現役時代の原辰徳 日本シリーズでの勝負弱さは異常

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今年の巨人は不調でした。特に打線に勢いが感じられないと思ったファンも多いのではないでしょうか。例えば男村田こと村田修一はチャンスで凡退を繰り返しています。チャンスで披露する併殺打はもはや芸術的で、ファンたちからは皮肉半分で「さすが村田!」と言われる始末です。

さてこのチームを率いていた人物こそ、原辰徳。今年の巨人は2位に終わりましたが、2度の3連覇を達成するなど指揮官としてかなりの実績があります。また、監督として選手に発した「偽侍だ」、「プロとして非常に恥ずかしい」などの辛辣なコメントでもお馴染みです。

【現役時代の原 日本シリーズでの成績は】


そんな原は現役時代、巨人の4番を務めていました。しかしこの原選手、チャンスや大舞台でめっぽう弱かったんです。まるで今の村田選手のようですね。もしこの時代の原選手を今の原監督が見たらなんと言うのでしょうか? きっとボロクソに批判するに違いありません。
今回は現役時代の原の大舞台(=日本シリーズ)での様子を振り返っていきましょう!

まず前提として原は現役時代、1981年・1983年・1987年・1989年・1990年・1994年の計6回日本シリーズに出場しています。このうち1981年はルーキーイヤー、1994年は最晩年です。そのため、チームの主力選手(クリーンナップ)としての成績を見るために、1983年・1987年・1989年・1990年の成績を中心に取り上げます。

【腰砕けで三振 情けない巨人の4番】


まずは1983年の西武との日本シリーズ。ハイライトは第7戦です。3勝3敗で向かえ勝った方が日本一になるという重要な試合。ここでも原は勝負弱さを発揮してしまいました。
場面は7回表、2死満塁。打者は原、投手は東尾。巨人が2対0で西武に勝っています。この場面で1本でも打っていれば巨人が9割9分日本一に近づくという場面です。

この場面で東尾は、原の顔に近いところにボールを投げ込み、原はかろうじて倒れ避けます。実はこのビーンボールと呼ばれる危険球を投げるのは、東尾の常套手段であり、恐怖心を植え付けて打者が踏み込めなくなったところに、外角のボールを投げて打ち取るというスタイルです。
ここでも東尾は次の球に外へのスライダーを選択しました。しかしこれがすっぽ抜けてど真ん中に。原に大チャンス到来です!
……にもかかわらず、なんと原はこのど真ん中のボールに腰砕けで三振。結局このピンチをしのいだ西武が次の回に3点取り、3対2で西武の勝利。日本一を西武に譲ってしまったのです。

あそこで一本打っていれば……そう悔やまれるシーンでした。特にど真ん中を腰砕けで三振するというみっともなさ。監督時代の原は選手たちに「サムライらしさがどうこう」と講釈垂れていましたが、本人が現役のときにはサムライらしさの欠片もなかったんですね。

続く1987年の西武との日本シリーズでも打率.240 2本3打点とパッとせず、チームも敗戦しました。
そして1989年の近鉄との日本シリーズ。原は満塁弾を打つなど見せ場は作りましたが、第7戦まであったにもかかわらず、トータルで2安打しか打てませんでした。

【原に対する評論家の辛辣なコメント】


1990年の西武との日本シリーズでも原は打率.266に終わり、西武に4連勝されるという屈辱を味わいました。このときに発売された雑誌「Number」がかなり辛辣な内容だったのでご紹介します。
ここでは元大洋ホエールズの山下大輔氏の戦評が載っています。それによると「今回のシリーズでは原と清原という四番打者の差が明暗を分けたように思える。チームを代表する選手としての自覚がどう打席に出ているかが問題だ。本来の四番打者は相手の決め球を打ちにいってこそなのに原は出来ていない。」と酷評されています。
そもそも決め球以外でも打てないでしょうに、そんなことを期待される原には同情さえ覚えます。

また、原が第三戦で落球したシーンが紹介されており、大学教授による分析で「原選手がエラーした後にグラブを見つめる図は自信のない証拠。取り損なったのは俺のせいではなく、グラブが悪いと責任転嫁している」とも書かれています。

このように当時のメディアを見ると現役時代の原はどこか頼りないという印象を覚えます。事実日本シリーズでは通算打率.232と、巨人の4番を任せられる人間としてはかなり低調で「論ずるに値しない」成績に終わっています。
ここまで見てきたように現役時代の原は酷評されても仕方ないような成績(日本シリーズに限定すると)でした。しかしそれらを棚にあげて選手たちに厳しいコメントを残し続けた原"監督"の姿を見ると、ある意味で名監督としての素質があったようにも思えてきます。
「OLP20 007G8原辰徳PR」