「食事キャンセル界隈」の落とし穴…美容師が食事後に救急搬送!「リフィーディング症候群」の恐怖
「目の前が真っ白になって……。そこからは何も覚えていません」
気づくとIさん(38)は病院のベッドの上にいた。家族から、突然意識を失い、救急車で搬送されたと聞かされた。
倒れる直前まで、Iさんは家族と食卓を囲んでいた。久しぶりの実家で、いつもよりたくさん食べた。それだけだった。なぜ、「食べた」ことで救急搬送される事態になったのか――。
忙しさや面倒くささから食事を抜く行為が「食事キャンセル」「食事キャンセル界隈」などと呼ばれるようになって久しい。「今日も食事キャンセル」「忙しくて一日一食だった」――そんな言葉が、ちょっとした自虐や笑い話になることもある。
しかし、「食事キャンセル」が日常になると、それは医学的リスクとなる。
食事量が少ない状態が長く続くと、本人が知らないうちに低栄養が進むことがある。低栄養が深刻になれば、久しぶりに「しっかり食べる」という、ごく普通の行為が身体に大きな被害をもたらすことがあるのだ。
「今日も食べなくていいか」が普通に
Iさんは、都内の一等地にある美容室でマネージャーとして働いている。美容師として現場に立ちながら、店舗運営やスタッフ教育も担当する。責任ある立場だ。仕事柄、決まった時間に食事をとれないことは珍しくなかった。
「美容師って、お昼になったから『じゃあ休憩します』という仕事ではないんです。予約が続けば食べられないし、少し時間が空いてもやることがたくさんある。気づいたら夕方で、そのまま閉店まで何も食べられないこともありました」
「今日は忙しくて食べられなかった」が繰り返されるうち、Iさんの感覚が変わっていった。
「だんだん、お腹が空いても『まあ、いいか』って思うようになったんです。食欲がないわけではないんです。食べようと思えば食べられる。でも、食べないことに慣れてしまったんです」
一食抜く。それが二食になる。そして、いつしか「食べないこと」が当たり前になっていた。もともと痩せ型体型のIさんだが「食事キャンセル」でさらに体重が落ち、身長170cm、体重45kgに。BMIは約15.6で「低体重」にあたる。
本人より先に、周囲が変化に気づいた。
「常連のお客さんから『また痩せた?』『ちゃんと食べてる?』と心配されるようになりました。食べ物を差し入れてくださる方もいました」
ところが、せっかくもらった差し入れさえ、忙しくて食べる時間がないことがあった。
「自分でも痩せているのはわかっていました。でも、普通に働けていたので、そこまで危険な状態にあるとは思っていませんでした」
いつしか、その痩せた身体さえ「普通」になっていた。
栄養療法に詳しい「くぼたクリニック松戸五香」理事長の窪田徹矢医師が警鐘を鳴らす。
「低栄養というと、食べられなくなって寝込んでいるような状態を想像するかもしれません。しかし、普通に仕事や日常生活を続けていても、低栄養が進んでいることはあります。食事量が少ない状態が長く続いている、体重が減ってBMIが低下している人は注意が必要です。『普通に働けている』イコール大丈夫とは限りません」
久しぶりの実家で「結構、食べました」
そんな生活が続いていたある日、Iさんは帰省した。久しぶりに顔を合わせた家族からも、やはり同じことを言われた。
「ちゃんと食べてるの?」
仕事場では食べようと思ったタイミングで予約や業務が入る。しかし、この日は違った。仕事は休み。家族がいて、目の前にはご馳走が並んでいる。
「実家だったので、気が緩んだんだと思います。家族と一緒に『おいしいなぁ』と結構、食べてしまった」
食後、姉と話をしていた。
「近況や家族の話をしました。そこまでは“普通”だったんです」
目の前が突然、真っ白になった。
「『あれ?』と思ったところまでは覚えているんですけど……」
そこで記憶は途切れた。意識を失い、家族が救急車を呼んだ。
「食べていないことで栄養失調になって倒れたのならわかる。でも、その日はちゃんと食べたんです……」
病院で意識を取り戻したIさん。医師から告げられたのは、「リフィーディング症候群」という聞き慣れない病名だった。
リフィーディング症候群とは、長期間にわたり十分な栄養をとれていなかった人が再び栄養をとり始めた際、体内の電解質や水分のバランスが大きく変化することで起こる病態だ。
「食事を十分にとれない状態が続くと、身体は少ないエネルギーで生命を維持しようとします。糖質だけではエネルギーが足りないため、身体に蓄えられた脂肪やタンパク質も使うようになる。
そこへ急に糖質を含む食事が入ってくると、血糖値が上昇してインスリンが分泌されます。すると、ブドウ糖とともにリン、カリウム、マグネシウムなどが血液中から細胞内へ取り込まれ、不足してしまうのです」(前出・窪田医師)
なかでも重要なのが「リン」だと窪田医師は続ける。
「リンは細胞がエネルギーを作るために必要なATP(アデノシン三リン酸)の材料です。リンが急激に不足すると筋肉や心臓などが十分に働けなくなります。軽症だとダルさや筋力低下、重症になると意識障害、不整脈、心不全、呼吸不全などを起こし、命にかかわることもある。つまり、著しい低栄養状態にある人は“たくさん食べれば元気になる”とは限らないのです」
身体に力を与えてくれるはずの食事が、急激に入ることで、身体に負担をかけていることがあるのだ。
「ガリガリなのに脂肪肝」
もうひとつ驚かされたことがあった。Iさんは「脂肪肝」を指摘されたのだ。
「先生から『脂肪肝もあります』と言われて、びっくりしました。だって私、170cmで45kgですよ? 『こんなに痩せているのに脂肪肝ですか?』って」
脂肪肝は肥満や食べ過ぎ、飲み過ぎによるものというイメージが強いが、「私はお酒も甘い飲み物も飲みません。ジャンクフードもほとんど食べない」(Iさん)。
担当医は「低栄養によって生じた脂肪肝」と説明した。
「食事で十分なエネルギーが得られない状態が続くと、身体は蓄えている脂肪を分解して、エネルギーとして使おうとします。このときに生じる『遊離脂肪酸』が血液を通って肝臓へ運ばれます。
通常、肝臓に入った脂肪はエネルギーとして利用されたり、中性脂肪となって『VLDL(超低比重リポタンパク)』という形で肝臓の外へ運び出されたりするのですが、低栄養によりタンパク質などが不足すると、脂肪を肝臓から運び出す働きが低下することがあるのです」(窪田医師)
Iさんにとって、救急搬送されたことと同じくらい衝撃的だった。
医師からは管理入院を勧められた。しかし、Iさんにはマネージャーとしての仕事がある。
「入院して食事療法をしたほうがいい、と言われました。でも、仕事もあるので先生と相談して自宅で治療することにしました」
リフィーディング症候群のリスクがあるほど低栄養が進んでいる場合、自己判断で急に食事量を増やすのは危険だ。
「リフィーディング症候群のリスクが高い人の場合、いきなり通常量の食事に戻すのではなく、身体の状態をみながら少しずつ栄養量を増やしていきます。その際、血液検査でリン、カリウム、マグネシウムの濃度を確認します。
糖質の代謝にはビタミンB1(チアミン)が必要なので、リスクの高い患者さんの場合、チアミンを補充することもあります。重症の場合は入院して、心臓の状態などを確認しながら栄養管理を行います」(窪田医師)
「たくさん食べれば、早く元気になる」という単純な話ではないのだ。
もちろん、一食抜いたからといって、ただちにリフィーディング症候群になるわけではない。しかし、窪田医師は「食事キャンセル界隈」に警鐘を鳴らす。
「食事キャンセル界隈という言葉には、どこか軽い響きがあると感じます。自覚がなく低栄養が続いている人は要注意です。“食べないこと”も危険ですが、長く食べていなかった身体では“食べること”も慎重になる場合があります。
『最近、食べないことに慣れてきた』。もし、そんな感覚が当たり前になっているなら、一度、自分の体重や食生活、栄養状態を見直してほしいと思います」
Iさんは健康を取り戻すため、これまでの生活を見直し、医師の指導に従って規則正しく食べる治療を続けている。
「食べなくても平気」と思っているうちに、身体は静かに栄養不足に陥っているかもしれない。「食事キャンセル」が日常になっている人にとって、Iさんの経験は決して他人事ではない。
