岩手県西和賀町はツキノワグマの高密度生息域でもある(写真:イメージマート)

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 クマによる死者が過去最多となった昨年に続き、今年も各地で被害が発生している。全国有数のクマ生息地・岩手でもまた、一人の命が犠牲となった。クマに襲われて亡くなった85歳男性の長女が、ノンフィクションライター・中村計氏の取材に応じた。(文中敬称略)【前後編の前編】

【写真】岩手県西和賀町は奥羽山脈の最深部、秋田県との県境に位置する人口約4500人の町

「怒りとか、憎しみみたいなものはねぇな」

「父さんらしく、派手に逝きました。後世に残る。グーグルで『西和賀、中島達郎』って検索したら、すぐ出てくるから」

 その場にそぐわないカラリとした長女の口調は、事故の衝撃度と、遺族の深い喪失感を物語っているようでもあった。

 岩手県西和賀町で85歳の中島達郎がクマに襲われて命を落としたのは5月20日のことだ。小柄ながら骨太で、畑仕事なども精力的にこなす集落のリーダー的存在だった。

--襲ったクマは捕まっていないそうですが、父の仇を取りたいみたいな感情になるものですか?

「仇だいっても、どれが仇のクマかわがんねぇもん。みんな黒いもん。赤い服着て、白い靴履いてたとかじゃないから、わがんないでしょ。はははは。だから、運だったんだなー、って思いますね。怒りとか、憎しみみたいなものはねぇな。ただ、早く捕まって欲しいとは思います。また、犠牲者が出ないように」

 岩手県西和賀町は奥羽山脈の最深部、秋田県との県境に位置する人口約4500人の町だ。県内トップクラスの高齢化地域であり、ツキノワグマの高密度生息域でもある。

 集落は急峻な山々に挟まれた川沿いに点在していて、クマの生活圏とは常に背中合わせだ。それでも西和賀では何十年、何百年と、一般人がクマに襲われて命を落としたという話は聞いたことがなかったという。それくらい互いの領域は峻別されていたし、クマは人を恐れてもいた。

 達郎の長女が、幼い頃から耳にしてきた記憶をたどる。

「年寄りの話だと、クマにやられた傷では死なないって、昔からそう言われてきたみたいですよ。森の中でばったり遭遇して、攻撃されたけど、無事に戻ってきたという人は結構、いましたから」

 クマから受けた傷が危険でないわけはないのだが、その言い伝えは、それくらいクマは臆病で、人を死に追いやるまで攻撃はしないということの裏返しなのだろう。

「5月20日を境に西和賀の人の脳みそがガラッと変わった」

 長女の口から漏れたこんな話もまたクマと共に生きてきた地域のリアルを感じる。

「西和賀の人はみんなそうだけど、クマを見かけたぐらいで通報することは、ほとんどなかった。近所の人に『あっこにクマ、いたっけな』とかしゃべることはあっけど。北上市とか大きな街だと、クマ出た、クマ出たってなって、学校に注意喚起の連絡が入るらしいけど、西和賀ではそんなこと、まずなかったしな」

 クマの目撃数とは厳密に言うと、クマを見かけた数ではなく、目撃者が市役所等の公的な機関に通報した数である。人が通報するのは「異常」に出くわしたときだ。これまで西和賀で通報するという習慣がなかったのはクマを見かけることがそれくらい日常だったことの表われでもある。

 ただし、近年は過疎化の影響で山際などの小さく歪な形の田んぼや畑から順に次々と人の手から離れ、藪に戻った。その結果、クマが民家周辺の柿や栗を食べに来るようになるなど両者の境界線は未だかつてないほどに曖昧になった。

 昨年は、全国で過去最多となる13人がクマの犠牲となった。その内、3件は隣町で起きた。つまり、西和賀でもいつ同じような事故が起きても不思議ではなかった。

 しかし、長く続いてきた暮らしの慣習とは根深いもので、町民の危機意識が変化することはほとんどなかった。達郎の親戚で、町会議員でもある高橋敏樹が話す。

「クマとの距離が近づいてきてるとか、考えたことなかったな。いないわげねぇしな、と思ってたし。もともといる所に、自分たちも住んでるっていうイメージだから。そうやってずっと暮らしてきたわげだしな。ただ、5月20日を境に西和賀の人の脳みそがガラッと変わったのは確かだ。クマに対する意識変革の日になった」

(後編につづく)

【プロフィール】
中村計(なかむら・けい)/1973年生まれ、千葉県出身。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』『笑い神 M-1、その純情と狂気』など。スポーツからお笑いまで幅広い取材・執筆を行なう。近著に『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』

※週刊ポスト2026年9月11日号