少なくとも5年以上前になるが、高校サッカーの中継で解説したことがある。とある地方の県新人戦決勝だった。

生放送だったか、深夜枠のディレイ放送だったのかは忘れてしまったが、収録はもちろん現場での生である。緊張感とともに放送席に座ったのだが、自分が馴染んでいた海外サッカーの解説とはかなり勝手が違った。

ドリブルを仕掛けた選手が、ボールを失った。サポートしていた選手にパスをつなげば、決定機となる場面だった。パスをするのも難しい状況ではなかった。Jリーグや海外サッカーなら、判断ミスを指摘する場面なのだが、高校サッカーでは違った。実況のアナウンサー氏は、何よりもまず仕掛けた意識を褒めた。積極的なチャレンジが素晴らしい、といった感じで。すべてにおいて、前向きな解釈をするのだ。

姿勢が素晴らしいと言えば、そのとおりではある。しかし、僕はどうにも居心地が悪かった。判断のミスは明らかなのだ。それでも褒めるなら、ボールを奪ったディフェンダーに触れるべきではないか? ところが、そこは見事なまでに素通りしていく。アナウンサー氏の称賛に相槌を打つばかりで、僕の仕事は終わってしまった。

先ごろ終了した高校選手権のテレビ中継を観ていて、同じような居心地の悪さを覚えた。決勝戦の中継では、スタメン紹介、ベンチ&応援席のリポートで、18分強もかかっていた。いくら何でも時間を使い過ぎだろう。

ペイ・パー・ビューではないから想定する視聴者の幅が広く、そのために分かりやすい放送を心がけるのは理解できる。サッカーの知識が少ない人にも、興味を持ってもらえる内容作りを心がけているのだろう。

それにしても、周辺情報の洪水である。出場停止のキャプテンと、代わって先発した選手がクラスメイトだという情報は、一度紹介すれば十分ではないだろうか。サッカーとは関係のないトピックスをふんだんに盛り込まなければ、選手権はコンテンツとして成立しないのだろうか。そんなことはないと思うのだが。

プレーの解説は、“前向き一直線”である。屈しない。諦めない。粘り強い。ひたむき。のびのび。フェアに──ほとんどすべてのプレーが、こうした言葉で飾られていく。
「ひたむきさ」や「粘り強さ」は、ゲーム全体から感じ取れる。ただ、抽象的な称賛が続くと、選手個々の良いところがかえってぼんやりしてしまう。褒めるのであれば、どんなところが、どのように素晴らしいのかを、具体的に伝えてほしい。

僕自身は高校サッカーでも、ミスはしっかり指摘していいと思う。サッカーにおける攻守の入れ替わりは、相手のミスがきっかけによるものが圧倒的に多い。前後半45分にアディショナルタイムを加えた試合時間は、ミスによってつながっていると言ってもいいぐらいだ。それだけに、ミスは非難されることでも、恥ずかしいことでもない。ミスから何を学ぶのかが、サッカーでは大切だと思う。

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