3年前まで「AI原則禁止」だったのに…清水建設が「わずか1年で利用者8倍、利用率44%」に伸ばすためにやったこと
※本稿は、園田亜斗夢・川俣彰広『AIエージェント組織実装の最適解』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

■ミスが許されない建設業の「足枷」
建設業は、DXの推進が難しいと見なされてきた業界のひとつです。その理由は大きく3つあります。
第1に、建物は人命を預かるため品質要求が極めて高く、ミスが許されない業界であること。第2に、施工には下請け、孫請け、さらには一人親方まで数多くの業者がかかわり、自社だけでなく全関係者を巻き込まなければDXが進まないこと。第3に、すべての建物は一品物(いっぴんもの)で、横展開や標準化が原理的に難しいことです。
こうしたハードルを抱えた業界のなかにあって、スーパーゼネコンの一角である清水建設では約8900人(2026年8月現在)の社員が日常的にAIを活用しています。これは全社員(社外人材を含む約2万人)の44%程度に相当します。
なぜ、DXが進みにくい建設業界において、これだけのAI利用率を達成できたのか。そのプロセスを見ていきましょう。
■利用者が1000人で頭打ちになった理由
2023年初頭、ChatGPTが世間の注目を集めるなか、清水建設ではAIの利用が原則禁止と定められました。当時のChatGPTは、事実と異なる回答を生成する「ハルシネーション」のリスクが、いまよりも顕著で、間違いが許されない建設業ならではの慎重な判断がそこにはありました。
しかし、その後のAIの技術革新はあまりに圧倒的で、利便性も安全性も向上していきました。また、入力したデータがAIの学習に使われない機能を実装した、法人向けのサービスも登場します。
これを受けて同社は方針を転換し、2023年10月に法人向けのAIサービスを導入し、手挙げ制で社員に提供する仕組みを整え、社内でのAI活用がスタートしました。
ところが、利用者は約1000人に達したところで頭打ちになります。AI導入を主導したDX経営推進室先端技術応用部の中村壮吾氏によると、その理由は2つありました。
■社内の旗振り役はたった1人
ひとつは、ツールの機能的な制約です。導入したAIサービスには自社の独自データを読み込ませて回答させるRAG機能は備わっていました。しかし、読み込めるファイルサイズの上限が10GBまでと決まっており、各社員が自由にRAGを使える状態ではなかったのです。
また、社内データに基づくAIアシスタントを作れたとしても、全社展開できる仕組みではありませんでした。結果、多くの社員にとっては「LLMに質問するだけ」のチャットツールにとどまっていたのです。
もうひとつは、推進体制の不足です。当時、普及活動は実質的に中村氏ほぼ一人で担っていました。
「企画段階では他部署もかかわるのですが、運用フェーズになると、実行部隊は私一人だけ。問い合わせ対応だけで手いっぱいで、説明会を開催する余裕もありませんでした」
転機は、2024年に訪れます。その年の7月、同社が策定した「中期DX戦略〈2024‐2026〉」のなかで、AI活用が位置づけられました。戦略の目標として明示されたのは「データを活かしきる経営」。AIは経営を支える手段として、複数の重点施策のなかに組み込まれていました。
この戦略を実行に移すためには、機能面と体制面の双方で、それまでの環境を改善する必要がありました。
■東京支店の先行トライアルで大成功
前述の通り、AIサービスにはRAGに厳しい制約があり、社員一人ひとりが自由に使える状態にはなっていませんでした。そこで同社は、RAG機能に強みを持つ新たなAIサービスへの切り替えを決断します。
「決め手は2つありました。ひとつは、社内の独自データを使ったマイアシスタントを部門別・用途別に作れるRAGの実用性。もうひとつは、テキストだけでなく画像も読み取れるマルチモーダル対応です。前のサービスにはなかったこの機能が、図表を含む技術文書をAIに読み解かせるうえで決定的でした」(中村氏)
この切り替えと並行して、DX経営推進室の人員も増強され、AIを全社展開する体制が整っていきます。
それに先立って、まず東京支店でAIサービスの先行トライアルを実施し、その結果、大きな手応えとなる大ヒット事例が生まれました。

■1000P超の情報が詰まった「青本アシスタント」
清水建設には『新・建築施工の基礎知識』という、施工管理の教科書的存在の社内文書があります。三分冊で1000ページを超える、建設現場における基本的な工法や技術基準を網羅した重要文書です。同社内では通称「青本」と呼ばれます。
青本は、現場係員にとって日常的に参照する資料でありながら、その膨大さゆえに必要な情報を探すだけで相当な時間を要していました。そこで、東京支店企画部と同社のイノベーション拠点「NOVARE(ノヴァーレ)」が中心となって開発したのが「青本のRAGアシスタント」です。
実は、以前のAIサービス時代も、同じ青本のRAGアシスタント開発が試みられていました。しかし、当時は社内テストでの正答率が35%程度。図表を多く含む技術文書の処理にとりわけ大きな課題があり、実用に耐え得るレベルには届かない状態でした。
新たなAIサービスに切り替え、約400問の社内テストでチューニングを重ねます。文書の最適な分割方法を見極め、図面など図表を含む技術文書を読み取れるマルチモーダル対応を活用し、参照精度の向上にも継続的に取り組みました。その結果、35%だった回答の正答率が、最終的に93%にまで引き上げられたのです。
■技術基準の確認が30分以上→数分に
コンクリート打設に関する細かい確認事項や施工手順の確認などといった、本来であればベテラン社員に直接尋ねていたような事項に、若手社員がアシスタントを通じて素早くアクセスできるようになりました。専門的な問いかけについても、注意点まで含めた包括的な回答がすぐ返ってきます。従来であれば30分以上かかっていた技術基準の確認が、わずか数分で済むようになったのです。
東京支店の建設現場で実施したトライアル導入では、外勤・内勤さまざまな職種の社員にも声をかけ、実際に「青本アシスタント」を使ってもらい、アンケートで反応を確かめました。
「検索時間の短縮が実感できた」「若手の知識継承につながる」というポジティブな回答が得られ、試験導入からわずか2カ月で18現場・約260アカウント・約1万2000回という目覚ましい利用実績を記録しました。
「当社の人間からすると、青本は誰もが知っているドキュメント。だから各現場で受け入れやすかったのだと思います」(中村氏)
この大きな成果を足がかりに、AIの全社展開へと舵が切られていきました。
■全社説明会、少人数セミナーを開催
東京支店での「青本アシスタント」の大ヒットを受け、2025年4月、清水建設はAIの全社展開を本格的に開始します。
ただし、切り替え時点での利用者は、それまでと変わらず1000人程度。すなわち、すでにAIを使っていた人がそのまま新たなAIサービスに移行した状態でのスタートでした。本当の勝負は、ここからどうやって使う人を増やしていくかにありました。
ここでDX経営推進室が徹底したのが、説明会とハンズオンセミナーの運用です。大きく3つの型を使い分け、自社に展開していきました。
第1に、全社向けの大規模ウェビナーです。AIで何ができるのか、新たに導入したAIサービスをどう使うのかをオンラインセミナー形式で解説するものです。2025年4月に開催した全社説明会には、延べ600人の社員が参加しました。
第2に、20人規模のハンズオンセミナーです。参加者が実際に手を動かしながら学ぶ形式で、隔週で継続的に開催し、応募を開始するとすぐに予約が埋まるほどの人気がありました。このハンズオンセミナーを考案した同室の宮島壱登氏は、その効果を次のように語ります。
「20人という単位は質問しやすく、一人ひとりに目が届く最適なサイズ。ウェビナーでは手が届かない、きめ細かいフォローが可能となりました」

■全国の支店を巡り、直接やりとり
第3に、部門・支店ごとにカスタマイズした説明会です。設計部門には技術文書を扱うAIアシスタント、内勤部門にはメール添削など、それぞれの業務に直接刺さる事例を持ち込みます。
特筆すべきは、その物量です。月に4~5回のペースでなんらかの説明会が開かれ、累計の開催回数は相当数にのぼります。支店向けのハンズオンセミナーも宮島氏が中心となって精力的に行い、北海道、東北、千葉、名古屋、関西、広島、四国、九州と、ほぼ全国の支店を巡回し、AIサービスの利便性を伝えました。さらには、これら集合型の説明会のほかに、個別の活用相談の機会も設けました。
当初はハンズオンセミナーではなく、セミナー動画を配信する案もありましたが、宮島氏は「直接届けたほうが、AIのよさが伝わる」とリアルでの開催にこだわり続けました。
「『使い方がわからなくて詰まってしまう』『この業務に特化したアシスタントを作りたい』といった社員からの声に、その場で直接応えたかったんです」
こういった親身な対応が奏功し、ハンズオンセミナーに何度も足を運ぶリピーター社員も支店ごとに生まれたそうです。
■自作AIアシスタントが次々と誕生
これらの取り組みを通じて「新しいAIサービスは便利だ」という認識が広がると、もう一段の飛躍が起きます。一部の社員が自らの手でAIアシスタントを作り始めたのです。特別なコードやプロンプトの技術がなくても、感覚的にアシスタントを作成できるAIサービスの特性をひとたび理解すると、社員自身による市民開発が次々と進みました。
そして、全社展開の開始から半年後には、DX経営推進室が促さなくても、部門・部署主体の取り組みが次々と立ち上がるようになっていきます。
長文の報告書や議事録を要点だけにまとめる「要約の達人」や、前任者の引き継ぎ資料をテキスト化して必要なときに参照できるAIアシスタントのように、現場の創意工夫から生まれたヒット作が次々と生まれていきます。
社員が自作したAIアシスタントは、社内のホームページやSNSを通じて共有され、横展開されていきました。AI関連の社内SNSチャンネルは、現在では月間約1000人が閲覧する、社内で最もフォローされているチャンネルのひとつに成長しました。
■口コミと「社内インフルエンサー」の威力
ある部署で生まれた便利な使い方が、異動する社員とともに別の部署へと運ばれる。セミナーにリピート参加した社員が、いわば「社内インフルエンサー」となって周囲を巻き込んでいく。
「大規模にウェビナーやハンズオンセミナーを展開したことで、あらためてみんなにAIサービスを知ってもらい、口コミでどんどん広がっていきました」と中村氏は振り返ります。
社員のAIアシスタント開発を支えた要因について、宮島氏はAIサービスのUI(ユーザーインターフェース)にも触れます。
「一般的なチャットツールは、最初に『なんでもお聞きください』という空の画面が出てきますが、何を聞いたらいいかわかりません。一方、新しいAIサービスは、『こういう内容を聞きたいときは、このアシスタント』というユースケースが一覧で確認できます。私たちがデモを行うときも、『これだけ身近な使い道がある』と伝えることができます。そのわかりやすさも定着につながった要因だと思います」
■運用は現場任せ、1年で利用者8倍に
画像生成で作った親しみやすいアイコンや、最初から用意された質問例も、「使ってみよう」の心理的ハードルを下げる工夫でした。

圧倒的な物量で展開した説明会、現場から自発的に生まれたAIアシスタント、口コミの連鎖。これらの好循環によって、新しいAIサービスに切り替えた時点で1000人程度だった利用者は、約8000人(2026年5月時点)へと約1年で8倍に拡大していきました。
ここで、業務部門とDX経営推進室の独特な役割区分についても触れておきます。同室は説明会やハンズオンセミナーは精力的に行う一方で、各部門が使うAIアシスタントを自分たちで作り続けることはしていません。
「サンプルとして、最初にひとつか2つのアシスタントをこちらで作ることはあります。けれど、それ以降のデータ投入やプロンプトの調整、追加のアシスタント作成は、現場側にお願いしています。私たちは『実現方法の提供』にとどめる。相談部門が自分たちでアシスタントを作り、運用できる市民開発の文化を理想としているんです」(中村氏)
DX部門が手取り足取り作って配るのではなく、最初の呼び水だけを用意し、あとは現場が自走する。この線引きが、8000人規模への広がりを生んだ土台になったのです。
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園田 亜斗夢(そのだ・あとむ)
Lightblue代表取締役社長
東京大学工学部卒業、同大学院工学系研究科修了。博士(工学)。専門はニュースの推薦システムに関する研究。AIによる不完全情報ゲーム攻略に挑む「人狼知能プロジェクト」に参画し、共著書『人狼知能で学ぶAIプログラミング』(マイナビ出版)を出版。大学院在学中の2018年にLightblueを創業、代表取締役社長に就任。生成AIを活用した企業向けAIプラットフォーム「Lightblue」を中心に、現場向けウェアラブルAI「Lightblue Field Link」、受託開発事業「delta」を展開し、国内生成AIプラットフォーム市場でシェア2位、導入企業100社以上を誇る。近著に『Pythonによる動画解析・ヒューマンセンシングAI』(オーム社)がある。
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川俣 彰広(かわまた・あきひろ)
Lightblue執行役員営業部長
ワークスアプリケーションズにてBtoBセールスとして7年間従事し、3年目に売上No.1、以降マネージャーとして3年連続予算達成。2019年、Webサイト翻訳SaaSのWovn Technologiesに入社し、2年連続売上No.1を達成後、新規市場開拓や営業の仕組みづくりを主導。2023年よりLightblueに参画し、営業部長を経て執行役員に就任。生成AIを活用した企業向けAIプラットフォーム「Lightblue」の立ち上げからわずか2年で、上場企業を中心に100社以上への導入実績を築き、生成AI導入プロジェクトを推進している。
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(Lightblue代表取締役社長 園田 亜斗夢、Lightblue執行役員営業部長 川俣 彰広)
