麻原彰晃

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 教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)を含む7人の死刑が執行され、一連のオウム真理教事件は一応の区切りを見せた。ここに至るまでの長い道のりには、戦後最悪といわれた犯罪集団と対峙した、警察の決死の捜査があった。

 教団への強制捜査から10年の節目を迎えた2005年、週刊新潮は4月7日号で「『麻原逮捕』10年で明かす『オウム捜査』秘話」を掲載している。捜査の現場を最前線で取材した記者たちの証言に基づく、座談会風のレポートである。(以下、データは掲載当時のもの)

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社会部デスク: 十年一日の如しというけど、あの騒乱のオウム捜査からちょうど10年。元日の朝刊で、読売新聞が1面トップにデカデカと「サリン残留物を検出」って、上九一色村の名前を書いたスクープのインパクトは今も忘れられないね。

麻原彰晃

警視庁担当記者: 記事のどこにもオウム真理教のオの字もなかったですけど、あれが上九一色村に本拠を置くオウム真理教と松本サリン事件を結びつけた最初の記事でした。実は、その前の年の秋ごろから、全国紙は各社、うっすらと、オウムが大きな事件、たぶん松本サリンの捜査対象になっているなぁ、とは気付いていたんです。しかし、読売以外はどこもディテールが取れなかった。その結果、大スクープを独占されてしまった。

遊軍班キャップ: なまじ、何となく知っていただけに、悔しかったね。当時、サツ回りだった僕は、元日の午前3時に泊まり番のデスクから叩き起こされて……。「すごい記事が出ているぞ」って……。すぐに信憑性を確かめるために裏付け取材をしたけれど、やっぱり確認はできなかった。ひょっとすると誤報の可能性もあるかと思ったけれど、結果的には、オウムの幹部連中が「米軍が上九一色村でサリンを撒いてる」とか、無茶な主張を始めたことで、逆に、サリンを精製していると感じた。

現場カメラマン: あの記事でマスコミが大挙して上九一色村に押しかけて、サティアンが有名になったんです。ところが、すぐにも、本格的な捜査が始まると見ていたら、1月17日に阪神大震災……。警察もマスコミも余剰人員は震災に振り分けられて、大体1カ月はオウムからマークが外れたんでしたね。

幸福の科学が現場を目撃

警視庁担当: 目黒公証役場の假谷さんがオウムに拉致されたのが2月28日ですからね。実は、この日、警視庁の捜査一課長が交代して、新しい課長が着任したばかりだったんです。あとから捜査員たちは、「新課長はすごく強い運を持ってるなぁー」と感心していました。というのも、それまで、オウムは都内では事件を起こしていなかったから、警視庁には捜査権がなかった。それが、着任の日に事件が起きた。周囲はビックリで……。

遊軍キャップ: もう一つ不思議なのは、假谷さんの拉致事件の第一報を110番通報したのが幸福の科学の信者だったという話でね。警視庁の捜査官から聞いたから間違いないはずだけど、なぜ、幸福の科学が現場を目撃したのかがよくわからなかった。偶然にしてはできすぎだし……。

デスク: あの頃は、オウムと幸福の科学が、テレビで大論争をして、犬猿の仲だったから、幸福の科学がオウムにスパイを送って、犯罪を通報していたという話まであったけど……。

警視庁担当: 事件の3〜4年後にやっとその訳がわかったのですが、どうも、近所で幸福の科学の信者の引っ越しがあって、友人の信者が手伝っていたそうなんです。その帰り道に「助けてくれー」と叫んでいる年配男性がワゴン車に連れこまれる現場に遭遇した。その信者は最初、錯乱している人を病院に運ぶのかなと思ったらしいんですが、ワゴン車が走り去った後、黒い毛糸の帽子が落ちているのを見て、ピンときて110番した。

デスク: 捜査一課長の運気かどうかは知らないが、この拉致事件では、他にも最初からいくつも警視庁に有利な偶然があった。まず、拉致したレンタカーから出てきた指紋がオウムの信者のものだとすぐにわかったのは、運転手が前の年に、「尾崎豊を殺したのは誰だ」っていうビラを足立区で電柱に張っているところを軽犯罪法で取り調べられていたから。それから、拉致事件の10日ほど前にも、この運転手がレンタカーの「わ」のナンバーを、白いテープで「つ」に偽装して目黒付近をドライブしているところを警察官に職務質問されていた。このとき、オウムの運転手は、「恋人とデートなので、レンタカーなのが恥ずかしかった……」と上手に嘘をつくんだけど、こんな偶然が重なって、オウムは窮地に立たされてしまったわけだ。

アメ横の「ガスマスク」

遊軍キャップ: それで焦った麻原教祖が強制捜査を妨害しようとして、考えたのが地下鉄サリン事件だったわけです。だから、假谷さん事件の犯人特定にもっと時間が掛かっていたら、別の展開になっていたかもしれないのです。

現場カメラ: 地下鉄サリンの日、僕らは何とか霞ケ関駅にたどり着いて、まだ何が起きているかわからなかった。でも、機動隊員が「マルサの可能性、あり」と叫んでいたのを耳にしたんです。この符丁は普通、催涙ガスをさす言葉で、そのまま社に報告の電話を入れたら、年配の上司が電話に出て、「バカ野郎、催涙ガスで人が死ぬか。こんなに死人が出るか」って……。上司は学生運動の経験者で、催涙ガスのこともよくわかっていたんですね。

デスク: 最初は誰も地下鉄にサリンという発想がなかった。警視庁で一課長の記者会見があったのは午前11時で、課長が「サリンの可能性が高い」って言ったときも、記者たちは疲れもあって、特に質問もしないでぼーっとメモを取り続けてた。課長が「サリンですよ。いいんですか。本社に連絡をしなくて……」と、促すまで、事の重大さに思い至らなかった感じ。

遊軍キャップ: で、翌々日が強制捜査。怒濤の勢いで何千人もの警察官が上九一色村と全国のオウムの施設に押し寄せた。カナリアを先頭にして、迷彩服、防毒マスクの機動隊が突入した事でわかるように、警察はオウムが大量のサリンを隠していて、それを使って反撃してくることを予想していたんです。機動隊員の中には、奥さんと水盃を交わして現場に来た連中もいたくらいでしたよ。

現場カメラ: それはカメラを構えて待っている我々も同じでした。サリンが怖いから、各社、上野のアメ横かどこかで買ってきた米軍払い下げのようなガスマスクをお守り代わりに持ってきていたり、酸素ボンベを用意していたり……。

警視庁担当: NHKは最初、最前線に置いているカメラを離れた車の中から遠隔操作して撮影していた。周りでも、変な臭いがしたら、すぐにガスマスクを被れとか言っていたけど、後から考えると、サリンは無色無臭。気づくはずがないんですよね

上九一色村のぴり辛ウド

デスク: 強制捜査も最初のうちは、警察も相当、おっかなびっくりでやっていたね。特に薬品精製のプラントがある第7サティアンは、天井を這っているパイプからポトンと水溶液が垂れてきて、床にシュワーッと白い煙が立ち上ったりするんだって……。そのたびに「総員、退避ー」って、避難していたそうだ。

警視庁担当: ただ、少しすると当局は、末端信者はある意味、怒れば言うことを聞くってことがわかってきた。「あいつら、脅すとすぐ喋るんだー」って言ってる警察官もいましたね。

遊軍キャップ: サティアンの中はすさまじい臭いだったそうです。殺生が禁じられているから、巨大なゴキブリとねずみが沢山いて……。柱がつやつやに見えたと思ったら、ゴキブリが何匹もたかっていたとか……。

デスク: 殺生をしないっていうオウムのお陰で、地下鉄サリン事件の後、我々、新聞記者は殺人的スケジュールだったけどね。思い出すとぞっとするけど、毎朝5時にはハイヤーが迎えに来る。で、6時前には、情報源の警察官の自宅に朝駆けして、出勤前に少しでも捕まえて……。それから会社に行く。

遊軍キャップ: あの頃は、オウムがどうやってサリンを作ったかが焦点で、難解な薬品の名前が一杯出てきましたよね。夜、上九一色村の捜査からローテーションで帰ってくる捜査官を捕まえようと、午前1時までは粘ったし……。それから社に上がって打ち合わせですから、家に着くのは毎日午前3時ごろだったかな。

デスク: 機動隊員の家に夜回りしたら、上九一色村の山で取れたウドを薦められたこともあった。ゆがいてくれたんだけど、「上九一色村産だから、舌先がぴりっとするぞ。ぴりっと……」っていやな脅かし方をされてね……。

警視庁担当: あんまり家に帰らないもんだから、ある警視庁クラブの記者は、奥さんが怒って、地方の実家に帰っちゃった。少しだけ騒動が落ち着いた1カ月後に、奥さんを連れ戻そうとして1日だけ休みを取ったら、その日の夜にオウムの大幹部だった村井正大師が、暴漢に刺されて死亡。急に社に呼び戻されて、奥さんの説得にも失敗して、結局、離婚した悲劇のケースもありました。

現場カメラ: 毎日毎日、上九一色村で強制捜査を写していたカメラマンも悲惨でした。4月には大雨が何日も続いて、脚立を置いていた砂利道がいつの間か泥の川で、それでどこかの社のカメラマンのバッグが流されていった。

警視庁担当: そういえば当時、上九一色村は、携帯電話の電波の圏外で、公衆電話も1台しかない不便極まりないところでした。社への報告も一苦労だったからね。

現場カメラ: 何社かが共同で現場にNTTを呼んで、無理やり交渉して電柱から直接、5〜6台の電話回線を引かせたんですよ。ただし、この電話は電話線から取り外しができないタイプだったので、カメラマンが夜、引き揚げる時には、ビニール袋に入れて、そこらの草むらの中に隠しておくんです。だから、真夜中に、人気のない道路脇の草むらで電話が鳴るという不気味なことになっていたんです。

マスクメロンの届け先

デスク: 結局、カメラマンは麻原が逮捕された5月16日まで、約2カ月、上九一色村に足止めされていたことになるね。

警視庁担当: 実は、強制捜査に入った当初から麻原が第6サティアンにいることを、警察では掴んでいました。

遊軍キャップ: そうだった。麻原の好物のマスクメロンが運び込まれていたし、オウムの使ってたコスモクリーナーっていう空気清浄機が誰もいないはずのスペースで回っていることが確認されていたから……。

警視庁担当: 逮捕までに時間が掛かったのは、先に麻原を逮捕してしまうと、逃亡している幹部信者たちに麻原奪還闘争という大義名分を与えてしまうためでした。だから、主だった幹部を捕まえるまでは見て見ぬふりで麻原を泳がせていたのです。

デスク: 假谷さんの拉致事件から麻原逮捕までは、新聞もテレビも雑誌もオウム一色。全マスコミが総力取材をやっていたからスクープもあったが、一方で誤報も多かった。

遊軍キャップ: 元旦スクープの読売新聞も、地下鉄サリンの犯人が小伝馬町の病院に入院しているとか、大間違いを1面で書いていた。

デスク: それはどこの社も同じで、横浜の異臭事件で毒ガスのホスゲンが使用されたと書いた新聞もあったし、地下鉄サリン事件の実行犯が30歳前後の女性だったと書いた新聞もあった。10年経って見てみるとたしかにミスだらけ。

遊軍キャップ: ただ10年経っても、見えてこないこともありますね。未だに解決に至っていない国松長官狙撃事件とか、まだ逃亡中の信者とか……。

警視庁担当: オウムの裁判を傍聴しても、ついに明らかにならず消化不良なのは、暴力団との関係でした。オウムはLSDや覚せい剤を自前でつくって、信者に投与していましたよね。あれだけ反社会的な団体がそれを裏ルートで販売していたとしても不思議はないのに……。実際、噂はいくらもあったのに、ついに明らかにならなかったです。

遊軍キャップ: 村井正大師が、山口組関係者に刺殺された事件も、背景はまるで見えてこなかったよね。10年経っても光の当たらない闇の部分が残されてしまった。

デスク: 上九一色村は市町村合併が決まった。おそらく日本で最も知名度の高い村だったんだろうけど、あと10年で、村の名前も忘れ去られちゃうのかね。

2005年4月7日号掲載

週刊新潮WEB取材班

2018年7月12日 掲載