うのがうまくなった」と、クレーでの成長を感じている。しかし、次の瞬間には、「夢みたいな感じで......本当に今は、うまく行き過ぎ」と、まるで他人事のように口にし、そんな状況が可笑しかったか、思わず自分でも噴き出した。

 そもそも今回のリオ・オープンは、2月上旬にアルゼンチンでフェドカップ(国別対抗戦)が行なわれたため、本来のスケジュールを変更して出場を決めた大会だ。時流の追い風を受け、上昇気流に乗った者には、時に「見えざる神の手」とでも呼びたくなる力が働くことがある。彼女の南米での優勝も、運命の巡りあわせなのだろう。

 その優勝から、2週間後。3月上旬にカリフォルニアで行なわれたBNPパリバオープン(グランドスラムに次ぐグレードのマスターズ1000大会)に出た奈良は、2回戦で世界ランキング7位のシモナ・ハレプ(ルーマニア)に敗れた。自分と同じ22歳で、体格に恵まれないながらもトッププレイヤーの地位を確立したハレプとの対戦を、奈良は、「ドローを見た時から、やりたいと思っていた」という。「才能は感じず、努力でここまで来た」と言う彼女は、上位選手たちへ敬意とともに、鋭い分析の視線を向け、何かを吸収すべく常に目と頭を働かせている。敗退した後も1週間ほど会場に残り、「お手本にできる」と語るウージニー・ブシャール(世界ランキング19位/カナダ)とハレプの一戦を熱心に観戦した。今の彼女には、周囲のすべてが刺激的で、経験するあらゆることが血肉となっているようである。

「昨年の全米オープンの後は、自分に期待しすぎてしんどい時期もあったんですが、それを乗り越えたことが自信になった。何といっても今は、どんな試合にも前向きで入っていけています。このレベルの大会だと良い選手ばかりなので、誰が相手でも向かっていく気持ちになれます」

 好調を維持できている現状を、彼女はシンプルにそう分析した。

 謙虚に、前向きに、遠くを見過ぎることなく、着実に――。ここまで至ったそのままの姿勢で、奈良くるみは、躍進の「今」を送っている。

内田暁●文 text by Uchida Akatsuki