ジェンガの捨てパーツ的なポジション
テキスト系妄想メディア「ワラパッパ (WARAPAPPA )」より
連休明けの朝、満員電車に揺られて事務所を目指す。車内は相当な混雑で全く身動きが取れない。スマホでゲームでもしたいけど、下手に手を動かすと色々と厄介なことに巻き込まれる可能性がある。こういう時は人の流れに抗わず混雑に身を任せるしかない。
電車が次の駅に到着してさらに人が乗ってくる。車内の混雑率はさらにひどいことになっていく。ドアの方に強く押されるけど抗うことはしない。再び身を任せる。
すると、急に自分の体勢が楽になったことに気づく。
それまでは足にグッと力を入れて踏ん張っていたのに、今はどこにも力を入れていない。前後左右の人たちとの位置取りの関係か、真ん中にいる僕の身体が軽く宙に浮いているような状態だ。
今の僕は、ジェンガの抜いても大丈夫なパーツと同じである。

木製のパーツを3個ずつ縦横交互に組んで作った18段のタワーから、1つずつパーツを抜いて上に重ねていく遊び、それがジェンガだ。パーツを抜いたことでタワーが崩れたらそこでゲームオーバー。崩してしまった人の負けである。
このジェンガタワーを構成する木製パーツは全部で54個。それらのうち、噛み合わせの関係で抜いても大丈夫なパーツ、いわゆる捨てパーツが結構ある。その捨てパーツの見極めがジェンガには重要になってくる訳だ。
朝の満員電車での僕は、まさにその捨てパーツと同じポジションだった。僕が突然その場所からいなくなっても、前後左右の人たちの体勢に全く影響を及ぼさないだろう。なぜなら、僕にはどこからも負荷がかかっていない無重力状態だったから。
おかげさまで、それから僕はとても楽な体勢で目的の駅まで到達することができた。僕が楽だった分、前後左右の人たちにかかる負荷は結構なものだったと想像する。それはそれで申し訳ないのだが、こっちだって意図してジェンガの捨てパーツの位置に立った訳ではない。
偶然、ジェンガの捨てパーツの位置をゲットしたのだ。
このようにあらゆる事象において、ジェンガの捨てパーツ的なポジションが存在すると思う。
例えば、お神輿。

この図のように神輿を担いでる人たちがいるとする。
ワッショイワッショイ、みんなで力を合わせているように見えるが、この中にもジェンガの捨てパーツ的な人が存在するはずだ。
それを可視化すると、こうだ。

黒く反転させた人たちが、きっとジェンガの捨てパーツ的なポジションだろう。
この人たちがいなくなっても神輿は進むし、いなくなったことで誰かに余計に負荷がかかることもない。そう、なぜならこの人たちには最初から何も負荷がかかっていないから。
綱引きでも、そういう人はいるだろう。

一見すると、3人で力を合わせて綱を引いているように見える。
しかし、ここにもジェンガの捨てパーツはいる。

一番後ろの彼だ。
一生懸命風な表情をしているが、片足が浮いちゃっているのが分かる。全然力が入っていない証拠である。汗のしぶきの数も前の2人より一粒少ない。
彼は確実にジェンガの捨てパーツ的な存在だろう。
こうして見てみると分かるように、世の中にはジェンガの捨てパーツ的なポジションというのが存在していて、人知れず楽な思いをしている人たちがいるのだ。

一見、全てのパーツが機能しているように見えるこのジェンガの塔も、結構な数の捨てパーツが存在するのである。
その捨てパーツの存在が浮き彫りとなるジェンガ。
なんと残酷なゲームなのだろう。
しかし、実際、満員電車の中でジェンガの捨てパーツを体験したことで、そのポジションが随分楽なことを知ってしまった。
今後、自分がジェンガの捨てパーツ的なポジションに遭遇したら、いかにも自分も辛いような顔をしてやり過ごすようにしていきたい。いろいろな局面で。
連休明けの朝、満員電車に揺られて事務所を目指す。車内は相当な混雑で全く身動きが取れない。スマホでゲームでもしたいけど、下手に手を動かすと色々と厄介なことに巻き込まれる可能性がある。こういう時は人の流れに抗わず混雑に身を任せるしかない。
電車が次の駅に到着してさらに人が乗ってくる。車内の混雑率はさらにひどいことになっていく。ドアの方に強く押されるけど抗うことはしない。再び身を任せる。
それまでは足にグッと力を入れて踏ん張っていたのに、今はどこにも力を入れていない。前後左右の人たちとの位置取りの関係か、真ん中にいる僕の身体が軽く宙に浮いているような状態だ。
今の僕は、ジェンガの抜いても大丈夫なパーツと同じである。

木製のパーツを3個ずつ縦横交互に組んで作った18段のタワーから、1つずつパーツを抜いて上に重ねていく遊び、それがジェンガだ。パーツを抜いたことでタワーが崩れたらそこでゲームオーバー。崩してしまった人の負けである。
このジェンガタワーを構成する木製パーツは全部で54個。それらのうち、噛み合わせの関係で抜いても大丈夫なパーツ、いわゆる捨てパーツが結構ある。その捨てパーツの見極めがジェンガには重要になってくる訳だ。
朝の満員電車での僕は、まさにその捨てパーツと同じポジションだった。僕が突然その場所からいなくなっても、前後左右の人たちの体勢に全く影響を及ぼさないだろう。なぜなら、僕にはどこからも負荷がかかっていない無重力状態だったから。
おかげさまで、それから僕はとても楽な体勢で目的の駅まで到達することができた。僕が楽だった分、前後左右の人たちにかかる負荷は結構なものだったと想像する。それはそれで申し訳ないのだが、こっちだって意図してジェンガの捨てパーツの位置に立った訳ではない。
偶然、ジェンガの捨てパーツの位置をゲットしたのだ。
このようにあらゆる事象において、ジェンガの捨てパーツ的なポジションが存在すると思う。
例えば、お神輿。

この図のように神輿を担いでる人たちがいるとする。
ワッショイワッショイ、みんなで力を合わせているように見えるが、この中にもジェンガの捨てパーツ的な人が存在するはずだ。
それを可視化すると、こうだ。

黒く反転させた人たちが、きっとジェンガの捨てパーツ的なポジションだろう。
この人たちがいなくなっても神輿は進むし、いなくなったことで誰かに余計に負荷がかかることもない。そう、なぜならこの人たちには最初から何も負荷がかかっていないから。
綱引きでも、そういう人はいるだろう。

一見すると、3人で力を合わせて綱を引いているように見える。
しかし、ここにもジェンガの捨てパーツはいる。

一番後ろの彼だ。
一生懸命風な表情をしているが、片足が浮いちゃっているのが分かる。全然力が入っていない証拠である。汗のしぶきの数も前の2人より一粒少ない。
彼は確実にジェンガの捨てパーツ的な存在だろう。
こうして見てみると分かるように、世の中にはジェンガの捨てパーツ的なポジションというのが存在していて、人知れず楽な思いをしている人たちがいるのだ。

一見、全てのパーツが機能しているように見えるこのジェンガの塔も、結構な数の捨てパーツが存在するのである。
その捨てパーツの存在が浮き彫りとなるジェンガ。
なんと残酷なゲームなのだろう。
しかし、実際、満員電車の中でジェンガの捨てパーツを体験したことで、そのポジションが随分楽なことを知ってしまった。
今後、自分がジェンガの捨てパーツ的なポジションに遭遇したら、いかにも自分も辛いような顔をしてやり過ごすようにしていきたい。いろいろな局面で。
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