メディアも巧妙に利用(司忍六代目組長)

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 山口組分裂直後の定例会で読み上げられた、司忍組長からの手紙は、普段は絶対に漏れてこないのに、844文字全文がマスコミに渡された。しかし、その最後の文章は"地雷"であり、それを掲載したことが原因となり、マスコミはアピールに使われた。メディアを狡猾に利用し、ことを有利に運ぼうとするのがヤクザ。誰よりも間近で山口組を見てきたライター、鈴木智彦氏が綴る。【第6回。前後編の後編。前編から読む

【写真】周囲もピリピリ 5年4か月の服役を終え、府中刑務所から出所した山口組の司忍六代目組長

直参からの質問依頼

 山口組の定例会から3日後の9月4日、離脱組の最大派閥である山健組の事務所で記者会見が行なわれるという噂が広まった。

 1978年11月1日、山口組は田岡邸(現・総本部)で記者会見を開き、一方的に松田組との抗争終結宣言をしている。神戸山口組が再分裂し、任侠山口組が旗揚げした際にも、実際に2度の記者会見が行なわれた。あり得ない話ではないのだ。

 すぐに知り合いの山口組直参組長から電話があった。

「記者会見で質問して欲しいことがある。FAXしたい」

 送られてきたワープロ書きのA4用紙は計5枚あって、質問は13項目だった。ひとつを抜粋する。

「六代目親分は三代目田岡親分を神との思いで崇められていると聞き及んでいますが、その山口組田岡組長の聖地でもある、神戸市灘区篠原本町から、総本部を名古屋に移転することなどあり得ないと思いますがいかがでしょう?」

 分裂直後、「山口組本部を名古屋に移転するという話がある。我々はそれに反対し、神戸の総本部を守るため離脱した」という神戸側の大義が拡散され、新聞記事にもなった。山口組はこれに反論したいのだ。が、このまま質問してはどう見ても山口組シンパである。

 当日、週刊誌はもちろん、テレビや新聞が数多くの取材班を送り込み、花隈駅近くの事務所前道路は、山口組の定例会以上にごった返した。

「記者会見なんて話は聞いてない」

 地元の兵庫県警が首を傾げる中、結局、山健組の組長たちを撮れただけで空振りだった。

 あちこちに聞き回った結果、どうやら真相はこうである。

 最初は神戸山口組側が、実話誌の記者に「明日は山健組の寄り合いがある。写真を撮ってもかまわない。マスコミを集めておいてくれ」と電話をかけたのだという。当人は記事に匿名電話があったと書いていたが、見知らぬ相手からの電話なら無視するだろう。おそらくたくさんのマスコミを集めて恩を売ろうと考え、方々の一般誌記者に拡散した。その情報を回り回って警視庁のマル暴がキャッチする。

 警視庁の刑事は兵庫県警に確認もとらず、自分たちのSである記者や暴力団員にそのまま言いふらす。暴力団を経由し、伝言ゲームで私のもとに流れてきた際には話が完全にねじ曲がり「神戸山口組が記者会見をする」となっていたのだ。

 神戸山口組の情報戦は翌日も続いた。

 山健組の事務所に離脱派の組長たちが集まり、神戸山口組の初会合を開いたのだ。この日はサプライズゲストが用意されていた。当時、住吉会の総本部長で幸平一家トップである加藤英幸総長である。

 加藤総長は暴力団社会の超有名人で、日本屈指の武闘派として知られる。山健組若頭補佐で三代目健竜会・山本一廣会長と兄弟分だった縁で、井上組長とも昵懇だ。山口組の分裂後、神戸山口組が住吉会の幸平一家や、稲川会の屋一家(当時の中村豪総長が井上組長の兄弟分)と合流し、組織の垣根を越えた新団体を発足させるという噂があった。甘っちょろい連合体など立ちゆくはずもなく。通常なら荒唐無稽な妄想だと一蹴するが、加藤総長がいれば不可能が可能になる。

 警察やマスコミが注目する中、カメラの放列前に加藤総長が現われた。井上組長と加藤総長の2人は山健組事務所の前でストップし、各社のカメラマンが撮影を終えるまで談笑した。神戸山口組がマスコミを呼んだのは、とどのつまり、このツーショットを撮らせるためだった。山一抗争から30年、暴力団はマスコミの操作方法を熟知していた。

 旧知の幸平一家幹部によると、加藤総長は事情を知らなかったそうで「山口組ってのは怖いねぇ」と苦笑していたと聞く。一方、山健組サイドは「分かっていて来訪した」と解釈する組員が多い。

 理由の如何に関わらず、この場に姿を見せたのは衝撃だった。神戸山口組は山口組の処分者だ。住吉会は山口組と親戚団体ではなくとも、業界の黙約として神戸山口組とは付き合えない。訪問理由は「病気見舞いの返礼」と説明された。この弁明を押し通せる力が加藤総長にはある。分裂当初、神戸山口組に追い風が吹いた理由のひとつは、間違いなく加藤総長のおかげだった。暴力団抗争はひどく空気に左右され、追い風の流れを作らないと枝葉がどんどん切り崩される。ムード作りは抗争の勝ち負けに直結する。最高のプレゼントだったに違いない。

 人混みが消えた頃を見計らって、山健組に新たな訪問客があった。井上組長の兄弟分である浪川睦会(旧九州誠道会。現浪川会)が防弾車と防弾チョッキを差し入れに来たのだ。暴力団が去り取材陣が帰宅しても、いつも『週刊実話』だけは現場に残る。実話誌という出版界の辺境にも、足で稼ぐ記者は存在する。

 直後、全国のヤクザ組織、そして山口組の直参に、神戸山口組発足の書状(9月5日付)が届けられた。内部通達にあった大義も記されていた。

「此に来て我ら同志一同の者、相寄り如何にすればこの歴史と伝統ある山口組を未来永劫に残す事が出来るか協議を致したる結果、現山口組六代目親分に於かれては表面のみの『温故知新』であり、中身にあっては利己主義甚だしく、歴代親分特に三代目親分の意を冒涜する行為多々あり、此の儘見て見ぬふりで見過ごしにする事は伝統ある山口組を自滅に導く行為以外考えられず、我ら有志一同の者、任侠道の本分に回帰致し歴代山口組親分の意を遵守する為六代目山口組を離脱致し、新たなる『神戸山口組』を発足し歴代親分の訓育と魂魄を忘失する事なく心機一転肝刻致し新しい神戸山口組に身命を賭す覚悟であります」(句読点は筆者)

週刊実話』はこの書状もいち早く入手し、他誌をすっぱ抜いた。が、彼らのこの執念が後日、大問題を引き起こすのだ。私もまた山口組の中枢にいる幹部から「すぐ大阪に来い」と呼び出された。なにをドヤされるのか心当たりがありすぎ、抗不安薬を一錠足した。

【プロフィール】
鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。主な著書に『サカナとヤクザ』『ヤクザときどきピアノ』など。

(以下、次回へ続く)

※週刊ポスト2026年9月25日・10月2日号