スポーツにおいては勝ち負けは表裏一体のものであるように、幸運と不運も裏返しの関係にあります。自分たちが勝てば、相手は負ける。自分たちに幸運があれば、それは相手にとって不運である。試合がなければ、そこに喜びや感動は生まれないわけで、すべては相手あっての話です。

とかく勝負事では「勝利」を重んじるあまり、相手のことを忘れがち。自分たちが勝てば敗れた相手のことは頭から消し飛び、自分たちに都合のいい出来事があれば、それによって辛い思いをする相手のことは忘れてしまう。そうした姿勢は、本当の意味でその競技を楽しいエンターテインメントにしていくにはふさわしくないものです。勝負とは勝者だけでも敗者だけでも成立しない共同作業なのですから。

2日に行なわれた女子ワールドカップ準決勝、日本VSイングランド戦。この試合はともすれば荒れた一戦ともなりかねないものでした。前半に両チームが得たPKは、ペナルティエリアの外でのファウルに見えるものであったり、いずれもPKを与えることが妥当とは思われないようなプレーであったりしました。

<かつて名古屋グランパスでプレーした元イングランド代表選手ゲーリー・リネカー氏は、ツイッターで「どちらもPKではない」とつぶやく>
もちろん判定をくだすのは主審であり、ここではその判断の是非を問うものではありません。ただ、「PKだ」「いやPKじゃない」と議論を呼びそうなプレーであったことは否めません。特にワールドカップの準決勝という大舞台であれば、そのひとつの判定をめぐって大きな揉め事が起きてもおかしくないもの。2014年のワールドカップ・ブラジル大会でも、開幕戦からPKの判定をめぐって大揉めとなったことは記憶に新しいところです。

しかし、この試合に関しては両チームとも、抗議や揉め事に意識を向けるのではなく、次のプレーに心を向けていました。日本がPKを与えた場面では、損をしたはずの日本の選手たちが淡々と判定を受け入れ、抗議に向かうどころかそそくさと給水のボトルを取りに向かったほど。無意味な抗議よりも、次のプレーに備えて水を飲む。このような姿勢であったからこそ、アヤしいPKが2本生まれた試合でありながら、この試合が清々しいものになったのではないでしょうか。

決勝点となったオウンゴールについて、日本代表のキャプテン・宮間あやは「アンラッキーなゴールだった」と相手の立場に寄り添ってコメントしました。試合後に宮間が敗者に寄り添い、相手をいたわることはよく知られたエピソードですが、劇的な「ラッキーゴール」のあとでも相手を思いやる姿勢は変わりませんでした。勝者の影にある敗者のこと、幸運の影にある不運のことを、常に意識に置いているからこそ、このような姿勢でいつづけられるのでしょう。

自分たちがPKをとられたときは血相を変えて抗議するくせに、相手がオウンゴールしたときには「ラッキー」とほくそ笑む……そうした自分に都合のいい幸運だけを望む態度では敗者側・不運側からの敬意は生まれないというもの。不運を受け入れ、敗者を思いやれるからこそ、幸運を受け取り、勝利を誇ることもまた認められる。勝負とはかくありたいもの。

そうした姿勢はまさに「横綱」というべきもの。大相撲で横綱昇進の推挙を受けるにあたっては、成績はもちろんのこと「品格力量抜群につき」と品格をも問われます。ただ強いだけではない、特別な存在。勝ってもなお、その生き様が問われる存在。ゆえに特別な地位と敬意を送られる存在です。この準決勝でなでしこJAPANは、単なる世界王者ではなく、尊敬される世界王者になり得ることを改めて示したように思います。「品格力量抜群」な横綱であるところを。まさしく日本らしい、王者の姿ではないでしょうか。

(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)