ジョン・シングルトン監督の死を多くのセレブ達が悼む

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『ボーイズ’ン・ザ・フッド』や『ワイルド・スピードX2』などを手がけたジョン・シングルトン監督が、現地時間4月29日に51歳の若さでこの世を去った。この悲報を受け、ハリウッドセレブらが多数追悼メッセージを寄せている。

足の痛みを訴え先月、ロサンゼルスの「シーダーズ・サイナイ・メディカル・センター」を訪れたジョン・シングルトン監督。その後、芸能情報サイト『TMZ』は監督が脳卒中を起こし同病院の集中治療室に移ったことを伝えていた。昏睡状態が続いていたシングルトン監督は、現地時間4月29日に生命維持装置が外され、帰らぬ人となった。

シングルトン監督は名門南カリフォルニア大学の映画芸術学部の出身で、若干23歳で『ボーイズ’ン・ザ・フッド』にて鮮烈な監督デビューを果たしている。犯罪多発地帯として有名なロサンゼルス・サウス・セントラル地区に暮らすアフリカ系米国人の生活を赤裸々に描いた同映画は高い評価を受け、第64回アカデミー賞「監督賞」および「脚本賞」にノミネートされた。アフリカ系米国人初の監督賞候補、また両カテゴリーでの最年少ノミネートというダブルの快挙で、シングルトン監督は一躍脚光を浴びるようになった。

その後『ローズウッド』(1997年)や『ワイルド・スピードX2』(2003年)など話題作を次々と手がけたのち、近年は『Empire 成功の代償』や『アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件』などテレビドラマの監督として活躍していた。

若きアフリカ系米国人を積極的に起用し、彼らの才能を次々と開花させたジョン・シングルトン監督。このたびの訃報にはハリウッドから多数の追悼メッセージが寄せられている。

自身にとって俳優デビュー作となった『ボーイズ’ン・ザ・フッド』(1991年公開)で主人公3人組の1人ダウボーイを演じたラッパー、アイス・キューブは、自身のTwitterに監督とのツーショットをアップし「ブラザー、友人、そして良き指導者だったジョンを失った悲しみは言葉では表現できない」と追悼している。

シングルトン監督による『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』(1993年)で映画初主演を果たしたジャネット・ジャクソンは、Instagramに多数のツーショット写真を公開し「あなたは私に初めて映画の役をくれた人。オスカーノミネーションや他にもたくさんのものを与えてくれた。あなたが作品を通じて世界に伝えてくれたこと、そして黒人文化や女性達、また若き映画制作者達のために尽力してくれたこと、そのすべてに感謝します」と綴っている。

他にも、俳優サミュエル・L・ジャクソンやタイリース・ギブソン、女優レジーナ・キング、タラジ・P・ヘンソンら多数のセレブ達が追悼メッセージを送っている。
(TechinsightJapan編集部 c.emma)