漢の時代から飲まれていた!? 中国のワイン事情とは
近年中国のワイン生産量および消費量が急増している。経済成長を背景に、今までアルコールと言えばビールや紹興酒、白酒等が中心だった消費者の嗜好が多様化した結果だ。しかし、ワイン自体は中国において決して新しいものではなかった。
「ブドウ栽培とワイン醸造は、漢の武帝の時代(紀元前140年〜紀元前87年)からおこなわれていました。武帝の命を受けて西域(中央アジア)へ遠征した外交官・張騫は、その際に現地からブドウの栽培方法とワインの製造方法を持ち帰ったためです。『大宛(当時中央アジアに存在した国)の人々は普段からワインを飲み、ワインはもっとも人気のある酒である。富裕な人は百万リットル以上のワインを10年ほど貯蔵している』と報告しています。武帝は長安(現在の西安)の宮中で大規模にワインを醸造させましたが、ワインが中国で根付くことはありませんでした。ブドウの収穫に合わせて醸造時期が限られてしまうワインに比べ、穀物から作られる酒類は一年を通して生産できます。結果、ワインは中国で大きく広がることはなく、後漢(25年〜220年)が滅亡する頃には、中国の中心から消えたのです」(マカオワイン博物館)
しかし、400年を経て再び日の目を見ることになる。唐(618年〜690年)の時代になり、再び首都・長安で注目されはじめたのだ。
「記録によると、唐の皇帝・太宗はワインの醸造法を西域から学び、皇帝自ら宮中でワインを作って、貴族にも授与したそうです。次第に宮中だけでなく長安の人々もワインを楽しむようになり、ワインを賞賛した詩も散見できます」(同)
ただし、それでもなおワインは中国において嗜好品の主流になりえなかった。次に日の目を見るのは、元(1271年〜1368年)の時代を待たねばならない。
「モンゴル民族によって打ち立てられた元は、ワインを大変好みました。寺院に進物をささげる際、ワインを用いねばならないと規定したほどです。ワインの生産規模は元の時代にもっとも高くなりました。しかし、やはり時代が変わると中央で続くことはなかった。その後、ワインは清朝(1644年〜1912年)後期になるまで、再び消えてしまいました」(同)
それでは、現在につながる近代ワイン産業の出発点はどこなのか。じつは山東省の煙台が、その生まれ故郷だ。
「1892年に華僑の張弼士が、ブドウ畑とワイナリーを立ち上げ、『張裕』という会社を設立しました。それが今のワイン産業の転機となり、現在に至っています。国内の主な産地は中国各地にあり、元々ブドウ栽培が盛んだった西域・新疆ウイグル自治区のトルファン、マナス、石河子、コルラをはじめ、河北省懐来、昌黎、宣化、タク鹿、天津、江蘇省南京、遼寧省瀋陽、吉林省通化、山西省太原、山東省青島、煙台、河南省蘭考、安徽省蕭県、甘粛省武威、寧夏回族自治区銀川、陝西省西安、雲南省弥勒等で生産されています」(同)
このように盛衰を繰り返しながらも、飲まれ続けていた中国のワイン事情。現在は生産量、消費量ともに伸び続けており、経済同様ますます存在感を増すだろう。さらなる今後の動向に注目だ。
(加藤亨延)
「ブドウ栽培とワイン醸造は、漢の武帝の時代(紀元前140年〜紀元前87年)からおこなわれていました。武帝の命を受けて西域(中央アジア)へ遠征した外交官・張騫は、その際に現地からブドウの栽培方法とワインの製造方法を持ち帰ったためです。『大宛(当時中央アジアに存在した国)の人々は普段からワインを飲み、ワインはもっとも人気のある酒である。富裕な人は百万リットル以上のワインを10年ほど貯蔵している』と報告しています。武帝は長安(現在の西安)の宮中で大規模にワインを醸造させましたが、ワインが中国で根付くことはありませんでした。ブドウの収穫に合わせて醸造時期が限られてしまうワインに比べ、穀物から作られる酒類は一年を通して生産できます。結果、ワインは中国で大きく広がることはなく、後漢(25年〜220年)が滅亡する頃には、中国の中心から消えたのです」(マカオワイン博物館)
「記録によると、唐の皇帝・太宗はワインの醸造法を西域から学び、皇帝自ら宮中でワインを作って、貴族にも授与したそうです。次第に宮中だけでなく長安の人々もワインを楽しむようになり、ワインを賞賛した詩も散見できます」(同)
ただし、それでもなおワインは中国において嗜好品の主流になりえなかった。次に日の目を見るのは、元(1271年〜1368年)の時代を待たねばならない。
「モンゴル民族によって打ち立てられた元は、ワインを大変好みました。寺院に進物をささげる際、ワインを用いねばならないと規定したほどです。ワインの生産規模は元の時代にもっとも高くなりました。しかし、やはり時代が変わると中央で続くことはなかった。その後、ワインは清朝(1644年〜1912年)後期になるまで、再び消えてしまいました」(同)
それでは、現在につながる近代ワイン産業の出発点はどこなのか。じつは山東省の煙台が、その生まれ故郷だ。
「1892年に華僑の張弼士が、ブドウ畑とワイナリーを立ち上げ、『張裕』という会社を設立しました。それが今のワイン産業の転機となり、現在に至っています。国内の主な産地は中国各地にあり、元々ブドウ栽培が盛んだった西域・新疆ウイグル自治区のトルファン、マナス、石河子、コルラをはじめ、河北省懐来、昌黎、宣化、タク鹿、天津、江蘇省南京、遼寧省瀋陽、吉林省通化、山西省太原、山東省青島、煙台、河南省蘭考、安徽省蕭県、甘粛省武威、寧夏回族自治区銀川、陝西省西安、雲南省弥勒等で生産されています」(同)
このように盛衰を繰り返しながらも、飲まれ続けていた中国のワイン事情。現在は生産量、消費量ともに伸び続けており、経済同様ますます存在感を増すだろう。さらなる今後の動向に注目だ。
(加藤亨延)