レッドソックス・田澤純一【写真:Getty Images】

田澤が危機感を持ち続ける理由

 今季もレッドソックスの貴重なセットアッパーとしてマウンドに上がり続ける田澤純一だが、彼が口癖のように言い続けるフレーズがある。

「常に危機感を持っていきたいです」

 何に対する危機感なのか? それは「現状に満足した途端、今の立ち位置は簡単に失ってしまう」という危機感だ。

 今季2度目の開幕メジャーを果たしてもなお、危機感を持ち続ける理由――それは、マイナーで臥薪嘗胆した日々に、メジャーにはい上がることの難しさ、そして定着することの難しさを目の当たりにしてきたことにある。

 今でこそ、時速94〜95マイルを計時するフォーシームでストライクゾーンを大胆に攻め、スライダーやスプリットをアクセントに、球数少なくアウトを重ねるスタイルが代名詞となった田澤だが、レッドソックスの一員となった2009年当初は戸惑うことも多かった。

 配属された2Aポートランドでのこと。当時2A投手コーチだったマイク・キャサー氏(現パドレス傘下3A投手コーチ)に「投げるのはストレートだけ。3球で三振を取ってくるんだ」と言われたことがある。

 マイナーリーグの打者の狙い球は、もちろんストレート。ストレートを狙ってくるなら、最初はスライダーから入れば簡単にストライクは取れるはずだ。なのに、ストレートで真っ向勝負しろという。しかも、日本では2ストライクに追い込んでから、遊び球としてわざとボールを投げて、打者との駆け引きを繰り広げることもある。なのに、3球で勝負しろという。頭を悩ますこともあったが、自分が海を渡った理由を考えた時、すべてが晴れた。

抱えていた戸惑いの気持ちが薄れていった瞬間

「自分はアメリカの野球をするために、ここにやってきたんだ」

 そう気が付いた途端、抱えていた戸惑いの気持ちが薄れていった。

「僕はここに日本の野球をしにきたわけじゃない。メジャーのよさを少しでも多く取り入れてプレーできるようになりたかったんです。本当は、日本でプロを経験してから、メジャーで投げるのがいいかもしれない。でも、僕はそういう道を選ばずに、マイナーで積み上げることにしたわけですから」

 当初、レッドソックスは2年ほどマイナーを経験させてから、メジャーの戦力として見込む予定だった。だが、2010年に、いわゆる、トミー・ジョン手術と呼ばれる右肘靱帯再建手術を受けたことで、予定がずれた。それでも、球団は決して復帰を焦らせることなく、じっくりと機が熟すのを待った。

 リハビリを終え、3A所属となった田澤は、メジャーで故障者が出るなど不測の事態が発生した場合は、メジャー昇格し、戦力が整えば再びマイナーに戻る生活を繰り返した。

 時には、「契約」という太刀打ちできない壁に阻まれ、成績のよくない選手がメジャーに残る一方で、成績のいい田澤がマイナー行きを命ぜられたこともある。そんな経験を繰り返しながら、メジャー25人枠に入るチャンスの少なさと、メジャーに定着することの難しさを学んでいった。

 だからこそ、開幕メジャーを勝ち取った昨シーズン以降も「いつマイナーに落とされるか分からない」という気持ちだけは持ち続けることにした。弱肉強食の実力社会だ。メジャーがピラミッドの頂点だとすれば、その下には「隙あらば上まで上り詰めよう」と虎視眈々とチャンスを狙う若手がひしめく。一瞬の隙を見せたら、あっという間に頂点から引きずり下ろされる。

マイナー生活で作り上げられた強靱なメンタル

「マイナーには上に上がることを狙う選手がたくさんいるし、自分もそうやって上がってきた。確かに、メジャー昇格はうれしいことだけど、それが全てじゃない。メジャーに定着しなければ意味がない。僕なんかブルペンでは、まだ一番若い部類だから落とされる可能性はあると思うんです。だから、1日でも長くメジャーでプレーできるように、いい投球をしようと必死です」

 だが、危機感を抱いて、自分を追い込みすぎてはピッチング内容が萎縮してしまう。

「危機感を持っているのは、マウンドに上がるまで。マウンドに上がったら、対戦するのは実力のある打者ばっかりですから。そこはもう腹をくくって、思い切って自分の力を試したい。そう思うだけですね」

 マイナー時代に仕込まれた「ストレートで真っ向勝負」の心意気をそのままに、マウンドでは大胆にストライクゾーンを攻めていく。メジャーで生き残り、成長するための投球を試行錯誤する中で、自ずと見えてきた課題もある。

「僕の場合、フォアボールで走者を出すっていうよりも、ストライクになりすぎてヒットを打たれて走者を背負うことの方が多い。そこは、対戦打者との兼ね合いで、対策を練っていければいいと思います」

 社会人野球から一足飛びでアメリカに渡った5年前の初々しさは、もうない。トレーニングを重ねて一回りも二回りも大きくなった身体の中には、マイナーリーグでもみくちゃにされながら動じなくなった強靱な心が宿っている。

「マイナーで教えてもらったことは間違いじゃなかったと思います。辛抱強く育ててくれたチームに感謝して、少しでも貢献できるようにしていきたいです」

 田澤のメジャー人生は始まったばかり。これからどこまで大きく成長するのか、見ていて損はないはずだ。

【了】

佐藤直子●文 text by Naoko Sato

群馬県出身。横浜国立大学教育学部卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーとなり渡米。以来、メジャーリーグを中心に取材活動を続ける。2006年から日刊スポーツ通信員。その他、趣味がこうじてプロレス関連の翻訳にも携わる。翻訳書に「リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン」、「ストーンコールド・トゥルース」(ともにエンターブレイン)などがある。