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高収入を得て一見順風満帆に見えるミドル世代であっても、ふとしたきっかけで現在の働き方に強い疑問を抱くことがあります。同窓会に参加し、働き方の目線が変わったという40代男性の事例から、ミドル世代の働き方について考えていきます。

危険な実家を売却し「駅チカ・バリアフリーマンション」へ

都内の企業に勤務する田中陽子さん(52歳・仮名)は、埼玉県内にある木造2階建ての戸建て住宅で一人で暮らす母、山田和子さん(78歳・仮名)の生活に強い不安を抱いていました。

和子さんは数年前に夫を亡くし、遺族年金などを含め月16万円の収入で生活を賄っています。

築50年ほどの実家は玄関や浴室の段差が多く、2階へと続く階段も急で、若い人でもそろりそろりとゆっくりでないと降りることができません。陽子さんは「もし階段から転落して骨折でもしたら、そのまま寝たきりになってしまうかもしれない。実家は母にとって危険でいっぱい」と危惧していました。

そこで陽子さんが考えたのが、実家じまいです。郊外の戸建てを思い切って売却し、最寄り駅から徒歩3分ほどの築浅バリアフリーマンションへ移り住む計画を和子さんに提案しました。

最初は「住み慣れた場所を離れたくない」と拒絶していた和子さんでしたが、陽子さんは「お母さんの体を心配して言っているの。安全な場所で暮らしてほしい」と何度も説得を重ねました。

一緒にモデルルームに出かけるなどして、最終的に和子さんは長年暮らした実家を手放す決断を下します。

実家の売却益を充てる形で、利便性の高いバリアフリーマンションへの引越しが完了しました。室内の段差は完全に解消され、手すりや床暖房も完備されています。

「このマンションであれば、母も安全に暮らしていける。以前は『怪我でもしたら……』と心配していましたが、もうそんな心配はない」と、陽子さんはホッとしていました。

内閣府『高齢者の住宅と生活環境に関する調査』によると、住み替えの動機として最も多いのは「健康・体力面で不安を感じるようになったから」(24.8%)、次いで「自身の住宅が住みづらいと感じるようになったから」(18.9%)と続きます。特に75歳以上では健康面の不安を挙げる割合が35.9%に達し、身体機能の低下に応じた住環境の見直しは切実な課題です。

一方で、住み替え動機として「家族・知人に勧められたから」は2.5%にとどまり、住み替え意向自体がない高齢者も約7割(69.6%)を占めます。親の安全を願う子の焦りだけで進めず、本人の意向に寄り添い、丁寧に進めることが大切です。

陽子さんも、一緒に住み替えに向けて進めてきたからこそ、母の住環境の安全面は万全になった--そう考えていました。しかし、新生活が始まってからわずか1ヵ月が過ぎた頃、和子さんの暮らしに異変が現れ始めます。

奪われた生きがいと「環境変化」のリスク

和子さんは、引越し前は庭で毎日楽しんでいた花の手入れが唯一の趣味であり、生きがいでした。

「きれいに咲きましたね」

「もう春なんですね」

近隣住民との会話も、和子さんが手入れしている庭や花の話題から始まりました。しかし、マンションの閉鎖的な空間では、ガーデニングはおろか、人との会話も生まれません。駅チカでありながら、和子さんは外出を面倒がるようになり、1日中テレビの前から動かない日が増えていったのです。

内閣府『令和3年度 高齢者の日常生活・地域社会への参加に関する調査』によると、高齢者が生きがいを感じる時として「趣味やスポーツに熱中している時」(53.5%)や「友人・知人と食事、雑談している時」(52.6%)が多く挙げられています。

一方で、日常で「人との付き合いがない」と感じることがある高齢者は40.0%に上り、「孤立している」と感じる人も21.2%存在します。長年親しんだ趣味や近所との雑談といった日々のつながりが断たれることは、生きがいを奪い、精神的な孤立感を急激に深めるリスクとなり得ます。

陽子さんが母の変貌に決定的な危機感を覚えたのは、引越しから3ヵ月が経ったころ。久しぶりにマンションを訪れた陽子さんに対し、和子さんはおどおどとした視線を向けながら訴えます。

「もう帰りたい。元の家に帰りたい」

泣き出しそうな母の姿に、陽子さんは言葉を失いました。

それだけではありません。数分前に話した内容を何度も聞き返したり、ゴミの分別方法や鍵の開け閉めが分からなくなったりする場面が頻発し始めたのです。

慌てて専門の医療機関を受診させたところ、医師から認知機能の低下、さらに住み慣れた環境から強制的に引き離されたことによる「リロケーションショック(環境変化適応障害)」も指摘されました。

住み慣れた地域社会や長年培った人間関係を失ったことで、和子さんは強いストレスと孤立感に晒されていたのです。

「バリアフリーマンションに移せば安心だと信じ込んでいました。安全を優先するあまり、心の拠り所など、まったく考えていませんでした」

厚生労働省が公表している「認知症施策推進総合戦略」等の資料においても、高齢者における生活環境の急変や社会参加の機会喪失が、認知機能の低下を招くリスク要因になり得ると示されています。介護予防や認知症対策では、バリアフリーといった物理的な安全性だけでなく、地域でのつながりや精神的な安心感の維持が重要視されています。

親の将来を想う子どもにとって、実家じまいや住み替えの提案は善意からの行動。しかし高齢期においては、これまで築いてきた人間関係や日々の生きがいを守ることも、生活の安全のためには必須です。親の感情や心の準備を置き去りにした住み替えは、取り返しのつかない結果を引き起こす危険性をはらんでいます。