冷遇から脱出した原口元気。あえて2部デュッセルドルフを選んだ理由
長い苦しみの末、原口元気がようやく新天地を見つけ出した。ドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフに期限付き移籍で加入。発表翌日のエルツゲビルゲ・アウエ戦でさっそく62分から途中出場し、得点こそなかったものの、はつらつとしたプレーを見せた。
新天地デュッセルドルフでデビューを果たした原口元気
「久しぶりに公式戦に出たので、楽しかったです」と、本人も安堵しているように見えた。本当にやっとスタートラインに立てたのだ。
原口がヘルタ・ベルリンからの移籍をほのめかし始めたのは2016〜17シーズンのことだった。もちろん、個人的な願望としては、それ以前からあっただろう。プレミアリーグへの憧れを口にすることもあったし、「もっと自分のプレースタイルにあった場所を探さなくては」と、はばかることなく話していた。
だが、原口は首を縦に振らなかった。ミヒャエル・プレーツ強化部長は機嫌を損ね、ドイツメディアに「原口との契約延長はない」などと語った。イングランドからのオファーも噂されたが実現せず、結局、ヘルタに残留して今季をスタートさせた。
夏のプレシーズンの原口は、失礼ながら”不憫(ふびん)だった”という表現が適当だと思う。パル・ダルダイ監督の息子や、ユースチームから人数合わせで連れてきた選手が練習試合に出場するのをただ見守っていることもあったし、彼らに押し出される形でサイドバックとして起用されることもあった。
シーズンが始まると、冷遇はより顕著になった。昨シーズンは31試合に出場したが、今季は前半戦17試合のうち7試合出場にとどまった。しかも先発は2度のみ。その数少ない先発の機会に不用意なラフプレーで退場したことはかばいようがないものの、その退場になった第8節シャルケ戦以降は、第17節ライプチヒ戦まで出場がなかった。クラブ側の対応は露骨だった。
それでもウインターブレイクを挟み、原口はヘルタに戻った。報道されたように、浦和レッズへの復帰という選択肢もあったはずだが、欧州で勝負を続けることを選択した。
この冬には、プレミアリーグやドイツ1部ブレーメンからのオファーもあったとされている。憶測の域を出ないが、クラブ名を含めてこのあたりの詳細な情報が出てくるのは、クラブ側からのリークだと思われる。原口に関する多くの情報は、クラブが簡単にドイツメディアに流していたと言われている。これも敬意を欠く対応だろう。
ともかく、原口は最終的にデュッセルドルフへの移籍を決断した。これまで日本人選手と多く仕事をしてきたフリードヘルム・フンケル監督からの熱烈なオファーを理由に挙げているが、それだけではないはずだ。ヘルタで求められた、運動量を頼りにした汗かき役から脱し、ゴール前で仕事のできる攻撃的MFの変貌を、さらに言えば原点回帰を原口は求めている。
そのことはこのアウエ戦後のコメントからも汲み取れた。「感触は?」と聞かれた原口は、
「見ていても1部とは違うのはわかるし、ひとつひとつのところで違いを作れるだろうなというのはあった」と答えた。1部と比べて少々レベルの落ちる環境だからこそ、自分への要求も多くなるが、それをプレーで表現できるだろう、ということだ。
この日は、直接得点につながるプレーはなかったが、「ヘルタだったら今日のプレーで『良い仕事だ』って言われていたけど、ここではもう1個、違いを作ってかないといけないと思ってる。そこをやっていきたいですね」と言う。
――それは監督からの要求でもあるのか?
「監督ともそういう話はしている。『ヘルタではこんな感じだったけど……』という話をしたら、『ここではもっとゴールに絡んでほしい』ということは言われた。それを求めて、それが伸ばせると思ったからここに来たのだし、そこの役割をもらえるというのは、自分にとって(いいこと)」
――ヘルタでの悔しい思いを晴らさなくてはいけない?
「それ(悔しさ)も感じてたし、だからこそ違う役割をやりたいな、というのもあったので。そういう意味では、ここではパスも来るし、悪く言うとフィジカル的に勝てる部分もある。ここで満足しちゃいけないけど、それをゴール前でやれるように、意識してやりたいと思います」
自分がよりやりやすい環境を手にすることも、2部を選択した大きな理由だったことがうかがえる。自分を取り戻したうえで、見据えるのはもちろんW杯での活躍だ。
「今日はいいチャレンジができてたし、浦和時代だったら、ああいうところからグイグイ行ってドリブルシュートを決めていた。そういうプレーが半年で4〜5本決まれば、自信を持ってW杯に行けると思う。ヘルタではそのチャンス自体が少なかったので」
原口は、ひとりのサッカー選手としての真っ当な欲求と感想を再確認しているようだった。
「楽しかったので、自分。試合をしたくて仕方なかったからね。やっぱりサッカー、好きなんだなあって思ってたし、楽しかったです」
試合後、原口は出場時間の短かった選手に課せられるランニングに宇佐美貴史と連れ立って向かった。ここには1歳年下の、切磋琢磨でき、相棒になり得る選手もいる。これ以上ない環境で、W杯へのラストスパートが始まった。
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