ドコモがiモードケータイの出荷終了へ!世界最高峰だったiモードの歴史とガラパゴスの由来

写真拡大

NTTドコモは、iモード対応の携帯電話(フィーチャーフォン)を年内11月〜12月を目途に出荷終了し、在庫限りで販売を終了することを発表した。
iモードサービスについては、引き続き提供され、終了時期については未定とのことだ。

スマホ世代にとって「iモード」と言ってもピンと来ないかもしれない。

しかし、携帯電話を黎明期から知っている世代にとっては、世界でも先進の携帯電話を体感できたワクワクするサービスであった。
一方で、先を走りすぎた日本の携帯電話のガラパゴス化と呼ばれる独自サービスの始まりでもあった。

そんな「iモード」の歴史を、振り返ってみよう。

●日本の携帯電話で独自に発展したiモードのサービス
携帯電話が普及しはじめたのは1990年代ごろから。
1990年代後半には通信方式がアナログからデジタルへと移行した。
デジタル化にともない大きな液晶画面を搭載する機種も登場し、ショートメッセージのサービスなどもはじまった。

そして1999年には、NTTドコモが、「iモード」のサービスを開始したのだ。
「iモード」は、インターネット接続機能をもち、ウェブ閲覧、メール、 アプリの利用が可能になったサービスだ。

インターネット接続できると言っても、携帯電話の液晶画面サイズや、通信速度などの制約から、パソコンと同様のウェブページを表示することは難しかった。

そこで、iモードケータイには、専用の「iモードブラウザ」が搭載された。

企業や個人も、こぞってコンテンツを軽くしたiモード専用のウェブページを制作した。
提供されるウェブサービスには有料と無料のカテゴリが用意された点がビジネスとして成功した要因のひとつだろう。
有料サービスを利用する際は基本的にNTTドコモの月額料金とあわせて請求される仕組みも確立した。

専用アプリの「iアプリ」には、
ゲームや地図、電子書籍などもあり、現在のスマホアプリのように、ユーザーは好きなアプリを追加することができた。

さらに2004年に、おサイフケータイの「iモードFeliCa」が登場している。
iPhoneにFeliCa機能が搭載されるより10年以上前の話だ。

当時の日本の携帯電話は、世界最高水準の機能や性能をもつと言われた。
NTTドコモは、2006年には世界最大のワイヤレスインターネットプロバイダとしてギネスに登録されるなど、ユーザー数を爆発的に伸ばした。

NTTドコモに追随するように、auも「EZweb」、J-フォン(当時)は「J-スカイ」をスタートするなど、携帯電話でインターネット接続サービスは当たり前のようになってきった。

NTTドコモは、こうした国内での成功の勢いで海外展開を目指した。
海外キャリアとの技術提携を進めようしたが、苦戦した。結果とて世界進出を成功させることができなかった。当時始めた多くのサービスは、既に終了している。
海外進出が不成功に終わった理由は、いろいろあるが、ひとつには当時の海外では、まだ携帯電話に通話やメール以外の機能のニーズがなかったという指摘もある。
この海外投資によるNTTドコモの赤字は1兆5000億円とも言われる。

その後、2007年に米アップルがiPhoneを発表、翌年には日本でも販売開始された。
iPhoneは、パソコンと同じようにウェブページを表示できる「フルブラウザ」の機能を搭載し、パソコンと同じメールアドレスも使用できた。
こうしたパソコンとの親和性、汎用性から、世界中で利用者を増やし、その後さまざまなスマートフォンが登場する時代を切り開いた。
iPhoneが成功した背景には、第3世代移動通信システムが普及するなど、通信速度が向上したことが大きな追い風となった。

世界的なスマートフォン時代の幕開けに、日本企業は出遅れることになる。
世界でスマートフォンが普及する一方、国内では、多くのiモードユーザーおり、iモード向けのサービス、機器などがスマートフォン移行の壁となったのだ。
このことで、世界市場の規格と異なる日本の携帯電話が「ガラパゴス」と呼ばれることになる。

今回、NTTドコモでは、iモードケータイの出荷を終了した理由として「部材の一部が生産終了したため」と発表されているが、背景には国内でもガラケー(フィーチャーフォン)からスマートフォンへの移行が進んだこともあるだろう。

一方で、現在でもガラケーの愛好家は多いため、iモードサービスは引き続き提供される。また、iモード対応の「らくらくホン」も当面出荷が継続されるなど、まだまだ「iモード」は、根強く日本の中で残っている。