5日(木)に発表されたリカルド・サントスのファジアーノ岡山移籍。

セレッソ大阪にルヴァンカップのタイトルをもたらした助っ人外国人は、J2の首位チームに活躍の場を移した。

そこで気になるのは、「リカルド・サントスはなぜこのタイミングで移籍することができたのか」ということ。

Jリーグにおける今シーズンの第1登録期間は3月30日(金)までであり、リカルド・サントスの移籍が発表されたのは4月5日(木)。

Jリーグへの登録はおそらく6日(金)付けで完了するが、それが可能になるのはなぜなのだろうか?

まずは経緯を確認しよう。

C大阪は1月14日(日)、リカルド・サントスとの契約更新を発表。登録名が「リカルド」に、背番号が46番にそれぞれ変更になることも明かしており、この時点では戦力として考えていたことは間違いない。

しかし、事態は急変する。1月26日(金)に行われたトレーニング中にリカルド・サントスは左手第3・4中手骨を骨折し、全治3ヶ月の診断が出た。

これにより2月9日(金)に更新されたJリーグの登録リストにはリカルド・サントスの名前がなくなっていたのだ。

その後、C大阪はオスマル・バルバを獲得。

これによりチーム内の外国籍選手(AFC加盟国およびJリーグ提携国の国籍を持つ選手は除く)は、試合にエントリーすることができる人数より1人多い3名となっていた。

岡山はリカルド・サントスとの契約に関するリリースの中で、以下のように説明している。

※リカルド サントス選手は2018シーズンにおいて、これまで無所属だったため、登録ウインドー外での加入が可能となったものです。

岡山によれば、リカルド・サントスは2018シーズン「無所属」であったという。

ここからは憶測の域を出ないが、おそらくリカルド・サントスが負傷し、オスマル・バルバを獲得した時点(あるいはその前後)でリカルド・サントスとの契約は解除になっていたのではないだろうか。

日本サッカー協会が定める「サッカー選手の登録と移籍等に関する規則」では、「登録ウインドーの終了前に契約期間が終了したプロ選手は、当該ウインドーの終了後においても登録されることが出来るものとする」と記されている。

登録リストから抹消され、C大阪との契約を解除することでリカルド・サントスは「無所属」の選手として他のチームに移籍することができる。

C大阪としても怪我をしたリカルド・サントスを応援したい気持ちがあったはずだが、チーム事情によりそうは言っていられなくなり、今回のような措置に出たと思われる。