1989年4月の三冠王座戦では、ジャンボ鶴田の頭から落とすパワーボムで失神KO負けを喫した天龍源一郎。その後、首と腰を痛めて戦線離脱した天龍は同年6月に復帰して雪辱を果たしたが、その表情が晴れることはなかった。

 世間から頑固や偏屈と言われる人間も、当人には当人なりの理由がある。自分なりに考え尽くしたことを赤の他人に対して簡単に説明できるわけがないとの思いがあるから、どうしても無口になってしまうのだ。
 '89年6月5日、日本武道館において天龍源一郎がジャンボ鶴田に挑戦した三冠王座戦。天龍は人生初にして唯一、鶴田戦でピンフォール勝ちを収めたにもかかわらず、喜びの様子を一切見せなかった。勝利者インタビューを求めるマイクに背中を向けると、リングを下りながら「まだまだこれからです」とだけコメントを残している。

 プロレス大賞の年間最高試合賞を獲得したこの一戦。満場1万5200人の声援の中、パワーボム2連発からの完璧なピンフォール勝ちに、いったい何の不満があったのだろうか。後年、天龍自身が選んだ生涯ベストバウトも、同じ鶴田戦ではあるが、バックドロップ・ホールドに敗れた全日本プロレス離脱直前の試合であった。
 「天龍というレスラーを読み解くキーワードの一つに“職業・プロレスラー”というのがあります。入団時の会見で『全日本プロレスに就職します』と言った鶴田が、プロレスを仕事として捉えていたのとは似て非なるもので、要するにプロレスを天職として全うしようということになるでしょうか」(プロレスライター)

 プロレスが仕事である鶴田は、職場のリングでだけプロレスラーになり、家では素顔の鶴田友美に戻る。お勤めだから当然、定年もある。片や天龍は職業として選んだからにはと、24時間プロレスラーであろうとした。常にプロレスとは何か、プロレスラーとはどうあるべきか考えを巡らせた。
 「スタン・ハンセンからはプロレスラーのすごさを、ブルーザー・ブロディからはプロレスのすごさを教えられた」などの天龍語録からは、確かに考え続けた人間にしか出せない深みが感じられる。
 「大相撲時代に所属した二所ノ関部屋のトラブルに巻き込まれたことで、予期せずプロレス転向を決めた天龍ですが、そこには天賦の才に恵まれた鶴田がいた。お仕事気分で強豪外国人を相手に、楽々とメインイベンターの務めを果たす鶴田に比べ、天龍は相撲とレスリングの違いもあって、スタミナ面やグラウンドのスキルなどでどうしても力及ばなかった」(同)

 しかし、その差を埋めるための試行錯誤がレスラー天龍の基礎となった。
 「チョップやパンチ、キックで試合をつくるスタイルも、長年のアメリカ修行時に身に付けたアメリカンプロレスのテンポに、日本流の激しさを組み合わせた天龍による一種の発明ですが、これもレスリング技術では鶴田にかなわないことから生み出された部分があったのでしょう」(同)
 ジャイアント馬場、鶴田、タイガー戸口に次ぐ全日4番手の頃から、ライバル団体・新日本プロレスの総帥であるアントニオ猪木の延髄斬りや卍固めを使い始め、心ないファンからは“偽猪木”とのそしりを受けたりもした。しかし、その懸命なファイトは徐々に周囲から認められ、'83年には鶴田との“鶴龍タッグ”を結成するに至った。

 だが、ようやく鶴田に近づけたとの思いを抱くも、同時にそのプロレス観への違和感が生じることにもなる。ハンセン、ブロディ、ロード・ウォリアーズらの技を受けることで試合を盛り上げ、主役の鶴田に見せ場を作ろうという天龍の思いが、当の鶴田には伝わっていないと歯噛みをすることもしばしばだった。
 「天龍のキャラクターから誤解されがちですが、'87年に長州力らジャパンプロレス勢が離脱したのを契機にスタートした天龍革命は、別に激しい試合がやりたかったわけではない。その当時、アメプロよりもそうした試合の方がウケるという読みからの行動であって、それは後に天龍がインディー団体やハッスルに出場した動機とも大きく違わないのです」(同)

 天龍の挑発にようやく鶴田が乗ったことでファンからも大きな反響を得ることになったが、しかし、そこで天龍は本気の鶴田のすごさを知らしめられる。天龍自身の人気も高まり、鶴田のライバルとされたはいいが、どうしてもそのナチュラルな強さにかなわない。
 冒頭の試合に勝利した直後、コーナーにへたり込む天龍に対し、鶴田は何事もなかったかのようにスクッと立ち上がり、さわやかに握手を求めてきた。天龍はそれに応えようとせず、ただうつむいていた。
 「結局、鶴田は天龍の気持ちや天龍革命の目的について、何も分かっちゃいないという絶望感が『まだまだこれからです』との言葉になったのでしょう」(同)

 会社からも金銭という目に見える形での評価を受けることはなく、上には必ず鶴田がいてその枠組みが変わることはない…。そんな思いが約1年後のSWS移籍へと、つながることになったのではないだろうか。