田原総一朗に「イスラム国」を訊け!

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 イスラム過激派組織「イスラム国」が勢力圏のイラク北部モスルなどで携帯電話の回線を遮断していることが10日に明らかになった。情報統制が強まり、緊迫した情勢がいまだ続いている。

 この「イスラム国」を弱体化させようと、米国の呼びかけで日本や欧米、中東諸国など約60の国と地域の外相や大使らが出席する「有志連合」の閣僚級会議が12月3日、ブリュッセルで開かれたことが報じられた。

 会議では、空爆やイラク軍に対する支援などの成果が確認され、会議後の共同声明では「『イスラム国』の勢力拡大は止まりつつある」と発表された。

 一方で、翌4日には、北アフリカのリビアでイスラム国が訓練施設を作り、戦闘員を育成していることを米司令官が明らかにした。規模は数百人程度とされ、脅威とは言えないようだが、こうした動きもあるということだ。

 イスラム国に対する空爆は14年9月から始まり、軍事作戦にはサウジアラビア、 アラブ首長国連邦、ヨルダン、 バーレーン、カタールの5カ国も参加しているようだ。限定的な空爆と資金源根絶で今後もイスラム国の勢力をさらに弱めることができるのか、僕は注目している。

 なぜなら、このままイスラム国が強大化すれば、日本も「有志連合」の多国籍軍に関わらざるを得なくなるからだ。

 集団的自衛権行使が認められたいま、アメリカから求められたら、日本はどう答えるのだろうか。武力行使はしないだろうが、後方支援ならあり得るかもしれない。もはや「対岸の火事」ではすまされない時代になっているのだ。

イスラム国誕生の背景

 そもそもイスラム国とは何なのであろうか。人質の欧米人の「処刑」の映像をインターネットで流すなど、「ネット時代の新しい形のテロ組織」である。組織の人数は若者を中心に2万人とも5万人ともいわれ、詳しくはわからないが、かなり大規模であることは確かである。

 また、豊富な資金を持つことでも知られ、米国務省は「世界で最も富裕な国際テロ組織」と認定されている。資金源は支配下の油田などのオイルマネーのほか、誘拐した住民の身の代金、略奪や密輸などだが、さらにサウジアラビアなど富裕なイスラム諸国による寄付金も多いとされている。

 イスラム国誕生の背景には、2003年に始まったイラク戦争がある。06年にはフセイン元大統領が処刑され、11年にオバマ大統領がイラク戦争の終結と米軍の撤収を宣言している。

 この戦争で、アメリカはイラク国民を「解放した」といっていた。だが、アメリカの狙いは、 中東の分断支配だったと僕は思っている。フセイン政権後に政権についたのは親米派のマリキだったが、国内をうまくまとめることができず。イラクは大混乱に陥ってしまった。

 イスラム教は、「スンニ派」(最大勢力)と「シーア派」に分かれるが、イラク国民はシーア派が6割以上を占める。スンニ派のフセインはイラク国内では少数派だったが、シーア派やクルド族をうまく治めていたのだ。

 しかし、マリキ政権はスンニ派の排除を強行したことでスンニ派の不満を増大させ、イラクやイスラム国などのスンニ派の武装勢力の拡大につながっていったといわれている。

 実は、僕はイラク戦争の3か月前にフセイン大統領の取材を試みてスタッフとともにバグダッド入りしたが、フセインの居所がわかると空爆されるということで取材はかなわなかった。代わりにラマダン副大統領(当時)とアジズ副首相(当時)が応じてくれて、「大量破壊兵器は所有していない」「アルカイダとは無関係」と話してくれたのを覚えている。事実、その通りであったが、アメリカは空爆を開始した。

「世界の全共闘」イスラム国

 イスラム国の目的は、「理想のイスラム国家の建国」だという。この理想に憧れて、欧米諸国から多くの若者たちがイスラム国に参加している。多くは欧米で暮らすイスラム系移民の子孫であり、差別を受けている。生まれ育った国で冷遇されて不満もあり、鬱屈した毎日を送ってきたのだ。

 そんな彼らの前に出現した「イスラム国」は、理想の国を目指す希望の存在なのだろう。理想を掲げる者たちが新たな国家建設をめざし、そのために暴力も厭わないというのは、これまでもあったことだ。

 特に、僕にはイスラム国がかつての日本の全共闘に重なって見えてしかたがない。全共闘(全学共闘会議)は、1968年から69年にかけての日本の学生運動において各大学ごとに学部やセクトを超えて組織され、「大学解体」「安保反対」などを掲げて新しい国づくりを目指した。当時は、その理想に惹かれて日本中から多くの若者が集まっていた。純粋に理想だけを突き詰めていった運動だったともいえる。

 イスラム国も、欧米などキリスト教支配の世界に対して「武力によるイスラム世界統一」というラジカルな闘いを挑んでおり、共通していると思えてならない。

田原総一朗(たはらそういちろう)

1934年滋賀県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、岩波映画を経て、東京12チャンネル(現テレビ東京入社)に入社。撮影中にインタビュアーの求めに応じて性行為に及ぶなど「突撃取材」で名を馳せ、水道橋博士から「日本で初めてのAV男優」と評される。原発報道をめぐって会社と対立、退社後はテレビ朝日系『サンデープロジェクト』(惜しくも終了)、『朝まで生テレビ!』のほかBS朝日『激論!クロスファイア』などで活躍。著書や共著も多く、『日本人と天皇 - 昭和天皇までの二千年を追う』(中央公論社)、『80歳を過ぎても徹夜で議論できるワケ』(角川書店)、堀江貴文氏との対談『もう国家はいらない』(ポプラ社)のほか百田尚樹氏との対談『愛国論』(ベストセラーズ)も14年12月に発売予定。

(撮影/佐倉博之)