「退職金1200万円でも安心できなかった」海外赴任6年、40歳で製薬会社を辞めた男性の後悔…妻からは「次は単身で行って」
大手製薬会社に勤め、シンガポールに6年間赴任した後、日本へ帰国。40歳を目前に会社を辞めた池上さん(仮名)は、退職金として約1200万円を手にした。しかし、家族4人で始めた「新しい生活」は、想像していたほど自由なものではなかったという。
海外経験を生かせる仕事を探す夫と、子どもの教育環境を優先して日本での生活を望む妻。小学生の子どもを抱え、夫婦ともに再就職に苦戦するなか、男性が痛感したのは、「辞める自由」と「辞めた後に選べる自由」はまったく別物だという現実だった。
「海外経験があれば何とかなる」と思っていた
池上さんが製薬会社に入社したのは大学卒業後。国内勤務を経て、30代前半でシンガポールへの赴任を命じられた。
当初は数年程度の予定だったというが、現地で担当する仕事が広がったこともあり、赴任期間は結果的に6年に及んだ。
妻と子どもも帯同した。赴任当初、上の子はまだ幼く、下の子はシンガポール生活の記憶のほうが濃いほどだったという。
「海外勤務は大変でしたけど、仕事そのものは面白かったんです。日本では経験できない規模の案件に関われましたし、現地スタッフと英語で仕事をすることも日常でした。だから帰国したときは、少し大げさに言えば『これだけやってきたんだから、今後どこでも働けるだろう』という感覚がありました」
だが、日本に帰国してから、その自信は少しずつ揺らいだ。
海外では一定の裁量を与えられていた一方、日本の本社に戻れば、組織の中での役割は再び限定される。海外赴任中に変化した社内の人間関係にも、なかなかなじめなかった。
周囲から見れば、海外赴任経験のある40歳目前の社員。順調なキャリアにも映る。それでも本人の中には「このまま会社に残っていいのか」という迷いが膨らんでいった。
帰国から約1年後、池上さんは退職を決断した。
「一番大きかったのは、もう一度、自分のキャリアを自分で決めたいと思ったことです。会社にいれば生活は安定しています。でも次の異動がどこなのか、海外なのか国内なのか、自分では決められない。40歳になる前なら、まだ転職もできると思いました。
退職金も1200万円ほどありましたし、『半年くらい仕事が決まらなくても大丈夫だろう』と。今振り返ると、その安心感が少し判断を甘くしたのかもしれません」
会社員時代には大きく見えた1200万円も、無収入になれば意味が変わる。
住宅費、教育費、社会保険料、日々の生活費。家族4人の暮らしでは、何もしなくても毎月まとまった金額が出ていく。
退職金は「自由になるためのお金」ではなく、「収入が途絶えた期間を埋めるお金」へと変わっていった。
40歳の転職で突きつけられた「何ができますか」
池上さんには、海外赴任という分かりやすい経歴があった。
英語を使った業務経験があり、海外法人との調整や現地スタッフのマネジメントにも携わった。本人も当初、それらは転職市場で十分な強みになると考えていた。
ところが、実際に転職活動を始めると、思った以上に苦戦したという。
「『シンガポールに6年いました』と言うと、最初は興味を持ってもらえるんです。ただ、面接が進むと当然、『それで当社で何ができますか』という話になります。海外経験そのものを評価してもらうというより、そこで得た経験をどう再現できるのかを求められる。当たり前なんですが、会社の看板を外されると、自分が思っていたほど説明できないんですよね」
特に戸惑ったのは、40歳という年齢だった。
20代や30代前半であれば、将来性を含めて採用されるケースもある。一方で40歳前後になると、企業側が求める役割はより具体的になる。管理職として何人を率いたのか、どんな数字を残したのか、どんな領域の専門性を持っているのか。
池上さん自身、「海外で仕事をしてきた」という経験と、「転職先が即戦力として求める能力」の間にずれがあることを初めて意識したという。
さらに、妻の仕事も簡単には決まらなかった。
6年間の海外生活では、家庭の事情から妻は仕事を離れていた。帰国後、子どもたちの生活が落ち着いたところで再就職を考え始めたが、上の子は小学4年生、下の子は小学1年生。学校行事や放課後の生活、長期休暇などを考えれば、働ける時間には制約がある。
「自分だけの問題だと思って会社を辞めたわけではないですが、辞めて初めて、家族全員の働き方がつながっていることを実感しました。妻がフルタイムで働こうとすれば、子どもの送り迎えや長期休暇をどうするかという問題が出る。
逆に僕が勤務地を限定すると、応募できる会社も減る。海外勤務を受け入れれば選択肢は増えるけれど、今度は家族がついてこられない。何かを選ぶたびに、別の選択肢が消えていく感じです」
会社員時代には「転職先を選ぶ」つもりだった。
しかし、退職から時間がたつにつれ、池上さんの意識は「自分はどこから選んでもらえるのか」へと変わっていった。
妻の「次は一人で行って」が重く響いた
夫婦の間でも、将来像には少しずつ違いが生まれていた。
池上さんは、条件次第では再び海外で働くことも考えている。シンガポール時代の経験が生かせるうえ、海外ポジションまで対象を広げれば、自分に合う仕事が見つかる可能性も高まると考えているからだ。
しかし妻の考えは違った。
上の子は小学4年生。下の子も小学1年生になった。これから中学、高校へと進むことを考えれば、できるだけ日本国内で教育環境を安定させたいという。
池上さんは、妻から言われた言葉を忘れられないという。
「海外の求人も見ているという話をしたとき、妻から『次に海外赴任になるなら、一人で行ってきてほしい』と言われました。責めるような言い方ではなかったんです。でも、だからこそ重かったですね。
6年間ついてきてくれて、妻なりに苦労もあったと思います。子どもも大きくなった。自分にとって海外はキャリアの選択肢でも、家族にとっては引っ越しや転校を伴う生活なんですよね」
家族と暮らすために日本で仕事を探すのか。
それとも、自分の経験を最大限に生かせる仕事を求め、海外も選択肢に入れるのか。
40歳の転職は、単に「次に何の仕事をするか」だけでは決められない。
子どもの学校、妻の仕事、住宅、収入、そして数年後の教育費。20代の転職では意識しなかった条件が、池上さんの周囲を取り囲んでいる。
「辞めたこと自体を完全に後悔しているかと言われると、まだ分からないです。会社に残っていたら残っていたで、『あのとき辞めればよかった』と思っていたかもしれない。でも、ひとつだけ言えるのは、40歳で家族がいる人間が会社を辞めるというのは、僕が想像していたよりずっと大きなことだったということです」
池上さんはそう話した後、「1200万円あればしばらく大丈夫だと思っていたんですけどね」と苦笑した。
そして、こう続けた。
「お金もそうですけど、一番減っていくのは時間なんです。退職して1か月なら『少し休んでいる』で済む。でも半年、1年と空いていけば、自分でも焦り始める。家族にも申し訳なくなってくる。
会社にいたころは『もっと自由に働きたい』と思っていたのに、辞めてからは『来年、自分はどこで働いているんだろう』と考える時間が増えました」
海外赴任を経験し、会社を離れた40歳の分岐点。手にしたのは1200万円の退職金と自由だった。同時に失ったのは、毎月決まって振り込まれる給与と、「この先もこの会社で働いている」という見通しだった。
人生の折り返しが見え始める40代。転職するには遅すぎるとは限らない。ただし、若いころのように「自分だけ」の判断では動けなくなっている。
池上さんはいまも、日本と海外の求人を見比べながら次の職場を探している。
「海外にもう一度行きたい気持ちはあります。でも、単身赴任をしてまで行くのかと聞かれると、迷います。仕事を取れば家族との時間を失うかもしれないし、家族を優先すればキャリアの選択肢を狭めるかもしれない。
退職する前は、会社を辞めれば選択肢が増えると思っていました。でも実際には、辞めた後になって初めて、自分が選ばなければならないことの多さに気づきました」
会社を辞めれば、自由になれる。その言葉は間違いではない。
ただ、家族を抱えた40歳にとって、その自由とは「好きなものを何でも選べること」ではなく、「何を諦めるかも含め、自分で決め続けなければならないこと」なのかもしれない。
取材・文/集英社オンライン編集部
