【三億円事件】46年目の真相「田中角栄のポケットバンクが襲われた」
日本の未解決事件史上、最大のミステリーといわれる「三億円事件」が12月10日、発生から46年目を迎えた。1975年の12月10日に公訴時効となってからも、39年の時間が経過したが、事件の概要はいまだ謎に包まれたままだ。数々の犯人説があるなか、今回、新たな犯人説が浮上した。驚くべきその内容をお伝えしよう(DMMニュース編集部)。
遺留品150点以上も残し時効になるなど考えられない動員された捜査員、16万人以上――。捜査対象者11万人、参考人32人、強制捜査1人――。 捜査費用9億円――。
前代未聞の人員と巨額の費用が投入されたものの、事件は迷宮入りした。
1968年(昭和43)12月10日――東芝府中工場に運ばれる予定だった約3億円の従業員のボーナスを積んだ日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が、偽の白バイ隊員によって白昼堂々強奪された。
わずか数分の、見事ととしか言いようのない強盗劇――だが、事件の細部を検証すればするほど、三億円事件の非現実性ばかりが浮き彫りとなる。
まず白昼堂々、しかもわずか数分で現金を強奪することがなぜ可能だったのか。そして警察の捜査網をかいくぐり、時効まで逃げ切る芸当がはたして可能だったのか。
元公安幹部A氏は、筆者が抱いた疑問について、次のように答えた。
「白昼堂々の強奪と逃走劇。さらに遺留品を150点以上も残して、時効まで逃げ切ることは、100%あり得ない」
だが、その“あり得ない”事件が現実に起きたのである。
なぜか警察からの警護要請を無視した日本信託銀東芝府中工場(以下東芝府中)は1965年(昭和40)に日本信託銀行国分寺支店(以下信託)と取り引きを開始した。
当初、従業員の給与を運ぶ際は、信託の斜め前にあった三菱銀行国分寺支店(当時)に一晩預け、給料日当日に三菱銀行から出発していたとされる。
給与の銀行振り込みが当たり前の昨今と違って当時は現金支給だった。
だが1968年10月、つまり3億円事件が起きる2カ月前から、運搬方法が変わった。信託から直接給与が運搬されるようになったのである。
三億円事件の前日、信託は賞与の袋詰め作業の際に警察へ警護の要請をしている。しかし、運搬の際の警察からの警護要請は無視しているのだ。この不可解な信託の行動は、まるで「現金を奪ってくれ」と言わんばかりの奇妙さである。
さらに、事件発生後の警察の対応にも疑問がある。事件発生から警察が事件を発令するまで14分の時間を要し、奪われた金額も当初「9000万円」と誤伝している。単なる現場の混乱とされたが、はたしてそれだけの理由だったのだろうか。
奪われた3億円は、わずか「1万6000円」の掛け金の損害保険で補填され、翌日には従業員にボーナスが支給されたという(一説には1週間遅れたとの話もある)。
事件発生後、警察は内部犯行の線から、東芝府中や東芝本社、信託、三菱銀行までをも捜査対象とした。そのドタバタの最中に5千人を超える従業員の賞与の袋詰め作業などは現実的に可能だったのだろうか。
筆者はずっと疑問に思ってきたことがある――奪われた3億円を誰も見ていないのだ。
輸送車は確かに盗まれた。だが、ジュラルミンケースの中身は、行員以外に誰も証明できない代物だった。
事件で奪われたとされる現金のうち、信託側に通し番号として登録されていたのは「五百円札・2000枚」……たったの100万円たらずである。つまり、残りは“足がつかない”金だったとも言えるのだ。
ジュラルミンの中に現金はほんとうに入っていたのか……じつは、“空っぽ”だったのではないか……。
日本信託銀は田中角栄の“ポケットバンク”だった?事件直前の不可解な動きを整理してみよう。
東芝は三井グループに属する企業であるにもかかわらず、なぜか前述の通り三菱グループの信託(昭和41年に三菱銀行常務が就任し、後に三菱銀行と合併)と取引を開始。信託は三億円事件における被害銀行である一方で別の顔も持っていたのである。
1973年(昭和48)の国会で田中角栄の金脈問題が追及された際、信託から田中のファミリー企業への数千億円もの疑惑融資の問題が表面化した。田中が大蔵大臣時代に三菱と信託の間を取り持ったとされ、信託の社長が田中の盟友・小佐野堅司の会社で以前に監査役を務めていたこともあった。信託は政界と深い関係を持った銀行であり、前述の疑惑融資を鑑みれば、田中の“ポケット・バンク”的な側面があった可能性もある。そして、田中は1966年(昭和41)12月に辞任した自民党幹事長の職に、3億円事件が発生する1カ月前の1968(昭和43)11月に復帰している。
東芝府中と信託の取引開始が1968年……田中の幹事長復帰が同年11月……そして、同年12月に三億円事件が発生。
複数の目撃者や前述した150点以上の遺留品があったことから、早期解決の空気が捜査陣には漂っていた。だが、事件は早期解決どころか、迷宮入りという憂き目をみる結果となった。
なぜ、犯人を逮捕できなかったのか?(後編に続く)
(取材・文/中村透)