柏原純一氏は4年目に台頭…5年目に背番号が「9」に変更野球評論家の柏原純一氏にとって最大の恩師は南海時代の監督であった野村克也氏だ。大阪堺市中百舌鳥での個人面談から始まり、教えてもらったことは数え切れないほどある。プロ7年目の1977年には大阪府豊中市刀根山の野村監督が住むマンションの隣の部屋への引っ越しを命じられて、深夜のバットスイングなどマンツーマンでの指導も受けた。強固な師弟関係。その“共同生活”