おひとり様の会社員が、40歳で都心に「7坪ハウス」を建ててみた。

「東京で家モチ女子になる」という無謀な企てを実現しようとして身に起きた出来事を、洗いざらい綴ってきたこの連載。いよいよ今回は、土地購入のために1900万、もろもろも含めて計4100万円という巨額の融資を受けることに。借金してまで家が欲しいのか? その疑問に関する答えは人それぞれだけど、私の場合、迷わず「YES!」だった。

借金する!」と決めるのは勝手だけど、果たして女おひとり様に無事に融資はおりるのか?

1階から2階につながる階段の角。塚本邸の床はすべてアイボリーホワイトのフローリングで統一されている。

借金してまで家が欲しいのか?

家は、借金をして買うものである。

親が資産家だとか、遺産が入ったとか、自分の稼ぎ以外の資金を当てにできるならいざしらず、自分でどうにかしなくてはいけない一般サラリーマンが、キャッシュでぽんと家を買えるわけがない。宝くじやBIGにでも当たらない限り……。

借金してまで家が欲しいのか?

家購入の大きな指針になるのは、やはり資金繰りだ。“借金を抱えるのが嫌”というほうに針が傾くなら、家を持つことは諦めるしかない。私は“家が欲しい”という思いのほうが強かった。何度もいうように、借金してでも家が欲しかったのだ。

とはいえ、世の中そんなに甘くはない。「借金をしてでも手に入れたい!」と家を買う決心をしたところで、誰にでも好きなだけお金を貸してくれる機関は存在しない。当然、貸し主は、借り主に返済能力があるのか見定める必要があるからだ。

私が貸し主に選んだのは、地方銀行であるH銀行だが、理由は単にコーディネート会社の担当者・Mさんがすすめてくれたからだ。正直、どこを選べばいいのか自分ではよくわからなかった。こういう時は信頼のおける専門家に頼るのが一番というのが私のモットーだ。

一応、取引のある(口座を持っている)銀行のほうが借りやすいという話を聞いたので、都市銀行のパンフレットをもらってはみたものの、H銀行よりも金利が高いうえに、「ある一定の面積を超えた建てもの」という条件があった。10坪の土地と建築条件を鑑みても、条件に見合う広さの家は建てられない。狭小住宅を数多く手がけているMさん曰く、実はわが家の規模の家だと銀行の選択肢はほぼないらしい。

家の大きさは資産に比例しているとでもいうのだろうか。返済能力に関係なく、建てる家の規模ではじかれてしまうとは。やはり、世の中はそんなに甘くはない。この時はそう思った。

2階から3階につながる階段。30代は旅によく出かけていたという塚本さんらしい小物があちこちに。

3900万円の融資がおりた日

前回も書いたように、Mさんと一緒にH銀行に融資相談に行ったのは2010年12月3日のことだ。融資に関する概要や条件などの説明を受けた後、Mさんが算出してくれた3900万円が借りられるかどうかの審査を依頼する書類を提出した。

いったいいくら借りられるのか。ゼロということはないと思うけど、希望額を借りられるとは限らない。金額によって家づくりは大きく変わってくる。ドキドキしながら、審査がおりるのを待つ日々が続く……はずだった。

しかし、世の中は甘かった。

私の希望はすんなり通り、3900万円の融資がおりたのだ。しかも審査に1週間はかかると聞いていたにもかかわらず、銀行は相談に行った日の夕方に審査結果を知らせてくるという早業を見せてくれた。

知り合いのイラストレーターさんがマンションを購入する際、なかなか審査が通らないと嘆いていたことがあった。いろいろな金融機関に融資依頼をしては断られたり、希望額に満たない数字を提示されたという。フリーランスというのがネックだったようで、「(当時はまだ会社員だった)塚本さんなら、簡単に融資を受けられると思うよ」と言われたのを覚えている。

30歳前半だった当時、私は勤続年数10年程度で、収入もそれなりによかった。それから10年近く経過し、勤続年数も収入も増えていたのだから、イラストレーターさんの言葉通り「当然の結果」だったのかもしれない。20年という勤続年数の安定と、月々の収入の安定。銀行はこの“安定”に融資をしてくれたのだ。

それから数年後、私はフリーランスになり、安定とはほど遠い環境になった。間違いなく今では3900万円の融資は受けられないだろう。それでも何も言ってこない銀行には「ありがとう」と言いたいが、入口で「安心」材料を見せておけば審査はおりるということだ。もし今後の予定として、家購入と起業を考えている方は、会社員時代に家を購入することをおすすめする。

ちなみに私は現在、その“フリーランス”の壁に立ちふさがれている。私が融資を受けた2011年より、さらに金利は下がっているため、密かに住宅ローンの借り換えを考えているのだけど、条件にはもちろん「安定した収入」という文字が。打って変わって融資の壁は高いハードルになった。

やはり、世の中はそんなに甘くないのだ。

3.11に「東京の地主」になって

2011年3月11日、「土地所有権移転登録手続」を終えると同時に、私のH銀行口座には融資額の半分である1900万円が振り込まれた。通帳の残高にこれまで見たことのない数字が一行だけ刻まれた。1900万円の札束を手にすることなく、通帳だけを経由して、即売り主さんの口座に振り込まれた。あっという間に通帳はいつもの数字に逆戻り。

こんな感じだから、多額の借金を抱えたという感覚もかなり薄かったように思う。実際にお金を目にするわけでもなく、手続きも単に専用用紙に必要事項を書き込み、印鑑を押すだけ。なんとも味気ない。

結果、私は融資額を3900万円から4100万円へと変更することになる。建築家さんとのやりとりについては次回に回すが、設計の見積り調整に四苦八苦している中で、Mさんより飛び出した「H銀行がもう少し融資額を増やせると言っていましたよ」という発言。

月々の返済額が数千円の違いというのだから、これは増やすしかないでしょう。こうなったら借金が200万円増えようがどうってことない。完全に金銭感覚が麻痺してしまった。

こうして、私はたいした実感もないまま、4100万円のローンを抱えることになる。

ところで、日付を見て気づいた方は多いと思うが、初めて融資を受けた日の午後、東日本大震災が起こった。「地主になった」と喜んでいる場合ではなくなったが、マンションではなく土地を買って家を建てるという判断は正しかったと実感した。もし建物が倒壊しても都心に土地があれば、何とかなるような気がした。

(塚本佳子)