■ 18年ぶりのグループリーグ突破

メキシコで開催されているU-17ワールドカップに出場しているU-17日本代表チームは、グループリーグを2勝1分けの好成績で突破し、ベスト16入りが決定した。ジャマイカ、フランス、アルゼンチンと強豪の集まるグループに入ったので、グループリーグ突破は厳しいかと思われたが、戦前のネガティブな予想を覆す見事な活躍を見せている。

チャレンジのパスが多いので、相手に高い位置でパスをカットされるシーンも多く、危ないシーンもあるが、イレブンのイメージがシンクロしたときに見せる崩しのシーンは、確かに魅力がある。ボールを奪われても、すぐに囲い込んでボールを奪い返す力が、ピッチ上のほとんどの選手に備わっているのも強みで、パスワークとともに、「個の守備力」も相当なレベルにある。

現地のメキシコ人にも、日本のサッカーが気に入られている模様で、日本が細かくパスをつなぐたびに、大きな歓声が上がっていて、今後、どこまで勝ち進んでいくのか、楽しみになってきた。

■ 苦手としているU-17世界大会

サッカー界には、U-17、U-20(旧ワールドユース)、U-23(=五輪)、フル代表(=W杯)と4つの世界大会があって、U-17とU-20の世界大会は、2年に一度開催されているが、日本は、これまで、U-17のカテゴリーでは思うような結果を残せておらず、もっとも苦手としているカテゴリーである。

今回のグループリーグ突破が、18年ぶりというのが、その苦戦ぶりを物語っている。その間の成績は、1997年、1999年、2003年、2005年はアジア予選で敗退。1995年、2001年、2007年、2009年の大会は、世界大会には出場したものの、グループリーグ敗退に終わっている。

本大会に進んだチームでは、1995年大会は、MF小野伸二、MF稲本潤一、FW高原直泰、2001年大会は、MF成岡翔、FW阿部祐大朗、MF菊地直哉、2007年大会は、FW柿谷曜一朗、MF山田直輝、MF水沼宏太、2009年大会はFW宇佐美貴史、FW宮吉拓実、MF柴崎岳ら、注目度の高い選手がいて、上位進出も期待されていたが、グループリーグを突破することはできなかった。

U-17で苦戦する理由として挙げられるのは、何と言っても、フィジカルの差である。U-17の世界選手権は、1985年の第1回大会から、これまで13度の大会が開催されたが、もっとも優秀な成績を残しているのが、ナイジェリアで、優勝が3回で、準優勝が3回と約半分で決勝進出を果たしており、ブラジル(優勝3回、準優勝2回)をしのぐ見事な成績を残している。ガーナもこの大会に強くて、優勝2回、準優勝2回。ブラックアフリカのパワーが、猛威を振るってきた。

もっと上の年代になると、アフリカ人のフィジカルに対抗できる術を持つようになって、好き放題されることもなくなるが、16歳、17歳くらいでは、フィジカルで圧倒されて、何もできなくなるケースが多い。これは、日本に限ったことではないが、日本の場合、もともとフィジカルの面で他国に見劣りすることが多かったので、この年代ではさらに不利になる。

■ 18年前の大会

この18年前の大会というと、1993年大会で、ちょうどJリーグが誕生した年に日本で開催されたものである。今のU-17の選手は1994年生まれ or 1995年生まれが中心になるので、彼らが生まれる少し前の時期に開催された大会となる。

この大会で印象的なのは、「キックイン」というシステムで、このルールが試験的に導入された大会でもある。その名の通り、「スローイン」する場面で、スローではなく、キックでボールを入れるというルールであるが、このおかしなルールをうまく活用していたのが、U-17日本代表で、フォワードに194?のFW船越優蔵を置いて、正確なキックを武器にするMF財前宣之が「キックイン」して、FW船越がゴール前が競って、そのこぼれ球をMF中田英寿が拾うという戦い方が徹底されていた。

ロングボールを有効に使って勝つことに定評のある国見高校の小嶺監督が率いていたもの「タイムリー」で、ルールと持ち駒を最大限に生かした戦い方で、見事に1勝1敗1分けの成績でグループリーグを突破。ベスト8に進んだ。

今シーズン、J2で戦っているジェフ千葉が、204?のノルウェー人のFWオーロイという選手を獲得し、「DFミリガンのロングスロー」 → 「FWオーロイの頭」 → 「その裏のDF竹内が決める」という必殺パターンを確立したが、「財前→船越」のラインは、それ以上のえげつなさで、日本にとっては大きな武器になったが、当然のことながら、あまり好評ではなかったようで、それ以後の大会では採用されなかった。

■ キックインは不採用

とにかく、不快だったのは、相手のエリアでマイボールになると、全て「セットプレー」になってしまうことである。いちいち、プレースキッカーがサイドラインまで移動して、ボールをセットプレーしてから、「キックイン」を行うことになったので、試合のテンポも悪くなってしまった。

サッカーの持つ魅力を殺してしまう「おかしなルール」だったが、もし、このルールが、本格的に採用されていたら、どうなっていただろう。改めて考えてみると、世界のサッカーの勢力図が大きく変わっていただろうと想像できる。

結局、この大会は、197?の大型ストライカーのFWヌワンコ・カヌー率いるナイジェリアが、決勝戦でガーナを下してチャンピオンになったが、大型選手が多く、身体能力に優れたアフリカ勢の多くは、世界的な強豪国の仲間入りを果たすことになっただろうし、ノルウェーやスウェーデンなど、北欧の国も躍進したのではないか。

もちろん、日本でも、大型選手が、より以上に脚光を浴びることになっただろう。1998年のフランスW杯では、中田英寿がチームの中心になったが、1993年の大会と同様、FW船越優蔵が日本代表でも中心的な存在になったかもしれない。

■ この大会のMF中田英寿

その中田英寿は、1995年にベルマーレ平塚に入団するが、当時は、韮崎高校の2年生で、普通の高校生だった。MF中田というとトップ下のイメージが強いが、この大会では、もっと前目のポジションでプレーしており、のちに代名詞となる「司令塔」ではなく、ウインガー的な役割を担っていた。

MF中田は、この大会でゴールも決めているが、スポットライトを浴びたのは、前述のように、MF財前であり、FW船越で、チーム内でも3番手や4番手の選手だった。思い出してみると、アトランタ五輪のときも、チームの中心だったのは、MF前園真聖だったり、FW小倉隆史だったり、FW城彰二で、MF中田は看板選手を支える選手の一人という扱いだった。

当然、U-17日本代表でも、五輪代表でも、下の学年だったという理由も大きいが、20歳で日本代表のレギュラーになって、チームをワールドカップに導くようになる選手になるとは、U-17世界選手権のときはもちろんのこと、アトランタの時でさえ、誰も想像することはできなかった。今のU-17日本代表の選手も同様で、FW南野、FW鈴木武蔵、MF望月、DF岩波といった選手が注目されているが、意外な「ノーマークの選手」が、将来の日本代表の中心となって活躍するのかもしれない。


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