【東アジア共同体】マニフェストでは「構築」、首相は「必要ない」

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小宮山洋子厚生大臣が「たばこ」で持論を展開すれば、今度は野田佳彦首相が「外交・安全保障」で持論を展開している。まず、時事通信の記事を見てみよう。

「野田佳彦首相が10日発売の月刊誌『Voice』に、外交・安全保障や財政に関する基本的な考えを記した『わが政治哲学』と題する論文を寄稿していることが6日分かった。外交面では『日米同盟を堅持していく』と重ねて強調した上で『いま、この時期に東アジア共同体などといった大ビジョンを打ち出す必要はない』として、鳩山由紀夫元首相が掲げた『東アジア共同体』構想に否定的な見解を表明している」(時事通信、2011年9月6日付)

あれ? 民主党は東アジア共同体の構築をめざし、アジア諸国との外交を強化する、とマニフェストで宣言していなかったか?

アメリカのオバマ大統領がチェコのプラハで「核兵器廃絶宣言」をおこなったのが2009年4月5日。民主党が衆院選に向けてマニフェストを作成し、発行したのが同年7月27日。当然、マニュフェストは、アメリカの「核の傘」の下でぬくぬくと守られてきた日本が、どのような方向性で外交・安全保障政策を進めていくのかを考えた上で書かれたものであろう。

仮に核が廃絶された世界を考えた場合、日本はアメリカの核の傘が必要なくなるのであるから、安全保障の面ではこれまでのような「異常に親密な日米関係」を続ける必要がなくなる。莫大な金額を米軍に便宜供与する必要もなくなるし、なにより日本に米軍基地を置く必要もなくなる。

しかし、米軍がいなくなった状態で、憲法第九条を維持して専守防衛を続けた場合、日本の国防力は脆弱にならざるをえない。その脆弱さをカバーする重要な方策のひとつが、東アジアという近隣地域で安全保障体制を整えていくことである。中国と韓国、そして日本という東アジアの三国が中心となり、安全保障の輪を周辺のアジア諸国に拡げていく。

それを実現するためには、無駄なナショナリズムの対立を起こさぬようにしなければならない。まず、日中韓のそれぞれの国民が正確な近現代史と向き合った上で、相互理解をはかる必要がある。それでも、文化や風土の違いはお互いの理解を超えることも多い。ならば、人材の交流を活発におこなえばいい。国対国ではなく、個対個の関係を取り持つ機会を増やし、お互いの違いを認めた上での親交を深めていく。

日米同盟から脱却するということは、日本が自主防衛に舵を切ることを意味する。専守防衛を続けたとしても必要最低限の重武装は必要になろう。そして、日本の重武装化に対しては、第二次世界大戦中の話を持ち出した上で、これまで中国や韓国が抵抗を示してきた。だが、お互いの違いも認めた上での相互理解が深まり、同時に東アジアにおける安全保障体制が構築に向かえば、日本の必要最低限の重武装が自国の国益にかなうことだと両国に理解される可能性もある。

民主党は、党として「そろそろアメリカのケツをなめるのはやめようよ」という方向で外交・安全保障に取り組むものだとばかり思っていた。鳩山由起夫元首相が「友愛」という言葉を使うことには辟易していたが、新たな安全保障のかたちとしての東アジア共同体構想について、筆者は賛同していた。とはいえ、首相(=民主党代表)が雑誌で「日米同盟を堅持」と明言するからには、民主党はマニフェストの東アジア共同体構想に関する記述を書き換える必要があろう。

以上、複雑な外交・安全保障の話をかなり単純化して記してみたが、言いたいことはただひとつ。民主党、ぶれ過ぎだよ!

(谷川 茂)