「ギオンスタジアムに行きたいんですけど、道をご存じですか?」

 駅を降りたカップルが、待ち合わせをしている様子の女性に尋ねていた。

「あ、私もこれから行くんですが......たぶん、公園の近くとかで」

 JR相模線、原当麻駅周辺(神奈川県)ではそんなやりとりが行なわれていた。手探りのJリーグ観戦。普段は興味を覚えなかった人々が、「プロサッカー」=Jリーグという響きに惹かれて来たに違いなかった。

 2014年3月9日。J1、J2に続くカテゴリー、J3リーグが、ホームタウンを持たないJリーグ・アンダー22選抜チームを含め、合計12チームで開幕した。J3は3回戦総当たりのリーグ戦で、1位のチームはJ2に自動昇格、2位のチームはJ2の21位と入れ替え戦を行なう。ただし現時点で(昇格に必要な)J2ライセンスを保有しているのは、FC町田ゼルビア、ツエーゲン金沢、ガイナーレ鳥取の3クラブのみである。

 多くの参加クラブは前年まで、J3と同じ3部リーグに相当するJFLリーグに在籍していた。「3人以上のプロ契約選手が在籍すること」が条件となり、運営面もJリーグの規約に照らし合わされることになったが、何が大きく変わったのか。プロサッカーリーグとはなんぞや――。

 駅からスタジアムまで、案内などはほとんどない。道すがら、コンビニなどもないだけに、道が正しいのか不安になる。ぽつぽつとサッカー観戦者らしき人たちが連なっているのが目安か。徒歩20分強。最寄り駅と言うにはぎりぎりの距離だろう。

 SC相模原の本拠地、ギオンスタジアムは晴天の下で華やいでいた。

 相模原の代表を務める望月重良(元日本代表)との関係だろうか、名波浩、田中誠など清水商の先輩たちからお祝いの花が届けられ、それをサポーターが携帯カメラで撮影していた。スタジアムの周りにはドネルケバブや珈琲の屋台が並び、いくつかのお店では、相模原カラーのグリーンのレプリカシャツを着た人々の長い列ができていた。周辺の光景はJリーグと遜色なかった。

 新しいスタジアムは今も改修中で、両方のゴール裏はまだ座席がない。しかし電光掲示板は真新しく、2010年まで県リーグにいたアマチュアクラブであることを思えば、称賛に値する成長だろう。開幕戦に訪れたサポーターの数は、昨季JFLの平均観客数である1924人から2873人と大幅に増えた。マスコミの注目度も高く、アウェーのツエーゲン金沢からは地方テレビや地方ラジオのメディア関係者が何人も訪れていた。

 J3という響きは、間違いなく人々の関心を高めていた。

 しかしプロという呼び名を冠しても、サッカーの中身が劇的に変わるものではない。技術、戦術、体力の乏しさは当然そうだが、振る舞いに関しても同じことが言える。例えばこの日、選手交代で退く選手が入る選手と握手を交わさず、あまつさえバックスタンドから退場していたのが気になった。急ぐ展開やケガの場合を除き、プロ選手は交代のときにその意志を通じ合わせるもので、それは然るべき儀礼である。

 そして椿事もあった。相模原のブラジル人センターバックは、失点の連続に精神的に切れてしまい、自らプレイを拒否する姿勢を見せた。これだけでも面食らうが、交代が告げられると、彼はピッチを"徘徊"し、宥(なだ)めて外に出そうとするチームメイトを払いのけ、散々駄々をこねた後にようやく出ていった。言うまでもなく、プロ選手のするべき行為ではない。

 この日、両チームの選手の平均年齢は約24歳。多くはJ1、J2で居場所がなかった若手である。すなわち彼ら自身も、プロとはなんぞや、と模索しているのだろう。

 注目されたU−22選抜は、開幕戦で昨季JFL11位のFC琉球と戦い、0−3で惨敗している。琉球のFW中山悟志は「U−22選抜はJ3優勝を狙える力があると思って構えたから、ちょっと拍子抜けで」と語っている。中山はU−21時代にアジア大会を制している。大久保嘉人、松井大輔、阿部勇樹など主力はJ1レギュラーの時代だった。それだけに急造チームとはいえ、3部リーグで手も足も出ないU−22は物足りなかったのだろう。U‐22選抜は、地域に根ざしたJリーグの理念に合わず、「ポジション争いに勝って試合に出る」というプロの大原則にも反している。

 こうした矛盾を含め、J3は現時点で、プロサッカーリーグという器を広げたに過ぎない。中身を満たすのはこれからになるだろう。

 しかし帰り道、意外な光景を目にした。相模原のサポーターたちは、0−4というどうしようもない敗戦にもかかわらず、応援するプロチームの誕生に喜色すら浮かべていた。その明るさは、J3の未来に射し込む希望に違いない。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki