萩本欽一〈44〉松居直美の芸能界引退宣言をひっくり返した“インチキ大芝居”「社長を泣かせれば大丈夫」【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ~んぶ話しちゃう!」】
【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ~んぶ話しちゃう!」】#44
【前回を読む】萩本欽一〈43〉欽ちゃん流“運を呼ぶ”オーディションでブレークした当時15歳の無名女性歌手
作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。
◇ ◇ ◇
萩本「松居直美ちゃんが俺んとこ来て『もう嫌になったから芸能界を引退します』って泣いてるの」
増田「それは『欽ドン!』のずっと後ですか」
萩本「うん。あれが当たって何年も経ってから。直美ちゃんは結婚して子供もいたから。そのとき俺またね、インチキな話したんだよ。俺ああいうとき良いストーリーを考えつくの。テレビの台本よりもいい本書く。直美が言うのさ。幼稚園行ったら、有名人だからまわりの人にいろいろ言われるんです、って。それに、結婚したけどなんか幸せ感がなくて離婚したくなってきて。雑誌とかにもいろいろ書かれて、もう生きてる気がしないって言うんだ」
増田「追い詰められて辞めたいという」
萩本「そうそう」
増田「萩本さんに」
萩本「そう。それで『辞めるんで、ありがとうございました』って来たから『うん。あーそれなら気持ちよく辞めた方がいいよ』つったの。『気持ちよく辞めなさいね、大丈夫だよ』って。で、帰ろうとした直美ちゃんを呼び止めて、『ちょっと待って、直美ちゃん、これからなんか仕事決まってんの?』って聞いたら『これから探す』って答えるからさ。『これから探すの? あなた今ね、たとえばモノマネやって人前で歌うと30万円ぐらい出てるでしょう。ちょっといいとこだと50万円くらい。事務所に半分取られても25万円。1日で25万円の仕事を探しても無理だよ。普通は直美ちゃんの年齢で1カ月まるまる働いて18万円ぐらいじゃない? それを思い出した方がいいよ』と。そしたら『だけど辞めるってもう事務所の社長に言っちゃったし、今更やっぱり辞めないなんて言えないし』って言う。ファクスがテレビ局中に行っちゃったと。だからもう戻れないって」
増田「そうですね」
事務所社長と2人で涙をポロポロ流して
萩本「そんなの簡単だよって俺言ったの。俺が今から言うセリフを覚えて、それを言いなさいって。あの社長を泣かせれば大丈夫つったんだよ。俺が見たところ、直美ちゃんがいるゴールデンミュージックプロモーション*の社長は演歌顔だよ。だからまずは『辞めるにあたって、一言だけちょっとご挨拶したいと思います』って電話しろって。で、事務所に行ってドアを開けたら『お父さん、今までありがとうございました。私は社長って呼んでたけど、心の中ではずっと父でした』、『お父さん、ありがとうございました』って言ってすぐにくるっと回って去れって。あなたがドアを開けた瞬間、背中側から『待て』って声がかかるから。そしたらおまえ、ひとりでに涙が出るから振り向きなさい。そしたら社長もポロポロ泣いてるはずだから。セリフはもう要らない。これで大丈夫って。そしたらそれやって直美ちゃん、『本当に涙が出ました。向こうも泣いてました』って(笑)」
※ゴールデンミュージックプロモーション:東京都港区赤坂に本社を置く芸能プロダクション。ホリプロでマネージャーを務めた市村義文が1977年に設立。当初は歌手のマネジメントを中心にスタートし、松居直美らのバラエティー分野への進出に伴って総合芸能プロダクションへ発展した。松居直美、島崎和歌子、中村美律子らが所属。
増田「萩本さんに言われた通り」
萩本「そう。それなのに、今の人ってみんな言葉が長いのね。いろいろお世話になりましたとか、そういうんじゃないの。いきなり大事なセリフを頭に言わなきゃダメ。お父さん、今までありがとうございましたって」
増田「で、丸く収まったわけですか」
萩本「そうそう。やっぱり泣くような話をすれば両方とも気持ちよくですよ。風見しんご(当初の芸名は慎吾)*も辞めたいと言ってきたことがあった。その時は、『ふざけんじゃねえ』つってさ、『おめえのやってきた笑いはいったい何だ』って言った。『辞めるなら人を喜ばして隣の出演者を喜ばして、そういう笑いをやった後に辞めてくれ』って怒りました」
※風見しんご(かざみしんご):タレント、俳優、歌手。1962年広島県生まれ。萩本欽一に見いだされ、1982年『欽ちゃんの週刊欽曜日』で芸能界入り。翌年「僕笑っちゃいます」で歌手デビューし、「涙のtake a chance」では当時まだ珍しかったブレイクダンスを披露して話題となった。その後、俳優、司会、リポーターなど幅広く活動。2007年に長女を交通事故で亡くしたことを機に、交通安全や命の大切さを訴える講演活動にも力を注いでいる。
増田「風見さんが辞めようと思ったのも有名になっていろいろ言われるのが?」
萩本「そうだね。最初はかなり好きなようにやってたよ。そういう時に佐藤B作*が『ちょっと注意しますか』ってって言うから、人間って上り坂の時にいちいち注意してると伸びない。伸びるだけ伸びたらいつまでも伸びるわけじゃない。そこから人間って気づきだすんだ。だから注意はするなって言った。それで『辞める』って言いにきたときに俺は怒ったの。そしたら『わかりました』って頭下げて残った。私の付き合った子はみんな素直。そしたら運がくるの」
※佐藤B作(さとうびーさく):俳優、演出家。1949年福島県生まれ。大学時代から演劇活動を始め、1973年に劇団「東京ヴォードヴィルショー」を結成、座長を務める。芸名は当時の首相・佐藤栄作の名前をもじったもの。1980年代には『欽ちゃんの週刊欽曜日』など萩本欽一の番組でも人気を集めた。舞台を活動の中心としながら、『マルサの女』『ラヂオの時間』など数多くの映画、テレビドラマにも出演している。
増田「素直が運を運んでくるんですね」
萩本「はい。素直なら、人生は変えられる」(つづく =火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。
