認知症を回避することはできるのか。ハーバード大学医学大学院神経内科学部アシスタント・プロフェッサー(助教授)の勝見祐太さんは「世界的な医学誌『ランセット』の報告書では、認知症に関連する修正可能な14のリスク因子が特定されている。40~50代から脳の健康を意識することが、20~30年後の自分の『老い方』を決めることになる」という--。(第2回/全2回)

※本稿は、勝見祐太『ハーバードが教える 認知症にならない脳のつくり方』(アチーブメント出版)の一部を再編集したものです。

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■歴史を変える期待の「レカネマブ」

「認知症は治らない」--そう思っている方も多いでしょう。確かに現時点では、神経細胞の死を完全に食い止め、失われた機能を取りもどす「根治療法」は存在しません。しかし、「治療できることは何もない」というのは正確ではありません。

アルツハイマー病の対症療法として長年使われてきたのが、コリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、リバスチグミン、ガランタミン)とメマンチンです。これらは脳内の神経伝達物質のバランスを整えることで、症状の進行を一時的にゆるやかにします。

病気の根本原因を取り除くわけではありませんが、患者さんのQOLを維持するうえで重要な役割を担ってきました。

そして2023年以降、認知症治療の歴史を塗り替える可能性を持つ薬が登場しました。それが「抗アミロイドβ抗体薬」です。

「レカネマブ(製品名:レケンビ)」は、脳内のアミロイドβ(特にプロトフィブリルと呼ばれる可溶性の凝集体)を標的とする抗体薬です。2023年1月に米国FDA(食品医薬品局。日本でいう厚生労働省)の承認を受け、日本でも2023年9月に承認されました。

■「ドナネマブ」も進行を遅らせる

CLARITY-ADと呼ばれる臨床第3相試験(1734名参加)では、18カ月間の投与により、プラセボ群(本物の薬に見えるが有効成分が入っていない偽薬を使った人々)と比較して認知機能の低下が約27%抑制されたことが示されました。脳内のアミロイドも大幅に減少し、PETで確認できるほどの顕著な除去効果が得られました。

一方、「ドナネマブ(製品名:ケサンラ)」は2024年7月にFDA承認を受けました。TRAILBLAZER-ALZ 2試験では、薬を投与された患者の47%が1年間で認知機能の低下を示さなかったのに対し、プラセボ群では29%にとどまりました。

ドナネマブの特徴は、アミロイドが十分に除去された時点で投与を中断できる可能性があることです。

12~18カ月の投与でアミロイドPET(脳内のアミロイドβの蓄積を画像で調べる検査)が陰性化した場合に休薬でき、その後のアミロイド再蓄積は少なくとも数年単位でゆっくりとしたペースであることが示されています。

これらの薬は「病気の進行を止める」のではなく「進行を遅らせる」ものです。認知機能の低下は両群ともに進んでいますが、そのスピードを有意にゆるやかにするということが、臨床的な意義として認められたのです。

■新薬の恩恵を受けるには早期発見が必要

「27%の抑制」という数字をどう解釈すればいいか。1~2年という短い試験期間ではその差はわずかに見えますが、10年・20年というスケールで見たとき、この「スピードの差」が実際の生活の質や自立度にどれほど大きな違いをもたらすか--それを明らかにするための長期追跡研究が進行中です。

認知症の治療は、いままさに「何もできなかった時代」から「遅らせることができる時代」への転換点にあります。

ただし、注意すべき副作用があります。「ARIA(アミロイド関連画像異常)」と呼ばれる、脳浮腫や微小出血がMRIで観察される副作用が、患者の約10~30%に認められます。多くは無症状ですが、ごく一部では頭痛やめまいなどの症状が出ることがあります。

また、血液をサラサラにする抗凝固薬を服用している患者への投与は、出血リスクの観点から現時点では慎重に検討が必要です。

これらの抗アミロイド治療は、あくまで「早期」(軽度認知障害〔MCI〕または軽度認知症の段階)の患者を対象としています。脳の神経細胞がある程度失われた後では効果が期待しにくいため、早期発見・早期治療が鍵となります。

血液バイオマーカーや脳イメージングを使った早期診断体制の整備が、今後の認知症医療において最重要課題の1つです。

前頭側頭型認知症(FTD)やレビー小体型認知症については、残念ながら現時点でFDA承認の疾患修飾薬(病気そのものの進行メカニズムに働きかけて、進行を遅らせたり病態を変えたりする薬)は存在しません。

FTDの病理の主な原因タンパク質であるTDP-43やタウを標的とした治療薬の開発が精力的に進められており、私の研究グループもこの分野に深く関わっていますが、承認に至る薬剤はまだ出ていないのが現状です。

■「修正可能」な14のリスク因子

認知症の予防について、最も重要な科学的根拠の1つが2024年に更新された「ランセット委員会(Lancet Commission)」の報告書です。

世界的な医学誌『ランセット』が定期的に発行するこの報告書は、世界中の認知症に関する研究を網羅的に分析し、「認知症に関連する修正可能なリスク因子」を特定してきました。2024年版では新たに「視力低下(未治療)」と「高LDLコレステロール(脂質異常症)」が追加され、合計14のリスク因子が特定されました。

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そしてその結論は明快です。これら14のリスク因子をすべてコントロールすれば、世界の認知症の約45%は予防または発症を遅らせることができる可能性がある、というものです。

■放置してはいけない「難聴」「視力低下」

14のリスク因子は、人生の段階ごとに整理されています。幼少期には「低い教育水準」。中年期(18~65歳)には「難聴」「高血圧」「肥満」「喫煙」「うつ病」「身体的不活動」「高LDLコレステロール」「過度の飲酒」「外傷性脳損傷」「糖尿病」。高齢期には「社会的孤立」「大気汚染」「視力低下」です。

これらを見ると、「生活習慣病の予防」と「認知症の予防」が深く重なっていることがわかります。血圧を管理する、コレステロールを下げる、タバコをやめる、運動する--これらは心臓病や脳卒中の予防として広く知られていますが、実は同時に認知症予防にも直結しているのです。

特に注目したいのが「難聴」です。

中年期の難聴は、認知症リスクの修正可能な因子のなかで高LDLコレステロールと並んで最も寄与割合が高いとされています。補聴器を使わずに聴力を放置することが、認知機能の低下を加速させる可能性があるということを、多くの人はまだ知りません。「聞こえにくくなってきたかも」と感じたら、耳鼻科受診を先延ばしにしないことが、実は脳を守ることにもつながっています。

「視力低下」が2024年に新たに加わったことも重要です。見えにくいまま生活することが認知的な刺激を減らし、社会参加を困難にし、ひいては脳の老化を加速させる可能性があります。

眼鏡や白内障手術による視力矯正が認知症予防に貢献しうるという考え方は、シンプルですが大きな公衆衛生的意義を持ちます。

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■認知症の原因は遺伝か、生活習慣か

「親が認知症だったから、自分もなるのでは」--そういった心配を抱える方は多いと思います。遺伝の影響は確かに存在します。しかし、どの程度影響するかは、認知症の種類や遺伝子の種類によって大きく異なります。

アルツハイマー病の大多数(90~95%以上)は「孤発性(散発性)」と呼ばれ、特定の単一遺伝子変異ではなく、複数の遺伝的要因と環境・生活習慣の組み合わせによって発症します。APOE ε4 遺伝子(※)はリスクを高めますが、それだけで発症が決まるわけではありません。

一方、FTDでは遺伝性のケースが約20~40%を占め、アルツハイマー病よりも遺伝の影響が強い疾患です。C9orf72、GRN、MAPTといった遺伝子変異が家族性FTDの主要な原因として知られており、これらは常染色体顕性遺伝の形式で親から子に伝わることがあります。

※アルツハイマー病発症のリスクに関わる遺伝子のなかで最もよく知られている変異。この変異を1つ持つだけでリスクが約3倍、2つ持つと12倍にもなると言われている。

■「私も親のように…」と悲観しなくていい

「早期発症型アルツハイマー病(65歳未満での発症)」には、APP、PSEN1、PSEN2という遺伝子の変異によって引き起こされる「家族性アルツハイマー病」が含まれます。これらは非常に稀ですが、変異を持つ人は高い確率で発症します。

しかし、ここで重要なのは、遺伝子は「リスクの設定値」を変えますが、最終的な結果は生活習慣や環境との相互作用によって大きく左右されるということです。

APOE ε4を持っていても認知症を発症しない人がいる一方で、遺伝的リスクが低くても発症する人がいる。これは、遺伝だけが運命を決めるわけではないということの証拠です。

ランセット委員会の「45%は修正可能なリスク因子による」という数字は、遺伝的リスクの有無にかかわらず当てはまります。APOE ε4を持つ人であっても、生活習慣を整えることで発症リスクを下げられる可能性があるのです。

■40~50代の生活が「老い方」を決める

認知症予防のタイミングについて、多くの人が誤解していることがあります。

「70代・80代になってから気をつければいい」というイメージを持っている方が少なくないのですが、科学が示す答えは少し違います。

アミロイドβが脳に蓄積し始めるのは、症状が出る20年以上前--つまり40~50代のうちから始まっていることが多いということは、本書でお話ししました。脳血管性のダメージも、長年の高血圧や糖尿病の放置が積み重なって生じます。

ランセット委員会の分析でも、「中年期(18~65歳)に最大の予防効果がある」ことが示されています。高血圧の治療、難聴の対処、LDLコレステロールの管理、運動習慣の形成--これらは「高齢になってから始める」より「40~50代のうちから習慣にする」ことで、より大きな予防効果が期待できます。

勝見祐太『ハーバードが教える 認知症にならない脳のつくり方』(アチーブメント出版)

「認知症の予防」は、高齢者向けの話ではありません。40代・50代のいまから脳の健康を意識することが、20~30年後の自分の「老い方」を決める可能性があります。

特に日本においては、かかりつけ医や職場の健康診断の場で、これらのリスク因子をスクリーニングし、早期に対処する仕組みづくりが急務です。

血圧計は家庭にある、コレステロールは健康診断でわかる、難聴は耳鼻科で確認できる--こうした「手の届くところにある対策」を実践することが、将来の認知症リスクを下げることに直結します。

認知症予防は、特別なことではなく、日常的な健康管理の延長線上にあるのです。

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勝見 祐太(かつみ・ゆうた)
ハーバード大学医学大学院神経内科学部アシスタント・プロフェッサー(助教授)
マサチューセッツ総合病院前頭側頭型疾患ユニットPET画像研究チームアソシエイト・ディレクター。1988年、東京都生まれ。神経科学博士。2007年東京都立国際高等学校を卒業。その後、米国留学を志し、米国ケンタッキー州ベレアカレッジに入学。入学金・授業料全額免除制度のもと心理学・神経科学を学ぶ。2013年に同大学首席で卒業。米国イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校心理学部認知神経科学科へ進学、2019年に博士号を取得。ノースイースタン大学・マサチューセッツ総合病院博士研究員、日本学術振興会海外特別研究員を経た後、現職。専門分野は加齢、神経変性疾患、脳画像解析。
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(ハーバード大学医学大学院神経内科学部アシスタント・プロフェッサー(助教授) 勝見 祐太)