実はどちらの監督も、本音は安堵だったような気がする。
 だが同じ安堵でも、ニンマリが滲むのは豪州のピム・ファーベーク監督の方だろう。主力を欠き、コンディションが揃わない状況で、「あくまで勝つつもりだった」と語る同監督が、内心は引き分けで十分だと考えていたことは明らかだ。
 4−3−2−1、最終ラインの前に3人のMFを配し、その前の2人には日本のボランチを警戒させる。こうして中央から固めておけば失点はしない。グループ首位の立場から、まるで日本の出方を見透かしたように勝ち点1を持ち帰ることに成功した。
 
 日本もW杯出場という最低限のノルマを考えれば、前進したことは間違いない。また62.4%もボールを支配し、決定機を作らせなかったという点で、危なげはなかった。
 しかし岡田監督自らが語るように「日本が世界と真剣に戦える場がW杯のみ」だという現実を踏まえれば、ホームでの豪州戦は勝ち切るためのシミュレーションを試みるラストチャンスだった。本番でも先制されれば、こうした展開が想定される。そしてそれでも崩し、ゴールを陥れる術がなければ、本大会で納得のいく成績は望めない。
 
 ハーフタイムで岡田監督は、闘莉王に強調したという。
「味方を信じて最後までバランスを崩すな。このまま続けていけば、必ずチャンスが来る」
 こうして豪州戦を4−4−2で戦った岡田監督は、途中で松井を大久保に、田中達を岡崎に、ほぼそのまま置き換えたのみ。相手に対して圧力を強めるアイデアもなく、戦術にも個性にも際立った変化はなかった。ボルフスブルグでのプレーを見ても、大久保は明らかにFWで生きる選手だが、岡田監督にはサイドMFと刷り込まれているらしい。
 
 試合後の会見で同監督は話した。
「この相手ではパワープレーは通用しないし、考えていなかった」
 だがこれまでもリードされた場合のオプションは、闘莉王を上げ、巻を投入してパワープレーに出るしかなかった。そしてこの日も巻をベンチに入れていたわけで、追いかける展開になればパワープレーという選択は容易に推測が出来た。また大久保、岡崎、巻を除けば、ベンチに座っていたのは守備の選手ばかりだったから、均衡状態では万策が尽きていたことになる。
 
 岡田監督は、あくまで「W杯ベスト4」という大きな夢を掲げている。敗れたアジアカップ予選の対バーレーン戦の前日練習でも、サポーターが持参した横断幕に、改めてそうサインしたという。
 だが「W杯ベスト4」というのは、普通では望めない奇跡のような成績だ。そこに到達するためには、せめてリスクを冒してでも豪州を攻め崩すくらいの腹の括り方が必要だろう。「確実に進歩している」「前半途中から後半にかけて素晴らしいサッカーをしてくれた」と自賛をするのもいいが、少なくとも自ら上げた大きなアドバルーンに見合った厳しいノルマを課していかないと、実現には近づかない。
 
「精度を上げる」「チャンスの回数を増やす」「続けていくしかない」という地道で悲壮を伴う言葉の先には、まだ本番のベスト4どころか、勝ち点確保の道筋さえ見えてこない。
 98年フランス大会、06年ドイツ大会。2度の惨敗は、アジア予選と世界の高みとの落差を見誤った末の結末だった。切実な教訓とするべきである。(了)
 
加部究(かべ きわむ)
スポーツライター。ワールドカップは1986年大会から6大会連続して取材。近著に『大和魂のモダンサッカー』(双葉社)『忠成〜生まれ育った日本のために』(ゴマブックス)