千葉ロッテの重光昭夫オーナー代行は、瀬戸山隆三球団社長、石川晃運営本部長の退任を発表する記者会見で

「去年の優勝メンバーが(あまり)残っていない。異常かなと思う。サブローを出したあたりから悪くなった」

「編成からの強い要望があった。今になってみると、間違えたと思う」

今までにチームを去った生え抜き選手について「呼び戻せる人は呼び戻して、来季に向けて態勢を立て直したい」


と述べたという。他人事のような、長閑な発言である。経営の最終責任者という自覚はないのだろうか。

昨今の千葉ロッテは、ファンの質という点では12球団一ではないかと思う。熱心さでは他にも凄い応援団はたくさんあるが、外野の一角にきっちりとエリアを定めて整然と応援をする、その節度、まとまりの良さにはいつも感心する。KBOから移ってきたばかりの金泰均への応援の熱さには感動すら覚えたものだ。昨年、千葉ロッテは「和」をスローガンに掲げ、乏しい戦力ながら栄冠を勝ち得たが、その「和」の中には、ファンも入っていたのだと思う。

残念なことに、チームはたびたびこの良質なファンを裏切り続けている。さかのぼれば広岡GM、第一次バレンタイン監督のとき、そして前監督のバレンタインの去就をめぐる騒動もそうだ。球団は、うまくいっているシステム、うまくいきかけているシステムを途中で壊して、ファンに失望を与えていた。

今回も含め、こうした千葉ロッテの騒動の背景には「コストカット」の問題があると思う。チームを成功に導いた指導者や選手は、年俸が上がる。しかし、球団収入はそれほど上がらない。結局、親会社の赤字補てんが増えるだけなので、帰結するところは有力選手や指導者の首切りということになる。

バレンタインのマネタイズは目に余るところがあったとの報道があるが、ファンの支持が篤かったことも事実である。その解任をめぐってはファンと球団の対立があった。

昨年の日本一のあとの投打の主力選手(西岡剛、小林宏)の移籍も、つまるところコストカットであったと推測される。昨年は最高収益を上げたとされるが、それでも20億円の赤字だった。優勝したにも拘らず親会社から球団にはさらなるコストカットの圧力がかかっていたのだろう。

サブローの放出も、まさにこういう背景があったと思う。直接的にはフロントが引導を渡したのだろうが、「編成の要望」の背景に、本社の強い意向が働いていたのではないか。

確かに瀬戸山社長らはかなり強引に人事を断行したようだ。今回の退任劇は、選手側がオーナー代行に直訴したのがきっかけだったという。しかし、オーナー代行が水戸黄門よろしく悪代官にお灸をすえるのはおかしいと思う。そもそも悪代官に指令を出したのは、オーナー代行その人なのだから。

瀬戸山隆三社長は、流通上がりではあるが数少ないプロ野球プロパーの経営者である。球界再編問題でも悪役となったが、この人は世間の批判を浴びることを恐れないところがある。その手法や考え方に疑問を感じないではないが、少なくとも親会社の天下り経営者に比べれば、はるかに有能で、肝の据わった人物だと思う。

彼はプロ野球の世界に転じてから、常に親会社と現場との板挟みになってきた。ダイエー時代は高塚猛という大変な人物とも渡り合ってきた。馬鹿の一つ覚えのように「コストを下げて球団を強くせよ」という親会社に対して、現場を切り盛りしつつ実績を上げてきた。また、石川晃執行役は、プロ野球選手上がりだが、フロント、マネージメントのプロとしてその手腕が注目されてきた矢先だった。

オーナー一族の顔色をうかがう尻の据わりの悪い立場で、瀬戸山、石川の両氏は奮闘してきたのだと思う。瀬戸山氏は、ときとして独裁の批判があった。しかし、事態を動かそうとすれば剛腕を振るわざるを得ないものだ。チームの「和」を乱す人事を断行した責任は、直接には二人にあるのだろうが、一方で気の毒だとも思う。

私は企業の御曹司というものを若干知っている。優秀な人も、そうでない人もいるが、共通するのは「自分が(実績の有無にかかわらず)この地位にいることに、何の不思議も感じない」という独特の感覚である。ある企業で御曹司が、はるかに年長の部下をずらっと並べて「この中に、俺の言うことをそのまま実行した馬鹿がいる」と言い放ったのを聞いたことがある。まさに「すまじきものは宮仕え」だ。千葉ロッテの御曹司は、本拠地を千葉に移転するなど、敏腕で知られるようだが、なおさら下情に疎い気がする。推測でモノを言うのは危険だが、重光オーナー代行と瀬戸山氏の間も、こういう関係ではなかっただろうか。

千葉ロッテには、本社から中村家国元専務がやってくるという。いうなれば本家の番頭が分家を預かるということだろう。「かまどの灰まで俺のもの」という創業家根性の染みついたこの球団で、使用人上がりの経営者に期待することは少ない。

西村監督を含め、千葉ロッテの現場はまた苦労をするのではないだろうか。